山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

絶滅への道をたどるマゲシカ

2019-01-16 00:08:13 | 文化・芸術

今月の9日―
政府が日米合意に基づく米空母艦載機の陸上離着陸訓練-FCLP-の硫黄島からの移転先として、
鹿児島県西之表市にある無人島の馬毛-マゲ-島を160億円で買い取ることで、地権者と大筋合意した――
との報道に、その巨額さに驚かされつつ、どんな背景や事情に拠るものか、と調べてみる気になった。
馬毛島は、種子島の西方12kmの東シナ海上に浮かぶ、面積8.20㎢、周囲16.5km、最高地点は島中央部の岳之越で高さ71.7mという、ごく平坦な小島である。
この島のみに固有分布するというニホンジカの亜種マゲシカで知られるが、
2000年頃には500~600頭生息していたというこの希少種マゲシカも、岩石採取などの乱開発のために激減しているとみられ、この政府決定でいよいよ絶滅への道をたどることになるのだ。
歴史的に概観すれば、
弥生時代には人が住んでいたとみられる椎の木遺跡が島の南部に残り、
奈良平城京の時代にはすでに鹿革を年貢として納めたという記録がある。
鎌倉時代の1201年、平信基が種子島の領主となり、馬毛島は種子島家の属領となり、
江戸時代中期には、種子島家は馬毛島の漁業権を池田.洲之﨑.塰泊の三浦で許可している。
鎌倉時代に遡る馬毛島のトビウオ漁は、漁期になると島の海岸近くに漁師たちが季節移住して賑わった、という。
しかし、古代はともかく中世以降、人が定住していたという痕跡は見られず、ほぼ無人島であったろう、とされている。
馬毛島に人が定住したとみられるのは、南部で牧場経営がされていた昭和初期と、第二次大戦後の食糧難期に引揚者や種子島の農家の次男三男らによる入植が始まった1951年頃からで、1959年のピーク時には113世帯528名が集落を形成したが、
高度成長期から出稼ぎや離農による人口の過疎化がはじまり、
1973年には、国家プロジェクトの「石油備蓄構想」を見込んだ平和相互銀行が、傀儡会社馬毛島開発による島の買収を行なったため、人口減少はさらに加速、1980年には完全に無人島化した。
1995年、立石建設が馬毛島開発を買収して子会社化し、その後社名をタストン・エアポート株式会社に変更されている。
その開発計画は、日本版スペースシャトル-HOPE-の着陸場や使用済み核燃料中間貯蔵施設の誘致などが構想されたが、実現をみることはなく、わずかに採石事業などが行われてきた。
2006年には4000m滑走路建設の測量を目的に大規模な伐採が行われ、
翌2007年には、米軍空母艦載機の離発着訓練の候補地であると新聞報道され、地元では反対署名活動がひろがっていった。
以後、立石建設の脱税問題や債権者によるタストン・エアポート社破産申請など、
紆余曲折の騒ぎの果てに、このたびの政府発表「160億円で馬毛島購入」の断である。

読了―牧洋一郎.他「馬毛島、宝の島」南方新社―☆4
読了―斎藤貴男「<明治礼賛>の正体」岩波ブックレット―☆3

―今月の購入本―2016年09月

◇梶井基次郎.他「青春の屈折〈上巻〉―全集 現代文学の発見 第14巻」學藝書林
◇中野重治.他「革命と転向―全集 現代文学の発見 第3巻」學藝書林
◇大岡昇平.他「孤独のたたかい―全集 現代文学の発見 別巻」學藝書林
◇佐藤春夫.他「方法の実験 ―全集 現代文学の発見 第2巻」學藝書林
◇最首悟.他「現代思想 2016年10月号 緊急特集*相模原障害者殺傷事件」 青土社
◇広河隆一「チェルノブイリ報告」 岩波新書
◇生井久美子「ゆびさきの宇宙―福島智・盲ろうを生きて」岩波書店
◇加藤陽子「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」 新潮文庫
◇野矢茂樹「心という難問 空間・身体・意味」講談社

嗚呼、汝、破草鞋なり… 山頭火!

