山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

ほうたるこいこいふるさとにきた

2005-06-21 14:39:04 | 文化・芸術
1998080200005-1
   「青森県下北半島仏ケ浦」

<風聞往来>

<どう変わってゆく、ブログ社会>

「ブロガーの増加が「匿名」を吹き飛ばす? 米国の例に学ぶ」によれば、
総務省は2007年3月末に、ブログ利用者が約782万人-アクティブブログ利用者数は約296万人-になるとの予想を発表しているそうです。
この数字が、蓋然性の高いものなのか、また、伸び率として急加速状況といえるのか、
ネット先進国のアメリカや韓国事情などに疎い私には特段の論評もできないのだけれど、
ブログというコミュニケーション・エリアが、一定の社会的影響力とか世論形成への効力を発揮していく存在になるであろうことは、遅かれ早かれ現実となってゆくのでしょうね。
その必然と見える流れのなかでは、「匿名」と「実名」、或は「サイバー」と「リアル」のような対立的問題も、一過性の問題に過ぎず、やがて克服されていくのでしょう。
といっても、いずれに軍配があがるのか、是か非か、というような問題ではないと見るのが相当でしょう。
相矛盾するようなその二面性を、相変わらず内部に抱えたまま進んでゆくのが、当然の成り行きでしょうし、また、健全な推移なのだろうな、と思われます。
ただ、この国では、これまでのところ、外に向かうベクトルよりも、内向していかざるをえないベクトルのほうが強く働いてきた、少なくともネット世界では。
いえ、本当は、ネットにかぎらず、政治であれ経済であれ、この国の社会全般にわたって、内向の時代なんじゃないか、ということではないでしょうか。
もともと、新しい世界やメディアに対してもっとも敏感にリアクションしていくのは、内在する問題がより深刻な世代や層であるのが、あたりまえのことなのでしょう。
その意味で、2チャンネルの肥大現象も、小・中・高の若年層や、引き篭もり層のネット世界への浸透も、我が国事情を正直に反映した現象なのだ、と考えれば納得のいくことではないでしょうか。


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生き残つたからだ掻いてゐる

2005-06-19 02:12:23 | 文化・芸術
shinotoge

<日々余話>

「死の棘」に侵されるままに>

以前にも触れたことがあるが、私は殆ど小説を読まない読書人である。
少年期の文芸への疎遠ぶりが尾を引いたのだろうが、私の守備エリアからは、小説世界がもっとも遠いところにあるという自覚で、もう何十年このかた過ごしてきている。
ところがどうしたはずみか、ここ数日は、島尾敏雄の「死の棘」ワールドに嵌まりこんだまま過ごしてしまった。
全十二章、文庫本で610頁というかなり長大の、その扉をたいした覚悟もなく開いてしまってからは、トシオとミホのなんとも形容しがたいくんずほぐれつの結ぼれように、なにか暗い洞穴に無理矢理押し込まれ逃れ出る術もないままに、ただひたすら読み進むしかなかったというのが実情にちかい。


なに、読んでみようと思った動機のほどはたいしたものではない。
何週間かまえに、小説「死の棘」の母胎ともいうべき 「死の棘日記」が単行本化されているのを新聞誌上で知ったのだが、その紹介の書評から此方に食指を動かせたのだが、待て待て、小説の本体そのものを敬遠したままでというのも、戦後文学の代表的傑作と称される本書に対し失礼千万だろうし、ここは一番、小説から入ってみるかと思ったのだ。
著者島尾敏雄は’55年(S30)に「死の棘」に着手、’77年(S52)の最終章発表にいたるまで23年に及んで書き継いでいる。この間、’61年(S36)に芸術選奨を受け。完成翌年の’78年(S53)には日本文学大賞と読売文学賞を受賞している。
高橋源一郎氏曰く、埴谷雄高の「死霊」や大西巨人の「神聖喜劇」、武田泰淳の「富士」を差し置いても、ぼくはこれを第一位に選ぶと、「死の棘」を戦後文学最高の作品と推奨している。


