のんのん太陽の下で

初めての一人暮らしが「住民がいるんだ・・・」と思ったラスベガス。
初めての会社勤めが「夢を売る」ショービジネス。

されどランタン

2009-04-10 | KA
 久しぶりに会社のイントラネットを開けると、『Cirkipedia』というものが出来ていました。もちろん、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を捩ったことと思います。そして、そのマークに私のキャラクターの顔が半分ほど使われていました。嬉しいことです。
 昨日に引き続き、影絵で使われるランタンを上手く取ることが出来なかったので、もしかして双子の男の子がそれ置く時に何か変えたことがあるのかと、シェリーに尋ねてみました。すると、彼女はものすごく真剣にそのことを考えてくれました。そしてその後、踊っている時にケイジをうまく掴めなかったので、きっと私の何かおかしいのだと思うと伝えても、まだ真剣にそのことを考えてくれました。彼女のように、何事も真剣にみんなが取り組んだら、もっと観客のみなさんに伝わることがあることでしょう。
 ふと見た演技、彼女は悪役のはずですが、どうしても悪い人には見えません。人柄のとても良い、いつもニコニコしているシュウチンに、悪役はあまりにも似合わず一人で声を出して笑ってしまいました。

デュエットが好き?ソロが好き?

2009-04-09 | KA
 取材が入りました。質問はメールで頂いてそれに答える形になっているのですが、なかなか進みません。学生の頃から、テスト用紙は空欄なく提出したい性格で、そのメールには「※回答は全ての項目を全うしていなくても結構です。」と書いてあるにもかかわらず、時間が掛かっています。
 先日ショーをご覧頂いた二人が、「カウンセラーの息子役の髪の長さが、以前よりも長くなったのではないか。」と言っていたことをふと思い出しました。その日は代役。もしかすると、髪の捌き方が熟練していないのかな、と気付いた時に、どなたかが「代役だと髪が鬱陶しく見える。」と言っていたことを思い出しました。今日は髪の長さを活かした演技をご覧頂けるかと思っていましたが、今日も彼はお休みで、代役となってしまいました。
 私は何となくいつもより緊張していました。そのためか、ライトが眩しく感じてしまいました。でも、その一回目も、お客様を迎えた二回目も無事に終わり、ほっとしました。
 終わってから彼女達と話すと、配役とご覧頂く位置により、だいぶ印象が変わることが改めて分かりました。森のシーンのデュエットとソロの印象の違いは、日本人らしい感想であるのかもしれませんが、納得できて興味深かったです。

