山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

唐土もおなじ空こそしぐるらめ‥‥

2007-10-10 17:21:58 | 文化・芸術
Db070509rehea017

-世間虚仮- 官邸のゴミ、テレビのゴミ

政府の首相官邸に設置された、曰く「少子化」云々や「地域再生」云々、或いは「教育」「再チャレンジ」云々などなにやかやの政策会議が、雨後の竹の子のように作られて今や100を超えるとか。
首相か官房長官がトップを務めるのがそのうち76もあるそうで、さすがに福田首相も会議出席の煩瑣にたまりかねてか、休眠状態のものやら類似のものやら統廃合を促したという。
さきの安部内閣では22もの会議が新設されたのに、彼の辞任で廃止となったのはたったの4つだけ。こんな調子では無用の長物が徒花の如く咲き乱れる結果を招くのも無理はなかろう。
これらの政策会議には無論民間人からなる多くの有識者会議なるものが連座しているわけだから、金太郎飴の如くいったいどれほどのお偉方たちが名を連ねていることか。首相官邸のHPをとくと見ればこと知れるものの、あまり深追いしたくもない興醒めの話題だ。

液晶やプラズマ化の徹底で廃材となった膨大なテレビのブラウン管、そのリサイクル事情が危機に瀕している、と。
現行の「家電リサイクル法」では総重量の55%以上の再商品化を義務づけられているというブラウン管テレビは、その重量の6割を占めるブラウン管を細かく砕いて「精製カレット」にし、これを原料に再生ブラウン管を作ってきたが、国内のブラウン管需要は先細るばかりで3年後にはゼロになる見通しだから、再利用の道は途絶えかねないという。
テレビの薄型化は世界の趨勢だし、グローバル化はこれをより加速する。後発の中国や他の国々では再利用の技術さえないから、大量のブラウン管がひたすら拡大生産され、有害の鉛を含んだまま廃棄物となって野積みされてゆく恐るべき光景が現実のものとなろうが、コチラは些か深刻に過ぎて私などには想い描くさえ恐ろしい。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-126>
 唐土(もろこし)もおなじ空こそしぐるらめ唐紅にもみぢする頃  後嵯峨院

風雅集、秋下。
邦雄曰く、大弐三位の絶唱「遙かなる唐土までも行くものは」を髣髴させるほど、縹渺として宇宙的な、想像力を翔らせる秀作だ。西方万里、唐はおろか天竺まで、真紅に照り映えて、そこに銀灰色の時雨がきらめき降るようだ。建長3(1251)年帝31歳、吹田に御幸の砌の十首歌会の作。類歌数多ある中に際立つのは、ひとえに帝の詞才の賜物だ、と。

 もみぢ葉の散りゆく方を尋ぬれば秋も嵐の声のみぞする  崇徳院

千載集、秋下、百首の歌召しける時、九月盡の心をよませ給ふける。
邦雄曰く、秋も今日限り、明日神無月朔日からは冬。「秋も嵐」は「秋もあらじ」を懸ける。紅の嵐の彼方に、何かの終末を告げる声が細々と聞こえる。父鳥羽帝の皇子ではなく、こともあろうに実は祖父白河院の子であった崇徳の、出生の秘密を思えば、千載集にみえる数多の秀作も、ことごとく悲歌の翳りを帯びる。九月盡は総体に三月盡ほどの秀作がない、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

山彦のこたふる宿のさ夜衣‥‥

2007-10-09 13:03:42 | 文化・芸術
Db070510121

-世間虚仮- 連休疲れ?