2019-01-12 00:10:43 | 文化・芸術


生死を生死すれば、生死なし
煩悩を煩悩すれば、煩悩なし
自性を徹見して本地の風光に帰入せむ

嘻―嘻―、やっと解放された!!
実は、正月を挟んだこの1ヶ月ほど、
悩ましくも些か苦い日々を過ごしてきたのですが…
今夕、やっと解放され、ようやく初春を迎えた気分!!
悩みの種だったその正体については、
勝手ながら、ヒ・ミ・ツ・にさせていただきます、ネ。m(_ _)m



そうそう、この二日間、ご心配をかけました、岸本おじさんの入院問題―
本日、病院へ行き、治療後の担当医師との面談で、
本人の希望も考慮の上、その必要なし、となった由、報せがありました。
誠に善哉、善哉、です。
来週の水曜日―16日には、
いつものようにガイドヘルパーと一緒に、岸本おじさんの九条詣で、
いつものように鰻重に舌鼓、茶店で愉しいひととき――
を、過ごすことになるでしょう。

―今月の購入本―2016年08月

◇岡田喜秋「定本 山村を歩く」 山と渓谷社
◇岡田喜秋「定本 日本の秘境」 山と渓谷社
◇大津 透.他「古代天皇制を考える ―日本の歴史 08」
◇熊谷公男「大王から天皇へ ―日本の歴史 03」
◇シェイクスピア・小田島雄志.訳「マクベス」白水社Uブックス
◇シェイクスピア・福田恒存.訳「マクベス」 新潮文庫
◇P・ジェイムス・ホーガン原著.星野之宣「未来の二つの顔」 講談社漫画文庫

車椅子の詩人岸本おじさんの「竹の花」

2019-01-10 23:53:59 | 文化・芸術
朝から宝塚へ、安倉南の岸本おじさん宅に赴き、夕刻帰参。
役所の障害福祉課と介護保険課へ、M君と共に三人で出向いた
担当のケア・マネさんとも、一時間余か、いろいろと話し合った。
お互いに抱いていたであろう誤解や行き違いは、かなりほぐれたかに見える。
あとは、彼自身の意志しだい、忌憚なくハッキリと伝えることだ。
それを何度も確認し合ったうえで、別れてきた。

岸本康弘の「竹の花」-2006.07.04記

国内紛争の絶えないネパールのポカラで、学校に行けない最下層の子どもらのために、自ら小学校を作り、現地で徒手空拳の奮闘をつづけている車椅子の詩人こと岸本康弘は、20年来の友人でもあるが、その彼には「竹の花」と題された自選詩集がある。
その詩集の冒頭に置かれた「竹の花」の一節――、

少年のころぼくは粗末な田舎家で竹やぶを見やりながら悶々としていた
強風にも雪の重さにも負けない竹
六十年に一度花を咲かす竹。
半世紀以上も生きてきた今
ぼくも一つの花を咲かそうとしている
阪神大震災の時落花する本に埋まりながらストーブの火を必死で止めて助かった命
壊れた家をそのままにして、数日後機上の人になり
雄大なヒマラヤを深呼吸していた、太古に大地を躍らせて生まれたヒマラヤあの大地震も、の高山も天の啓示のように思えてきた。
それが語学校作りの計画へ発展していったのである。
―略―
初めは十三人で十日目には六十人になっていた。
薄いビニールの買い物袋に、ぼくが上げたノートと鉛筆を入れて、幼子が雨の竹やぶを裸足で走ってくる
ぼくは二階から眺めて泣いていた
こんな甘い涙は生まれて初めてのように思われる
帰国する前日、子どもたち一人々々が花輪を作りぼくの首にかけてくれる
おしゃか様になったね!と職員らがほほ笑む。
夜ヒマラヤを拝んだ
竹は眠っているようだった
螢が一匹
しびれが酷くなっていく手に止まった、その光で
ぼくの花が開く音がした

彼がこの詩を書いてより、すでに8年の歳月が流れた。
この8月で69歳を迎えるという彼は、生後1年の頃からずっと手足の不自由な身であれば、おそらくは、健常者の80歳、90歳にも相当する身体の衰えと老いを日々感じているはずだが、命の炎が尽きないかぎり、ポカラの子どもらとともに歩みつづけるにちがいない。
60年に一度きり、あるいは120年に一度きりとの説もあるが、一斉に花を咲かせ、種子を実らせて一生を終え、みな枯死する、という竹の花の不可思議な運命。それはこのうえなく鮮やかで見事な生涯でもあり、残酷に過ぎるような自然の摂理でもあるような感があるが、竹の花に擬せられたかのような岸本康弘の生きざまにも、また同じような感慨を抱かされるのだ。

2016.07―今月の購入本―2016年06 & 07月

◇大山誠一「天孫降臨の夢―藤原不比等のプロジェクト」 NHKブックス
◇里中満智子「古事記 壱:」小学館 マンガ古典文学シリーズ
◇前山和宏「末期がん逆転の治療法」幻冬舎
◇水木しげる「水木しげるの古代出雲」 角川文庫
◇中村啓信「新版 古事記 現代語訳付」 角川ソフィア文庫
◇武田英子「地図にない島へ」農山漁村文化協会

岸本おじさん、入院の大ピンチ!!

