山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

お山しんしんしづくする真実不虚

2005-06-17 15:16:03 | 文化・芸術
N-040828-032-1
  「In Nakahara Yoshirou Koten」

<日々余話>

<三浦つとむと吉本隆明の所縁>

偶々なのだが、吉本隆明のかなり詳細な年譜を見ていると
1989年の件に、(この年の1月、昭和天皇の死去があるが)
「10月、『試行』の支柱的執筆者で事務上の最大の協力者だった三浦つとむ死去」という記述があって吃驚した。
「ええっ? あの三浦つとむが、吉本隆明とそんな密接な形で繋がっていたのか!」と恥ずかしながら驚き入った。
三浦つとむといえば時枝誠記の言語課程説を踏まえて書かれた「日本語はどういう言語か」
に嘗ておおいに蒙を啓かれ、そのあとたてつづけに「認識と言語の理論」三部作と、「認識と芸術の理論」まで読んだのだったが‥‥。
たしかに吉本隆明も「言語にとって美とはなにか」などで時枝誠記を引用していたし、その論理立てにはかなり近接性のあるものだとは受け止めてはいたけれど。
言語理論の世界で時枝を媒介にして、この二人に一定の共通性があるとはずっと見てはきたものの、現実の日常世界に「試行」を通してこんなに密接な関わりがあったとは、まったくそういう事柄にアンテナをめぐらさない私には思いがけないことだった。
調べて見ると、
三浦つとむは1911年生まれ、吉本隆明は1924年生まれ、一回り以上の年齢差がある。
三浦の「日本語はどういう言語か」の初版は1956年。
吉本が「試行」において「言語にとって美とはなにか」の連載開始が61年、勁草書房での初版は65年。
三浦の書が吉本に時枝誠記の言語理論を媒介しているのは間違いないところだろう。
三浦つとむの葬儀にあたっては、吉本隆明が追悼文を草し読んだらしいのだが、吉本隆明の「追悼私記」には三浦つとむへのそれは掲載されていなかった。
このあたり三浦つとむへの社会的認知度の低さゆえの選択なのだろうか、とも思われるが‥‥。


今月の購入本
 西郷信綱「古事記注釈・第2巻」ちくま学芸文庫
 島尾敏雄「死の棘」新潮文庫
 新宮一成「ラカンの精神分析」講談社現代新書
 埴谷雄高「幻視の詩学」思潮社・詩の森文庫
 田村隆一「自伝からはじまる70章」思潮社・詩の森文庫
 西岡常一「木に学べ」小学館文庫
 横須賀寿子編「胸中にあり火の柱-三浦つとむの遺したもの」明石書店
 塚本邦雄「清唱千首」冨山房百科文庫


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