体育の日は野分でもないのに秋には珍しい前夜からの激しい雷雨が残って終日悪天候。
7日の日曜に運動会など済ませておれば幸いだが、この日を文字通り予定していたところはみな順延になったことだろう。
週末や祝祭日などになるとこれを綴るのが滞りがちになるのは、私の場合大概稽古日となっている所為なのだが、この連休は日曜が高校時代の同窓会、昨日が稽古とあって、世間の休日のほうが却って孤塁の時間を持ちにくいからだ。
思春期の成長期に心を許しあえたような旧い友と一緒に居ると、それが何十年ぶりと遠い彼方の過去のことであったとしても、昔のそのままの空気が、感触が、そこに漂っているかのごとく感じられる。そんな二人と余人を交えず短いながら共に時間が過ごせたことは愉しく心地よいものであった。
だが本体の同窓会、総会・懇親会と続いた数時間は、これは無論準備やらなにやらの所為もあるのだが、かなり心身に疲れを残したようである。まあ日中の酒宴などこの年になれば誰でもそうなろうが、私も含めて世話役諸氏は多かれ少なかれ幾許かの虚脱感とともにかなりぐったりしているにちがいない。
身体に常ならぬ重さを感じながら稽古へと出かけたものの集中力を切らしたままに打ち過ぎてしまったようで反省しきりだが、身体のダルさはなお残されたたまま、裏腹な心身にまだ翻弄されている始末だ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-125>
 山彦のこたふる宿のさ夜衣わがうつ音やほかに聞くらむ  後嵯峨院

続古今集、秋下、山家擣衣を。
邦雄曰く、為家・光俊ら呉越同舟選者撰進の続古今集の擣衣歌は秀作揃い、それぞれに在来の集のものとは趣向を変えてぉり、後嵯峨院御製も結句の「外に聞くらむ」で、一首の焦点が一瞬次元を移し、深沈たるものが生まれる。続後撰・秋下の巻首にも後嵯峨院の御製あり、「夜や寒きしづの苧環(をだまき)くりかへしいやしき閨に衣うつなり」もまた心に沁みる秀作である、と。

 紅葉ゆゑ家も忘れて明かすかな帰らば色や薄くなるとて  源順

源順集。
邦雄曰く、詞書には「秋の野に色々の花紅葉散り給ふ。林のもとに遊ぶ人あり。鷹据えたる人もあり」。天元2(979)年、順68歳10月の屏風歌。詞は月毎に配した絵の解説であろうが、歌は絵を離れて、自由に、むしろ諧謔すら交えて、楽しく面白い。この下句など、順の天衣無縫の技巧の一例であり、微笑も誘われる。同時代人中でも移植を誇る、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

寝覚めする枕にかすむ鹿の音は‥‥

2007-10-06 23:58:29 | 文化・芸術
Menotanjyou

-表象の森- カンブリア紀の爆発-「眼の誕生」

「カンブリア紀の爆発は、生命史の要をなす瞬間である」とはS.J.グールドが著書「ワンダフル・ライフ」の中で述べた言だが、5億4300万年前から5億3800万年前のほぼ500万年という生物進化上の年代的サイクルでいえばごく短い間に、現生するすべての動物門が、体を覆う硬い殻を突如として獲得(但し、海綿動物、有櫛動物、刺胞動物は例外)したとされる、カンブリア紀の爆発がなぜ起きたのかを、光スイッチ説を論的根拠として三葉虫における「眼の誕生」によるものとの新説を素人にも判る懇切丁寧な運びで詳説してくれるのがA.パーカーの本書「眼の誕生-カンブリア紀大進化の謎を解く」だ。

一般にカンブリア紀の爆発といえば、カンブリア紀開始当初のわずか500万年間に、多様な動物グループ-門-が突如として出現した出来事であると解されているが、著者はそれを事実誤認という。即ち、その直前までにすでに登場していたすべての動物門が、突如として多様で複雑な外的携帯をもつにいたった進化上の大異変こそが、カンブリア紀の爆発にほかならない。そしてそのきっかけが「眼」の獲得だった、というのである。
生物はその発生の当初から太陽光の恩恵を受けていたことは自明のことだが、生物が太陽光を視覚信号として本格的に利用し始めたこと、即ち本格的な「眼」を獲得したのはまさにカンブリア紀初頭のことであり、そのことで世界が一変したというのが著者の言う「光スイッチ説」の骨子であり、いわば肉食動物が視覚を獲得したことで喰う-喰われるの関係が劇的に変化し、これが進化の陶太圧として働いて、自らの体を硬く装甲で覆うべき必要が生じたというのである。いわば「眼」の誕生は諸々の生物群こぞって軍備拡張路線の激化へと走らせることとなったわけだ。