2019-01-09 23:18:27 | 文化・芸術


水曜日-今日も九条へやって来た車椅子の岸本おじさんと
いつもの鰻屋、そして、いつもの茶店で語らっていたのだが……
付き添ってきたガイドヘルパーの話によると、

岸本おじさんの担当ケア・マネさん――
入院治療を嫌がる彼に、とうとう業を煮やしたか、
どうやら強引に話を進めた模様で、
明後日に、入院措置を取るべしと、
病院への送迎を手配し、
おまけに病院には、彼の弟と妹を呼んでいるそうな……

コイツはなんとか対抗措置を取らなければならぬ。
急遽、明日は宝塚行き、だ――

―今月の購入本―2016年05月

◇梅原 猛「葬られた王朝―古代出雲の謎を解く」 新潮文庫
◇恵美嘉樹「日本の神様と神社―神話と歴史の謎を解く」 講談社+α文庫
◇孫崎 享「これから世界はどうなるか―米国衰退と日本」 ちくま新書
◇パウル・クレー「パウルクレーの芸術」 Kindle版
◇モンドリアン.他「モンドリアンと抽象絵画」Kindle版-世界の名画シリーズ
◇高島俊男「漢字と日本人」 文春新書
◇大岡 玲「不屈に生きるための名作文学講義」ベストセラーズ
◇津田一郎「心はすべて数学である」文藝春秋
◇上妻純一郎「レンブラント大全」 Kindle版

五十歩百歩、されど…

2019-01-08 23:40:13 | 文化・芸術
ちょうど十年前の一文だが
この間、まあいろいろと御座ったものの
あまり変わり映えはしない、ネ。



五十歩百歩、されど… -2009.01.08記
歳を重ねるごとに涙腺が弛む、なにかにつけて涙もろくなるというのは、どうやら当を得たことのようだ。
新しい年が明けたというに、新聞を見てもTVのNewsを見ても、どうにも暗い話題ばかりが眼につく昨今のご時世だが、それらの記事や報道ひとつに、はからずもつい涙してしまうことが、この頃ずいぶんと多くなった自分に、いまさら気づいては少なからず驚いたりしている。
はて、どうしてこんなにも涙もろくなってしまったのか、自分はこんなんじゃなかった筈なのに、伝えられる事件などの背後に潜む、その人の定めというか軛というか、そんなものが記事や報道から垣間見られたりすると、もう堪え性もなく涙してしまうのだ。
どう考えても若い頃はこんなじゃなかった。
自分というものを、兄弟であれ友人であれ先輩であれ後輩であれ、あるいは本のなかの虚構の人物であれ実在の人物であれ、他者とのあいだに共通項を見出すことなどそう容易にはありえなかったし、むしろ他者と区別すること、他者との異なりにおいて自分を見出そうとしてきたし、そうやって自分の像を作ってきたのではなかったか。
それなのに、もういつ頃からだろう、60歳を境にした頃からはとくに目立ってそうなってきたような気がするのだ。
考えてみれば、これはやはり、自分自身の人生観、その転変と大きく関わりがあるのだろう、と思える。そんな気がする。
自身の向後の人生が、これ以上のことはなにほどのこともなくほぼ定まっているかに見えてしまうようになった時、人は我知らずある諦観に達してしまうのだろう。
その諦観から、それまで自分とは大いに異なっていた筈の他者の人生が、そんなに違いを言いつのるほどのことじゃない、まあ五十歩百歩なんじゃないか、とそう受け止められるようになってくるのだろう。
そうなれば、無縁の他者に対してすらも同化しやすくなる、縁もゆかりもない他者の出来事にもかかわらず、その定めや軛に思わず感情移入してしまい、ついつい涙することも多くなる、ということか。
ある種の諦観や達観を境にして、たいした違いじゃない、五十歩百歩なのさ、というのも一方の真理なのだろう。
さりとはいえ、小さくとも違いは違い、その小異が大きな意味を持つ、というのもまた真理なのだろう。
願わくば、その両方に跨って大きく振れながら、残された命を生きたい、と思う。

-今月の購入本-2016年04月

◇「河北新報のいちばん長い日―震災下の地元紙」 文春文庫
◇朝日新聞社「東日本大震災―報道写真全記録2011.3.11-4.11」朝日新聞出版
◇「ミケランジェロ画集」Kindle版-世界の名画シリーズ
◇「カラヴァッジョ画集」Kindle版-世界の名画シリーズ
◇雑誌「芸術新潮 2016年 04 月号」
◇ジル・ドゥルーズ「差異と反復」河出書房新社