モノと心の独り言

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「メディア写真論」には、団塊世代へのメッセージが?

2005-11-17 09:14:44 | コミュニケーション-メディア
高齢化社会とか2007年問題・団塊世代とか、
課題・市場・メディアは、常に連動して動く。
「メディア写真論―メディア社会の中の写真を考える」佐野 寛 著

一見メディア論・写真論とみえるこの著作、
実は十分団塊世代向き生活論だと、一気に読み込んでしまいました。

内容は、”写真”をメディアと捉え、その機能の歴史をたどります。
そして、”写す人、「写真」、「メディア装置」、見る人” という構造が、
社会システムとして世界を覆いつくしていることを解き明かしてゆきます。
1968年以後、メディアとしての言葉の限界を、写真は拡張しつづけ、
その中での写真と写真家の生き方を、
メディア装置の舞台に居続けた著者が分析し、
最後には、個人としての写真の楽しさを語ります。

確かに、私たちの日常は、すでに社会システムのなかでも写真・映像の中にいる。
「愛」も「戦争」も社会システムの一部。
    ”街の眼差し” シリーズ
気散じな日常から、スキャンダラスに立ち上がる”写像”に我を取り戻し、世界の深遠を垣間見ても、
   「ハチ公前の恐竜」
生活は、消費することと等価になり、メディア装置を動かす市場の中にある。
すでに市場は、モノからコトへ、そして意識の全領域へと広がっていて、
私たちには、この複雑系という社会システムの外にでることはできない。
   「意識と本質」井筒俊彦 著

唯一可能なことは、自身の場と時間において、
自己組織化のための自省の回路を維持するだけなのだ。
”懐かしの渋谷写真展からのメディア考”
"素子の擬態化・加齢者の擬態化”
「自己組織性と社会」 今田高俊 著

だから、その楽しみは、
この社会システムが、言葉を無化すると同じように
映像を無化しようとする連続的な時間を、
写真が止め、その写像に向かい合うときに、
我を含んだ世界がどう立ち上がってくるのか?

この辺の言葉自体に酔っている生活習慣病を自覚して、
 画像はコトバ
 画像に論理は?
 コトバと画像
 コトバの自転
映像や他のセンサーによる写像・記号化を自らに向ける時、
筆者の云う”第2の道”という写真家の行き先を持たない私には、
”第2の回路”という 自己組織化の回路を
ローカルに廻し、舞わす感じかな?

’68年以後、カメラをもって街を歩いていた後の空白を、
この「メディア写真論」が埋めてくれた。



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