待機していました

2009-04-08 | KA
 日本から届いたお手紙の中に、約10年前の雑誌のコピーが添えられていて、懐かしく眺めました。『リトルマーメード』を踊ってから、もう10年も経つのですね。
 今日は代役の予定でしたが、彼女は先週から熱を出して休んでいるので、もしかすると出演するかもしれないと思いながら早目にMGMへ行きました。珍しく、双子の男の子も同じ日が代役の日でしたが、本役のシェリーも早目に来ました。そこでいろいろ話していると、シェリーは代役の日にはトレーニングルームで走ることにしているそうですが、それは代役が出ると確信できるまでやらないと言っていました。「走ってショーが出来なくなることはないのだけれども、200%でショーに臨みたいところ、走ると少し疲れたり筋肉の様子も変わるから150%位になる気がするの。100%は出来ているわけだからお客さんには分からないと思うけれど、私には違いが分かるから…。」その感覚、良く分かります。
 あいちゃんに会うと、29年の人生で一番ひどい風邪を引いたと言っていました。お母様がいらしている時で良かったです。そして、「今日はサプリメントを飲んで頑張ります」と。一応、いつもよりもそのつもりで待機をしておこうかと思っているところに「大丈夫だと思いますが、ぶっ倒れるかもしれないのでよろしくお願いします。」と。出ると決めたら最後まで大丈夫でしょう、と思いながら、やはり一応いつもよりも気を付けながら待つことにしました。
 昨日は腕の細さが、今日はふくらはぎの細さが気になったので、今日は、新しくなる度に軽くなっていくフルートに少し重さを足しました。トレーニングルームでそのフルートを回して様子をみていると、ロープに登り始めたアーティストが目に付きました。そして、ロープを見て思わず登りに行ってしまいました。久しく登っていなかったので、足の掛け方を忘れていましたが、教えてもらうと猿のようにスルスルと登れました。上まで行くと、ここの天井の高さをさらに感じます。上からはスーッと下りられると思いきや、ロープがゴツゴツしているのと、靴下を片足脱いでしまったので、腕を使って下りることになりました。下りると周りに居たアーティストから拍手。ピラーズもなくなり、みなさんフルートを回している私しか普段は見ないので、ロープを登れたことに驚いていました。私はゆっくり登った方が疲れると思ったこともありスイスイ登ったのですが、それがまたみなさんの想像より速かったようでビックリしていました。上腕二頭筋を“使った”と言う感じです。気を付けながら待とうと思いながら、こんなことをしてしまい、「あいちゃん最後まで頑張ってね。」と呟きました。腕は細くなりましたが、まだ力はあるようです。でも、太ければ疲労も少なく済むことでしょう。機会があったらまた登ることにします。
 一回目のショーが終わると、友人に「今日は友達が来るんだ。」と言われました。“友達”は、私も会ったことのある人とその家族なので、出演できずに残念だなと思っていると、カウンセラーの息子役のミロが二回目のショーはアウトになることが分かりました。ギターリストのリオネルもまぶたの調子が悪く舞台に上がっていませんし、ちょっと残念です。明日は私の友達が観に来るので、二人とも具合が良くなり、舞台に立てることを願います。
 一回目が終わり食事をしているあいちゃんに様子を訊くと、大丈夫そうとのことなので、私も安心してマッサージを受けることにしました。自分がショーに出る日はマッサージを受けたくはなく、また、特にジャイロキネシスをしていると、マッサージを受けたいという感覚にもあまりならないのですが、先日のふくらはぎのこともあり、機会がある時にはマッサージもうまく使って、身体の手入れをした方がいいのかと思います。
 二回目のショーも代役の代役はしないで済んだので、少し早めに帰宅をしました。そしてメールを開けると…私の友人がショーを観に来ていたことが分かりました。「ショーが終わったら会えるかしら。」あらら…。メールの返信をして、その後電話も掛けて、謝りました。また是非来て下さい。

ミス達

2009-04-07 | KA
 クリエイションからのアーティスト、サラは産休でしばらくショーから離れていました。女の子を無事出産し、時々その赤ちゃんを抱いてKAを訪れると本当に嬉しそうにしていました。そして、彼女はその子とたくさんの時間を費やすことを選び、ショーを辞めることを決めました。彼女は、ここへ来る前に東京ディズニーシーでアリエルをしていました。そして、ミス・フィットネスに選ばれるほど美人な彼女はまた、知性的であり親切であり、今日のスピーチも素敵でした。仲間が去るのは淋しいことですが、お母さんといつも一緒にいられる赤ちゃんは幸せだと思います。
 ミーティングで、「一回目のショーにミスAが来ます。」と知らされました。ミス・アメリカのことかな、と思っていたのですが、それにしては確保してある座席の数がたくさんあるようでした。その後しばらくして広報担当者に会うと、「言い忘れていたのだけれども、ショーが終わったら彼女達に会ってくれる?」と。一回目のショーの後は時間がないので、二回目の準備をどうしたらいいのかを考えると、彼女達に会うという事より緊張をしました。キャラクターとしてではなく、一人のアーティストとして会う事になるので、何かを羽織り、話をしていいとのことでした。
 集合時間はショー終了後の20時40分。ロビーに出ていこう劇場へ入ると、たすきを掛けている“彼女達”はたくさんいて、きれいに2列に並び、これからロビーへ出ていくところでした。私達はその後をついていき、その後みなさんとお話しすることになりました。
 たすきを見ると各州のミス・アメリカ候補が来ているのが分かりました。みなさん本当にお綺麗で…。そしてそれは、中身から溢れ出てきている美しさなのだな、とお話を伺いながら思いました。楽しさに時間はあっという間に過ぎ、最後に集合写真を撮ることになりました。その時、私が羽織っていたものを脱ごうとすると、さっと受け取りに来た彼女達の付添の方の配慮も素晴らしいと思いました。帰りがけに「私もバトンをしていたのよ。」と言う方がいらしたのですが、お話しする時間がなく残念でした。
 さて、戻ると20時57分。おおよそ、二回目のショーのためにカツラをつけに行く時間でした。今日はもう、外さずにつけたままにすることにしました。
 二回目のショーにはお客様を迎えることになっていたのですが、“ミス”の方々にお会いしていたので、余裕を持って準備をすることができませんでした。こういう時は「もう2000回もやっているのだから。」と言い聞かせます。
 今日のお客様は、つい先日行われたバトントワリングの全日本選手権大会を観に行っている若い二人。競技を観に行った二人に、ここでの私のバトンはどう映るのだろうと思っていました。すると、二人はとても喜んで下さって、私もとても嬉しくなりました。お二人が以前にご覧下さったのは、まだピラーズと呼ばれるシーンがあった時とのこと。お二人が言うように、確かにその後いろいろなことが変わりました。いい方向に変わっていますように。
 心弾みながら、帰路につこうと自転車に乗ると「あれ!」テールライトがありませんでした。このテールライトはドライバーがないと取れないようになっているのですが、すっかりきれいになくなっていました。でも、サドルがなくなってしまった時よりは、理解できます。気を付けて自転車を漕ぐようにしました。
 今晩は、強風。いつもは漕がずにすーっと下りる坂も、今日は漕がないと止まってしまいます。平らなところも立ち乗りで、グイグイと進みました。今日は心満たされていたので、テールライトのことも強風のことも、気にはなりませんでした。