地球上に登場した「最初の眼」とはいかなるものだったか?
それは進化にどんな影響をもたらしたのか?
まだ若く気鋭の生物学者たる著者は、高校生物程度の知識があれば一応読み遂せるという点においても、よく行き届いた論の構成をしており、我々のような一般読者にもかなりお奨めの書だ。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-124>
 寝覚めする枕にかすむ鹿の音はただ秋の夜の夢にやあるらむ  十市遠忠

遠忠詠草、大永七年中、寝覚に鹿の声を聞きて。
邦雄曰く、詞書は必ずしも現実の見聞と関わりはない。特筆すべきは、原則として必ず春のものとされていた修辞「かすむ」を、秋の鹿の声に用いていることだろう。未明の枕辺に絶え絶えに聞こえる、妻恋う鹿の細い声を伝えてまことに巧みである。「鹿の音」を「花の香」に、「秋」を「春」に変えても、そのまま佳作として通るだろう。一音余りの結句も快い、と。

 などさらに秋かと問はむ唐錦龍田の山の紅葉する世を  よみ人知らず

後撰集、秋下、題知らず。
邦雄曰く、王朝和歌の紅葉は、綾錦、唐錦と錦盡しで、現代人の眼からは曲のないことだが、安土桃山のゴブラン織同様、絢爛たる幻を描き出すものだったろう。この、輝き渡る紅葉のたけなわの季節を見ながら、今更改めて「秋か」と疑う要も謂われもないと、理の当然の反語表現に、美を強調する。これも古歌のめでたさの一つ、儀式に似た美の一典型である、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

鶉鳴く真野の入江の浜風に‥‥

2007-10-05 11:34:39 | 文化・芸術
Dscf0539

-世間虚仮- 親業の一日

10月に入りやっと秋らしくなった。
昨日は連れ合いが休みを取って日頃はなかなか適わぬ子ども孝行とばかり久しぶりに遊園地行。
鈴鹿サーキットにあるモートピアなる遊園地へは今回で2度目、片道120㎞余、些か遠いのが難で2時間半ほどのドライブは身体への負荷がきついが、もうじき6歳を迎える幼な児へのサービスとあれば否やは言われぬ。
長じてくれば愉しめる遊具も多くなるから勢い滞在時間も長くなる。これに付き合う老親の身にはいよいよ堪える一日だ。先頃までの暑さならさぞ悲鳴をあげていたことだろうが、晴れたり曇ったり、涼風そよぐなかでずいぶんと救われたようである。
午前9時過ぎに家を出て帰着は午後8時近くにもなっていたからかれこれ11時間、まことに親業とは大変な労ではあるが、連れ合いにはそんな労も大いに気晴らしともなってか、今朝は母娘揃って心なしか活き活きした表情とみえたは我田引水、贔屓の引き倒しか。
善哉々々。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-123>
 来し方も見えでながむる雁が音の羽風にはらふ床よ悲しな  清原元輔

元輔集。
邦雄曰く、詞書に「また女の亡くなりにたるに、雁が音の寒き風を問はぬとよみて侍りしに返しに」とあり、心を盡した哀傷歌である。雁の来し方とは亡き人の思い出、筑紫に在る知人の妻の訃報ゆえに、「羽風にはらふ床よ悲しな」なる下句の、切々たる調べも胸を打つものがある。贈答歌より成る元輔集の中に置けば、なお一入情趣が酌み取りうる歌の一つ、と。