夫の不貞から心病み狂気に彷徨う妻・ミホにただひたすら向き合うしかないトシオとの、果てしなくつづく地獄図としかいいようのない日常。それは妻の快癒へと闘いにあけくれる日々でもあるのだが、その決してほぐれぬ縺れに縺れた泥まみれの日常の描写が全編を貫く。出口のない堂々めぐりの回廊、微かな救済の光さえ見えぬ、あまりに非日常的な結ぼれの日々が、なにか鉛の塊状のものとなって読み手の私の喉へと力づくで呑まされ、内臓深くにまで達したような感じがして、どうも日頃の身体感覚から遠く、その感触が五臓六腑になにやら重く沁みわたっているのだ。

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お山しんしんしづくする真実不虚

2005-06-17 15:16:03 | 文化・芸術
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  「In Nakahara Yoshirou Koten」

<日々余話>

<三浦つとむと吉本隆明の所縁>

偶々なのだが、吉本隆明のかなり詳細な年譜を見ていると
1989年の件に、(この年の1月、昭和天皇の死去があるが)
「10月、『試行』の支柱的執筆者で事務上の最大の協力者だった三浦つとむ死去」という記述があって吃驚した。
「ええっ? あの三浦つとむが、吉本隆明とそんな密接な形で繋がっていたのか!」と恥ずかしながら驚き入った。
三浦つとむといえば時枝誠記の言語課程説を踏まえて書かれた「日本語はどういう言語か」
に嘗ておおいに蒙を啓かれ、そのあとたてつづけに「認識と言語の理論」三部作と、「認識と芸術の理論」まで読んだのだったが‥‥。
たしかに吉本隆明も「言語にとって美とはなにか」などで時枝誠記を引用していたし、その論理立てにはかなり近接性のあるものだとは受け止めてはいたけれど。
言語理論の世界で時枝を媒介にして、この二人に一定の共通性があるとはずっと見てはきたものの、現実の日常世界に「試行」を通してこんなに密接な関わりがあったとは、まったくそういう事柄にアンテナをめぐらさない私には思いがけないことだった。
調べて見ると、
三浦つとむは1911年生まれ、吉本隆明は1924年生まれ、一回り以上の年齢差がある。
三浦の「日本語はどういう言語か」の初版は1956年。
吉本が「試行」において「言語にとって美とはなにか」の連載開始が61年、勁草書房での初版は65年。
三浦の書が吉本に時枝誠記の言語理論を媒介しているのは間違いないところだろう。
三浦つとむの葬儀にあたっては、吉本隆明が追悼文を草し読んだらしいのだが、吉本隆明の「追悼私記」には三浦つとむへのそれは掲載されていなかった。
このあたり三浦つとむへの社会的認知度の低さゆえの選択なのだろうか、とも思われるが‥‥。


今月の購入本
 西郷信綱「古事記注釈・第2巻」ちくま学芸文庫
 島尾敏雄「死の棘」新潮文庫
 新宮一成「ラカンの精神分析」講談社現代新書
 埴谷雄高「幻視の詩学」思潮社・詩の森文庫
 田村隆一「自伝からはじまる70章」思潮社・詩の森文庫
 西岡常一「木に学べ」小学館文庫
 横須賀寿子編「胸中にあり火の柱-三浦つとむの遺したもの」明石書店
 塚本邦雄「清唱千首」冨山房百科文庫


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しとどに濡れてこれは道しるべの石

2005-06-15 14:25:59 | 文化・芸術
kuuhaku-no

<風聞往来>

「空白の一行」の、事実は小説より奇なり>

先日の日曜日(6/12)、高校時代の同窓会に行ってきた。
旧制中学時代から今日に至る百年余りに巣立っていった全体の同窓会総会で、
対象者は3万人は優に越えるはずなのに、
例年は母校食堂で同窓会幹事連を中心に数十名規模でしか集っていないと些か寂しいもの。
本年はホテル開催とし、同窓会報誌でもひろく呼びかけたというが、それでも7、80名の集いか。
高校15期会としては協議の結果、年次例会をそこへ合流させたので、私も出向かざるをえなかった次第。
最近、同期のY.H君が「空白の一行」という小説本を出版したという話は耳にしていたのだが、
席上、その本人から「是非、読んでみてくれ」と名指しで言われたからには、
推理まがいはそう気乗りがしないのだが仕方あるまいと、手にしてみた。