IRA

2009-04-06 | 日記
 洗濯物を干しながら、どことなく淋しい秋の風を感じてしまったのは、今朝バトンの先生をお見送りしたからでしょうか。でも、先生は今頃機内かしら、乗り換えは順調だろうかなどと考えている間に、今度はまた新たなお客様が到着する時間になり、外も暖かくなってきました。やっぱり春です。

 IRAというアメリカの年金プランの申し込みを、いつもと違う銀行でしてみることにしました。先日その銀行へ行くと、支店では取り扱わなくなったので、申込用紙を持って帰って、それに書いてある電話番号に電話をしてみるよう言われました。こういうことを電話でするのはとても心配です。他にしてくれる支店があるのか、折を見て調べながら電話をせずにいましたが、そろそろ締め切りも近くなり、頑張って電話をしてみることにしました。よく分からなかったら、今までの銀行ですればいいかなと。
 電話に出た方は感じ良く、電話で出来ると言うところを心配なので直接対応して下さる支店を紹介して欲しいと頼むと、親切に一番近い支店を教えて下さいましたが、そこは一度行った支店でした。その支店へ行っての対応を話すと、書類が手元にあるのなら一緒に書き込んでいきましょう、とまた丁寧な応対。ここで分からなくなったら、今までの銀行ですればいいかなとまた思いながら、お願いすることにしました。
 彼の指示に従い記入をしていくと、最後にはどう入金するかと言う事になり、それを確認すると、完成。そしてその用紙を送ればいいという事でした。でも、私は心配で郵送以外の方法、支店に出向くという事を選び、それから行ってみました。
 その支店はまた嬉しくない応対。まずはここでは取り扱っていないと言われました。それから電話で話したことを言うとようやく対応してくれることになりました。持ち込んだ書類のほかに運転免許証のコピーなどの書類を添えて万全にして送って下さることになったのですが、手続きには2週間ぐらい掛かると。税務処理上の締め切りは15日。申し込んだ今日の日付がそこに反映されることを願います。

 夕方からは、今日ラスベガスに到着した方々と会う事にしました。全日本の大会を観に行った二人には、新しくなった大会のことを含めいろいろなことを聞くことができ楽しかったです。種目の増えた全日本バトントワリング選手権大会のことは、まだすべてのことを理解していないと思います。競技を離れたから分からなくてもいいという事ではなく、きちんと理解しておくべきだと思います。