 鶉鳴く真野の入江の浜風に尾花波寄る秋の夕暮  源俊頼

金葉集、秋。
邦雄曰く、堀河帝が探題の方法で歌を召された時、「薄」の題を引いて即詠したもの。定家が近代秀歌に「これは幽玄に面影かすかにさびしき様なり」と称えるが、その言を待つまでもなく、寂寥感が飽和状態を示すくらいよく出来た歌と言うべきである。真野の入江は、万葉の真野浦と真野草原を折衷した架空歌枕との説もあり、八雲御抄では近江とする、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。

さびしさの心のかぎり吹く風に‥‥

2007-10-04 23:09:00 | 文化・芸術
0509rehea0013

-表象の森- 追悼のざわめき

劇場にわざわざ足を運んで映画を観るなどということはいったい何年ぶりであったろうか。この前に何を観たのか、いくら振り返っても思い出せないほどに遠い昔になってしまっている。
一昨日のこと、九条にあるシネヌーヴォへと出かけ、松井良彦監督の自主製作映画「追悼のざわめき」を観てみようと思い立ったのは、先日ある知人からの短いメールを受け取ったことからだった。
そのメールには「映画のエンドロールに協力/四方館・林田鉄とあり、キャストには女子高生役で4人の四方館所属の名前がありました」とのことであったのだが、はていつのことやらどんなものやらとんと思い出せぬ。「追悼のざわめき」というタイトルにもおぼろげながら記憶があるようなないようなで、いっかな判然としない。88(S63)年の完成というからそれ以前の数年間の出来事とすれば、当時はアングラ系の役者連や舞踏家たちともかなり交わりもあったから、そんなこともあって不思議はないが、誰から声がかかったかどんな経緯だったか、あれやこれやと思い返せど一向にリアルな場面が浮かんでこない。
どうにも落ち着きが悪いから、これは一見、観るに若くはないと上映時間を調べて出かけたわけだ。受付でシルバーと言ったら苦もなく1000円也で入れてくれたのはありがたかった。当日券なら1600円だからこの差は大きい。

上映時間150分はもはや老いの身にはやはり堪える。
監督の松井良彦は完成に5年を費やしたらしいが、とかく映画製作は金の工面が生命線、ノーギャラの出演者たちを募りながら一進一退を繰り返してはやっと完成にこぎつけたのだろう。主人公を追うカメラワークは、俯瞰からアップへ或いはぐるりとゆっくり回り込みもするが、ブレを起こして眼の疲れること夥しいが、画面はそんなことはお構いなしにどんどん切り替わって進む。
チラシから引けば、「物語は一人の孤独な青年のさすらいから始まる。彼はマネキンを菜穂子と名付け、彼女を愛し、愛の結晶が誕生することを夢想しはじめる。彼は次々に若い女性を惨殺し、その肉片を「菜穂子」に埋め込む。「菜穂子」に不思議な生命感が宿りはじめ,さまざまな人間がそのペントハウスに引き込まれてゆく。現実の街並はいつか時代感覚を失い、傷痍軍人やルンペンなど、敗戦直後を思わせるグロテスクなキャラクターが彷徨しはじめる。時代からも現実からも解き放たれた美しい少年少女が、ペントハウスに導かれてゆく。遊びはケンパしか知らない少女が「菜穂子」に「母」を感じ陶酔したとき、残酷な運命が二人を引き裂いてゆく‥‥。」
また、映画評論家大場正明の解説を引けば、「ここには,忌避され,隠蔽された異形のうごめきが,息苦しくなるほど濃密なモノクロの時間と空間の中に濃縮されている。しかし、それはただただグロテスクということではない。この映画は、そこに映し出されるあらゆる表像が無数の触手であるかのように、幼年時代の奥深の恐怖に発する身体や自我の境界にまつわる不安、あるいは、思春期における自己と他者に対する性の目覚めがもたらす不安へと、人々の記憶をまさぐり、否応なくその時間をさかのぼっていく。」
と、二つの引用でこの映画の世界がいかほどかは想像できようか。

