―四方のたより― Reding –赤する-
次回のDance café、お題は「Reding –赤する-」とした。
哲学者であり心理学者でもあるNicholas Humphreyの著作「赤を見る」から拝借。
いつもなら「なにもない空間」を常とするわれわれの即興世界だが
このたびは「Reding –赤する-」に寄せて、赤いBallをobjectとして置いてみよう。
なろうことなら、観るほうも、じっと座ってばかりいないで
ゆっくり歩きながら見たりすると、さらにおもしろいのだけれど‥。
-Information- 四方館 Dance Cafe
四方館 DANCE CAFE -’09 vol.1-
「Reding –赤する-」
Date : 3/15 –SUN- PM2:30
Space : 弁天町市民学習センター
Admission fee : \1,500
Seeing Red
赤を見ているS=主体に起きていること
-感覚と身体表現の共時性
V.Kandinskyは言った
色は魂を直接揺さぶる力だ
色は鍵盤、眼はハンマー
魂はたくさんの弦を張ったピアノである、と
Isaac.Newtonの深紅の家具調度
Henri.Matisseの赤いAtelier
そして此処では
赤い、大きなBallたちと‥
Dance : 末永純子
岡林 綾
ありさ
仮名乞児
制多迦童子
デカルコ・マリィ
Sound-viola : 大竹 徹
piano : 杉谷昌彦
percus : 田中康之
voice : 松波敦子
Coordinate : 林田 鉄
<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>
「花見の巻」-14
物おもふ身にもの喰へとせつかれて
月見る顔の袖おもき露 珍碩
次男曰く、「物おもふ身」を月に寄せ、月光-つきかげ-を袖の露に-涙-に結んだだけの付で、遣句としても只事に過ぎるが、はこびが月の定座に当っていたから、珍碩は敢て前と二句がらみで、次句に対する恋離れの誘いとしたか。
ならば、下敷は西行の「嘆けとて月やは物を思はするかこち顔なる我涙かな」だろう。「月前恋といへる心を詠める」と詞を置いて俊成が「千載集」に選び、自ら晩年の「御裳濯-みもすそ-川自歌合」に入れ、定家が「百人秀歌-百人一首-」にも採った歌である。「深き山に澄みける月を見ざりせば思出もなき我身ならまし」と詠んだ男にとって、月は求道の鏡であり、月に寄せた恋歌は数奇以上のものだった。
いま一つの見どころ。ここまではこんで来て、この巻の発句以下第三までの趣向は、やはり「木のもとに旅寝をすれば吉野山花の衾を着するはるかぜ」の、時分を夜から昼に取替えての捩りだったか、あらためて気付かされる。「花の衾」は「ひさご」衆の願だった、と考えればわかる。「月待て仮の内裏の司召」という初座の俳もわかる、と。
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