イースター・ボネット

2009-04-05 | 日記
 今日も良く分からずに、仲間が参加をする“何か”を観に行きました。場所はリオスイートのあのチッペンデールの舞台。チケット売り場はどこかと探していると、KAで帽子を担当しているブランディがいらして場所を教えて下さり、一緒に観ることになりました。
 ブランディに訊きながら“何か”の様子が分かってきました。もうすぐイースターがあります。その時にかぶる帽子をイースターボネットといい、今日はそれのコンテスト。ラスベガスで事業をしている団体が参加出来ると言う事でした。主催しているのは、神父さんを中心にHIV感染者ととエイズ患者の支援をしている団体で、チケットの収益はそこに寄付されます。
 コンテストが始まると、いろいろなボネットが出てきました。実際にかぶりたいと思うような素敵なものは少数で、思わず笑ってしまうものばかりでした。例えば花屋さんは生花をふんだんに使って頭を覆い、その上に大きな蝶を置いているもの。モデルの方は男性だったようですが、上品に輝く黒のドレスを着て艶やかにお化粧をして全体に素敵なものでした。事務用品を売っているお店は、コピー用紙を積み上げてクリップを垂らしたものだったり、教会は、1メートルぐらいありそうな教会の模型を頭にのせた修道女が出てきたり。各ショーからの参加となると、ボネットを披露する前にダンスやコーラスなどを数分してからおもむろにボネットをかぶった人が出てきたりします。『ジュビリー』は、あのショーらしくピンクの羽を使った素敵な帽子。『オペラ座の怪人』は、あのショーらしくキラキラ輝く豪華な感じ。『チッペンデール』は、あのダンサー達のフィギュアモデルがぐるりと取り囲まれているものでした。『ジャージーボーイズ』は、あのショーに出ている主役の方々がショーの中の一場面をするところから始まったので、ボネットが出てくる前に客席からはシャッターを切る音が聞こえました。
 さてさて、「次だよ。」とブランディに言われると、KAの仲間の登場を待つことになりました。参加団体名は『KA』ではなく『Art of Love』。まずはブライアンが出てくると、筆を持ってキャンバスにハートを描き始めました。そこへ同じハートの付いた衣装を着たエリカが登場します。KAでメイクを担当するティッシャはバレエシューズを履いて踊り、ピエールルックがボールのジャグリングをしながら現れると、ボビーが宙返りをして横切りました。ケリーはスティルツと言われる竹馬のような物に乗って現れ、それを見たことがなかった私はビックリしました。そして最後にエリカとブライアンが少し間隔を空けて並ぶとそこに大きな板が載せられ、脚が長く背が高くなっているケリーがもう一つ棒をその上に載せ、三つの扇子を一つ一つ広げました。扇子を広げると“Art of Love”と単語が並び、板の端からは布が出て来てそれを広げてボネットの完成です。
 彼らの作品は、それまでのものとは全くと言っていいほど何もかもが違かったので、反応をどうしたらいいかという感じの客席。私は好きでしたが、さてこのボネットはどう評価されるのだろう…。
 全てのボネットが紹介されると、もう一度それをかぶった人たちが登場し、舞台を一回りします。エリカとブライアンのかぶったものは、二人にかぶせたあることもあり大きく不安定で、小さな舞台を回るのが大変そうでした。
 結果発表は3位から。同点の3位がいくつかあり、同点の2位がいくつかあり、「ふーん。」と思いながら聞いていると、なんと1位はKAの仲間『Art of Love』でした。びっくりして跳びあがって喜んだのは私達観ている側だけでなく、舞台に立っているみんなもです。
 終わると、振付をしたローラに会いました。これはローラが中心になって行ったものかと思うとそうではなく、衣装部屋のジェニーが持ちかけたもので、彼女が衣装もボネットもすべて作ったという事でした。彼女はとても喜んでいて、また、楽屋に行くとメイクなどを手伝った他の衣装部屋のみんなも本当に嬉しそうでした。
 彼女のボネットだけでなく、他のボネットのほとんどが寄付され、オークションに掛けられるという事でした。
 アメリカへ来て感心することの一つは慈善事業への参加です。出来る人が出来ることを気負わずに出来るこの雰囲気は素敵だと思います。参加したみなさん本当におめでとうございました。

