-今日の独言-
進まぬパキスタン被災者救出。
パキスタン地震の被災者救出が遅々として困難を極めている。地震発生が8日午前8時50分、学校では授業がすでに始まっていた時間帯。さらには断食月に入った直後だけに家屋内に居た人々が多かった。丸4日経っても被災者の救出は一向に進まない。死者は4万にも達するかと予想されてもいる。また250万もの人々が野外に取り残されたままの避難生活が続いているという。
昨年末のスマトラ沖地震による津波災害においても大量の犠牲者とともに甚大な被害をもたらした。後進性と人口過密を抱えたアジア各地でひとたび大きな自然災害が起きると、これほどに犠牲者もひろがり救出・救援活動もお手上げのような状態となる。
現在のところ、救援活動として日本からパキスタンに派遣されたのは、国際緊急援助隊による救助チーム49名と医療チーム21名の計70名規模。
12日になって、防衛庁は陸上自衛隊120名の派遣命令を出し、早ければ13日にも出発させるという。これに先立ち現地調査のため先遣隊20名は12日成田を出発したらしい。
一方、イラクへの第8次自衛隊派遣部隊600名に対し、11日夕、防衛庁長官により派遣命令が出された。10月下旬にも現在駐留している第7次隊と交代のため出発する予定とか。
<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>
<恋-2>
ありし夜の袖の移り香消え果ててまた逢ふまでの形見だになし
藤原良経
六百番歌合せ、稀戀。一夜を共に過ごした相手の微かな袖の移り香だけが、唯一の愛の形見、追憶のよすがであったものを。読み下すままに簡潔にして溢れる情感が、結句「形見だになし」の激しい断念の辞と見事に照応する。
夏衣うすくや人のなりぬらむ空蝉の音に濡るる袖かな
俊成女
続後拾遺集、戀四、千五百番歌合せに。夏衣は「うすく」の縁語。思う人の情の薄く変わり果てたさまは、「空蝉」の語にも響きあう。晩夏、蝉の声を聞くにつけても侘しさに涙し、袖は濡れる。
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当時の空港は田舎の駅みたいでした。町に入ると広い通りに日本の25年前くらいの車と新車のランドクルーザーが入り混じって、これぞ貧富の差の現実だと感じました。
日本人学校の先生宅は13部屋くらいある豪邸で、3人で暮らしていました。閑散としたコンクリート作りの部屋は天井も高く、いかにも脆そうに感じていました。
町のいたるところで建築中の豪邸を見ましたが、その作り方に驚きました。
丸太の枝そのままの木材をささえにしながらコンクリートの型を作って建築しているのです。
鉄筋はほとんど入れてないと、先生は言っておられました。自分の借家も地震があったらひとたまりもないことは良く分かっていらっしゃいました。
存知よりの方は日本人学校の先生でしたか。
私はネパールへはある関わりから行ったことがありますが、家屋の建築状況は似たようなものだと感じます。鉄筋はほとんど使われていないでしょう。
後進国においてひとたび地震などの自然災害が起きると、完膚なきまでに破壊されますね。
おそらく物質的にも精神的にも再生しきるには何十年もの時間が必要とされるのでしょう。