文芸社刊「空白の一行」、初版第一刷発行が5月15日とある。
著者名は悪源太佑介、ペンネームからして推理作家を彷彿とさせる。
帯の表には、
 もし、公証人が、「遺言公正証書」を偽造したとしたら‥‥
 そして、裁判官は真実を闇に葬った‥‥
 立花凛子が悪に敢然と立ち向かう!
 最高裁までも巻き込んだ民事事件を、ルポルタージュ手法で小説化した意欲作登場!」
とあり、さらに帯裏には、
 賢明な読者ならもうお分かりであろう。
 公証人と弁護士が手を携え悪事に手を染めることなど容易に類推でき、
 「遺言公正証書」は、いとも簡単に偽造できるということである。
 偽造が容易にできる民法969条の条文に疑問を抱くのは、私だけであろうか?
とあるが、
これだけで、現実の民事訴訟で最高裁まで争われた「公正証書遺言偽造疑惑事件」に取材したノンフィクション小説だというのは明白なのだが、
読み進んでいくうちに、この事件、どう見ても作者の近親というより、作者の妻自身がヒロインの訴訟原告らしいこと、
当然、作者自身が原告の夫として訴訟の推移そのものに深く関与しているとしか思えないものである。


読了しての第一感、本書はノベルというべきものではないし、また推理小説ともいえないだろうこと。
作者のY.H君は、小説の体裁をなんとか保ちたかったと見え、ディテールにはそんな工夫も散見できるのだが、(例えば被告側の依頼者女性とその弁護士との情交場面の挿入などいくつかの虚構化らしき断片)、
また、訴訟相手側の細部の動きなどは厖大な訴訟記録を資料として、具体的に見えない部分については類推するしかない訳で、そこは書き手の想像力に負うところではあったろうけれど、
なんといっても、公正証書遺言にまつわる相続事件が、最高裁にまで及んで係争されたという訴訟事件の、事実の推移そのものの重みがどうしても前面に出てきて圧倒されるのだ。
本書は、現行の法制や司法権力、とりわけ公証人制度にありうる危険な陥穽に対する、ダイレクトなプロテストの書であり、法治国家を支える厖大な法の網にある綻びを衝いた警鐘の書である、というべきか。
その意味では、本書で問うている問題は深くて重いと思われるし、本書の書かれた意義も大いにあるといえよう。


民法969条とは公正証書遺言に関わる規定である。
 第969条 公正証書によって遺言をするには、次に掲げる方式に従わなければならない。
 1.証人2人以上の立会いがあること。
 2.遺言者が遺言の趣旨を公証人に口授すること。
 3.公証人が、遺言者の口述を筆記し、これを遺言者及び証人に読み聞かせ、又は閲覧させること。
 4.遺言者及び証人が、筆記の正確なことを承認した後、各自これに署名し、印を押すこと。ただし、 遺言者が署名することができない場合は、公証人がその事由を附記して、署名に代えることができる。
 5.公証人が、その証書は前各号に掲げる方式に従って作ったものである旨を附記して、これに署名し、印をおすこと。
ところで、公証人というのは、判事、検事、弁護士、法務局長等を長年つとめた人々から法務大臣により任命される権威ある職制である。
全国におよそ550人の公証人がいて、約300か所の公証人役場で職務を行っているというのだから、その員数もまた極めて少なく、司法界の功なりとげたエリートたちがその晩節に与えられる特権的地位のようなものだ。


本書では、舞台を金沢へ移し、訴訟の係争も金沢地裁、金沢高裁においてとされているが、現実の係争事件は大阪で起こっていたらしい。
なにしろ最高裁で原判決を破棄、差し戻されたのだから、ネット上でも判例の検索が可能だ。
モデルとなった事件は、どうやら
「平成16年02月26日 第一小法廷判決 平成13年(受)第398号 公正証書遺言無効確認請求事件」
に該当するようである。
この判例を背景とし、本書における係争の推移を追えば、実際の事件の全貌はほぼ完全に明らかとなる。