そして今を歩む

2009-04-04 | KA
 練習をしながら、昨日バトンの先生に頂いた感想を思い出しました。「バトンがクルクル回るスピードと、間に入るゆっくりとした動きの対照が良いよね。」幼い頃に教えて頂いたその先生と、大人になりかける頃から教えて頂いたもう一人の先生と、お二人のご指導の“お蔭”がそこに上手く現れているのかもしれない、そう思うと、私が歩んできた道の全てを生かしながら今を歩めているようで、嬉しくなりました。
 従者役のカールに呼び止められると、また嬉しい言葉を頂く事になりました。「昨日、僕の友達が観に来たんだけどね、その中にカリフォルニアの大学で演技の指導をしている人がいて、ノリコのことを取り上げて褒めていたよ。」役者としての演技はまだまだ分からないことばかりですが、専門家の目に留まるということは嬉しいことです。
 今日は新しい衣装をデビューさせました。嬉しい日にデビューをすることになりました。

だから私も出来ることを

2009-04-03 | KA
 曇り空、玄関を出ると風が冷たくて、ジャケットを取りに戻りました。また冬に戻ったような寒さです。
 更衣室へ入ると、届け物が二つありました。絵はがきはチリから。お正月にショーをご覧頂き、その後も旅を続けて今は南極へ行こうとしているとか。そして、宛先を見てビックリ。彼女が書いた住所は『USA Las Vegas MGM grand KA MGMグランド内 KAシアター』。あとは私の名前だけ。それだけで届いたのは、彼女の強い思いが郵便局の方に伝わり、心を動かしたのでしょうか。細かい字でぎっしりと書かれている彼女の思いと言葉に、心嬉しくなりました。
 そして届いたもう一つのものは、同じ日にショーをご覧頂いた彼女の先輩からでした。日本とチリから別々に出しているのに同じ日に届くとは、何という偶然。粋なこのご夫婦には、私も日本人として素敵に生きていこうといつも思い知らされます。彼らの工房の写真と、とても素敵なチリの山々の絵はがきは、すぐに目の前の鏡に飾りました。今日は自分自身に自信を持ってショーに臨めそうです。
 今日のジャイロキネシスのクラスに付き合ってくれたのは、ゲイルとマリレン。マリレンは初めてなのでいろいろと質問があり、私も勉強になりました。しかし、実験的に使用してみたイスの出来は悪く、またやり直しです。
 一回目のショー、踊り終わると次第にふくらはぎの様子がおかしくなりました。ほぼ痛みがなくなったところで、また痛み。様子を見ながら動きを少し大きくしましたが、やり過ぎたのでしょうか。悄悄としました。しかし、まだ二回目もあります。元気を失っている場合ではありません。
 痛みを確認しながら舞台裏を歩きました。落ち着いてみれば悪い痛みではないようです。いわゆる筋肉痛のひどいような状態。もしかするとテープの貼り方が悪かったのでは、とも考えられました。テープは悪影響を及ぼしていそうな部分をはがし、以前教えて頂いたことなどを考えて、足の裏を“治りん棒”で緩めました。“治りん棒”は、日本に居る時に身体を診て下さっていた先生が特注してプレゼントして下さった貴重な棒で、名前は私が付けました。ショーが始まり、パージェントというシーンをしている間は、私はクリフデッキから下りることが出来ないので、クリフデッキに乗り込む時に“治りん棒”を隠し持って、そこでも緩め続けました。
 でも、痛みは残ったままです。ここで、無理をしていいのか、危険と思われる動きはしない方が良いのか、何度も考えました。このショーには、初めてバトンを教えて下さった先生がいらしているのです。しかし、よく考えて無理をしないことに決めました。痛みはアキレス腱に近いところでした。今度はアキレス腱を切った、となったら大変です。この痛みの原因が分からないうちは、残念でもそちらを選ぶことにしました。もしかすると、そうすることで、後で先生にお会いした時に、また何か自分のためになる感想を伺う事が出来るかもしれません。
 踊り始めると、先生に教えて頂いた幼い頃のことを思い出しながら、今出来ることを丁寧に積み重ねていくことになりました。ショーの最後に舞台の前方へ行くと、目の前に先生がいらっしゃいました。優しく微笑んで手を振って下さる姿に、涙がこぼれそうになりました。
 ショーが終わると、すぐに身体の先生にご連絡を頂きました。私が思っていたことは大体合っていたようで、先生からは心配がないとお聞きして、安心しました。ラスベガスに居ながらも、頼りにさせて頂ける先生の存在は本当に有り難いです。
 着替えると、バトンの先生とお食事に行きました。「今日のはまとまりがあって良かったわ。」とおっしゃる先生は、何回かKAをご覧頂いているのですが、今回はいろいろと見えることがあったようで、何度も何度も「良かった。突然だったけれどラスベガスに来ることにして本当に良かった。」とおっしゃって下さいました。そして、「あなたはプレーヤーでいた方が良いよ。まだまだ動ける。動けるうちはやっていた方が良いよ。」とも。嬉しいお言葉でした。また、思い出す度に今日の感動を口にして下さるのと同じように、「生徒のこと連れて来てあげたくなっちゃった。いつにしようかな。」と何度も考えていらっしゃいました。是非また、すっかりお元気になられた先生と、こちらでお会いできますように。
 外は縮こまるほど寒かったです。でも、私の心はすっかり温かくなりました。たくさんの方に支えて頂き、今日一日を終え、今日だけではなく、いつもいつもたくさんの方々のお蔭で過ごしていけることを改めて思い出すことになりました。様々な立場から、いろいろな角度から、変化に富んだ励ましを頂ける私は本当に幸せ者です。

私達なら出る

2009-04-02 | KA
 チケットを買いに行くと、担当して下さった方がとても親切で、彼女はいつも親切なのですが、さらに今日は面倒な作業を快くして下さいました。いつもありがとうございます。

 ケガなどでショーを休むことについての話で、シェリーとジェニファーと三人で盛り上がりました。彼女達も仕事熱心なので、アウトにはなるべくならないようにいろいろと考えているようでした。
 ジェニファーは、3週間ぐらい前に足首が倍になるくらい腫れてしまったそうです。私は全く気が付きませんでした。そして、私と同じようにDVDを見て、歩き方は大丈夫か、走り方は大丈夫か確認をしたと聞き、笑いました。
 この話の始まりは、双子の男の子の代役が指のケガをしてから一か月以上が経ち、影絵が出来るぐらいに回復したかどうか、シェリーがこれから確認しなければならないことを話してです。「彼はケガをしてからも、中国武術ではショーに出ていてあんなに激しく動いているのに、影絵が出来なくて代役を何週間も休んでいるとは考えられない。」と言うシェリーに、私は「私は分かるかな。突き指をしても他の指を使ってバトンを回すことは出来るけれど、あの繊細な影絵の動きは出来ないかもしれないもの。」と言うと、「やりようによっては出来るでしょ。工夫するかしないかの問題。それに元々上手ではないのだし。私はショーに出るのが好きだからいいけどね。」厳しいご意見でした。
 フィジオに行ってもケガや痛みを治してもらうことが期待できないとは、二人もやはり思っているようです。あるアーティストが、ここでは治してもらえなかった痛みを、自国へ休暇で帰った時に簡単に治してもらうと、こちらに戻ってきた時に「フィジオを信用していない。」と怒られて、話し合いにまでなってしまったという事を教えてくれました。私は帰国した時にいつもすることなので、気を付けようと思います。
 若い二人はアメリカ人。こんなに仕事熱心で責任感が強いのは、日本人の血が混じっているからでしょうか。

え、先生!?!?

2009-04-01 | 日記
 バトンを初めて教えて下さった先生から電話があり、ビックリすると「今、サンフランシスコ。」と。思わず大きな声を上げてしまいました。あ、今日はエープリルフール?。しかし、本当のことでした。私はビックリしすぎて頭が働かず、お一人でいらしているとお聞きしたのに、空港にお迎えにも行けませんでした。

 買い物に自転車で出掛けてみました。脚は大丈夫なようです。北へ行き欲しいものが見つからず、南へ行き使えそうなものを見付けました。でも、それは大きくて自転車では運べません。さらにこの強風では軽過ぎて飛んでしまいます。車で出直しました。
 夜帰宅をすると、早速それを使って座り心地の良いイスに直してみようと作業を開始しましたが、思うような心地よさは得られませんでした。またやり直しです。