この判例文を読んでみて、どうにも感じてしまう疑問というか、大きな問題点を一つだけ挙げておこう。
高裁の原判決を破棄し差し戻すというからには、あらためて十全な事実認定をなし、破棄理由を縷々述べたてているのだが、そのなかに
「大阪法務局は,毎年9月に公証原本の検閲等の公証事務の監査を行っており,B公証人が所属する役場においても,平成5年9月1日に同年8月31日 までの1年分の嘱託事件について抽出調査による検閲が行われたが,その際,署名押印漏れ等の不当事例や誤りの指摘を受けなかったこと」
を挙げているのだが、これがすべての公証原本の調査検閲ではなく、<抽出調査による検閲>でしかないというのに、不当事例や誤りはなかったとする傍証として言挙げしていることなどは、驚き入ったとんでもない事態である。
最高裁ともあろうものが、ざるで水をすくうような、こんないい加減な論理でもって有力な反証の一つとして掲げる、とは言語道断というべきだろう。
最高裁が高裁における事実認定をことごとく覆し、原判決が破棄され、差し戻された事件の再審は、見るも無惨なものだったろうことは想像に難くない。実際、半年も要さずあっけなく終ったようだ。


本書最終章には、原告本人からの最高裁判所長官宛の手紙が、おそらく原文のまま再現されている。
P196からP230にいたる35頁を要した、原告の思いの丈をあまり残さず述べたてた長文の抗議文書である。
その日付は、平成16年10月21日となっている。
まだほんの半年あまり前のことだ。


最高裁の判例という世界において、事実は小説より奇なりとばかり、かような怪奇な現実を垣間見せられるとは、
まだまだ権力機構のなかでは魑魅魍魎の跋扈するわが世であるらしい。



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てふてふうらうら天へ昇るか

2005-06-14 05:19:28 | 文化・芸術
ichibun98-1127-007-1
 「Ichi-Bun98-Santouka」より

<風聞往来>

<訃報二題-塚本邦雄さんと倉橋由美子さん>

稀少な存在感を示していた作家の訃報が相次いだ。
塚本邦雄さん-6月9日、享年84歳。
http://www.mainichi-msn.co.jp/search/html/news/2005/06/10/20050610ddm041040129000c.html
倉橋由美子さん-6月10日、享年69歳。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/fu/news/20050614k0000m060106000c.html


塚本邦雄氏は戦後の短歌界を牽引した前衛歌人と評された。
同じく戦後を代表する歌人の岡井隆氏は新聞誌上で「戦後短歌史において最も偉大な歌人を失った。戦後の第二芸術論で衰弱しかかった歌壇に、斬新で超現実的なモダニズムの手法を大胆に取り入れた。その手法は 現在の若い歌人に絶大な影響を及ぼした。寺山修司とともに前衛短歌運動の盟友だっただけに、寂寥(せきりょう)感は大きい。」と追悼している。
「500人を相手にしていれば十分」といっていたという塚本邦雄氏の覚悟には私のような者もしたたかに胸を打たれる。
彼の作品に初めて接したのは「半島-成り剰れるものの悲劇」という散文だったと記憶する。
旧仮名遣いと旧漢字で表記された詩情あふれる文体は能登の風土と故事を幻想の半島として見事に甦らせていたように思う。
今、手許にあるのは「源氏五十四帖題詠」。
その巻末近くに、紫式部の歌、
「年暮れてわが世ふけゆく風の音に心の中(うち)のすさまじきかな」
を引いて、和泉式部の
「夢にだに見てあかしつる暁の恋こそ恋の限りなれけれ」
に匹敵するものだと評している。


倉橋由美子氏には反リアリズムとか反小説の形容が冠せられるが、方法意識に貫かれた寓意や怪奇に満ちた虚構世界はその固有性において鮮やかな存在感を示していたとみえる。
代表作とされる「アマノン国往還記」は残念ながらいまだ読んでいないが、
よく知られた「大人のための残酷童話」や「老人のための残酷童話」「よもつひらさか往還」などが手許に残る。
訃報記事によれば、彼女が5月に訳しおえたばかりのサン・テグジュペリの「星の王子さま」が今月末にも刊行予定とか。
「星の王子さま」の新訳出版については、600万部に達するという岩波版の翻訳出版権が消滅したのを機に他の出版各社が競って新訳を続々登場させる、とのニュースもある。
http://book.asahi.com/news/TKY200505260088.html


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