マネキンへの異形の愛にしか自己を投入できぬ青年と、その心の深みはいざ知らず表層の意識においてはまだ穢れを知り初めぬ少年と少女、そして暗黒舞踏の白虎社を率いた大須賀勇が演じる見るからに異様な風体のルンペンの三者が、いつしか時空を超え出て絡みつつ、やがては同心円的な構造を有した三重奏ともなって響き合ってくるが、その表象世界はグロテスクとはいえ虚像に満ちたものだ。そこへ青年が身過ぎ世過ぎに職を得た下水管の清掃人夫といった仕事の雇い主である小人症の兄妹の存在が、醜悪な現実界へと引き戻す役割をなし、その世界を輻輳させる。とりわけ青年に想いを寄せてゆくこの妹が、リアルな存在感をどんどん増幅させてゆくことでマネキンの「菜穂子」と対照させられ、逆立する者にまで成り上がり、阿修羅のごとく破壊的な結末へと導く。
発表以来アングラシネマの画期をなすものとして折にふれ繰り返し上映されてきたというこの作品を、根底から支える映像としての構図と表象は、極北に位置するともいえるマネキンの「菜穂子」と小人症の妹の対照であり、グロテスクな生身の肉体を剥き出しのままに曝け出した妹役の存在であり、それゆえにこそ反転聖化された存在に拠っているのだろう。そういえば彼女の右胸には醜悪なスティグマ(聖痕)が大きく黒々と刻印されていた。

それにしても私にとって面白かったというか、なにより愉しませてくれたのは、嘗て知るところの怪優白藤茜が演じる傷痍軍人のグロテスクと軽妙さが混濁した熱演であったり、意想外なところでひょいと顔を出した、今は陶芸家の石田博君の飄々とした似而非紳士ぶりなどであった。石田君の登場には不意を突かれて驚きとともについ笑ってしまったほどだし、白藤の姿にはあまりに懐かしすぎて思わず胸が熱くなるほどだった。
白藤茜が私の創る舞台に特別出演をしてくれたのは86(S61)年の少女歌舞劇シリーズの一つであったが、どうにも思い出せぬまま観る私議となったこの映画への協力が、ちょうどその同じ頃に彼に頼まれてのことだったのだと、観終えて席を立つときようやく合点がいったような次第だった。

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-122>
 秋風に夜渡る雁の音に立てて涙うつろふ庭の萩原  性助法親王

続後拾遺集、秋上、弘安百首歌奉りける時。
宝治元(1247)年-弘安5(1282)年、後嵯峨院第6皇子、宗尊親王、後深草院の弟、亀山院の兄。5歳で仁和寺に入り、後まもなく出家。「とはずがたり」に登場する「有明の月」のモデルとされる。続古今集初出、勅撰集に37首。
邦雄曰く、雁は夜半に渡来する。その慌だしい羽音、ふと頭を挙げて「涙うつろふ」とは歌うものの、秋のあはれは身に沁む。天から地へ、雁から萩に眼を移し心を移し、秋雁の歌の中では趣向を新たにした一首である。作者は後嵯峨院皇子、仁和寺に入って二品に叙せられた。弘安百首は代表作として記憶される、と。

 さびしさの心のかぎり吹く風に鹿の音かさむ野べの夕暮  藤原良平

千五百番歌合、六百十三番、秋二。
文治元(1185)年-仁治元(1240)年、摂政関白九条兼実の子、異母兄藤原良経の猶子となる。従一位太政大臣。後鳥羽院、順徳院歌壇で活躍、新古今集初出、勅撰入集18首。
邦雄曰く、良平は後京極良経の15歳下の異母弟。勅撰入集は多くはないが、千五百番歌合の百首には捨て難い作が数多ある。「さびしさの心のかぎり」は右が宜秋門院丹後の「唐衣裾野を過ぐる秋風にいかに袂のまづしをるらむ」で後鳥羽院折句御判は持。良平の縹渺たる第一・二句は、丹後の縁語・懸詞の妙を遙かに凌ぎ、私の眼には断然左勝だ、と。


⇒⇒⇒ この記事を読まれた方は此処をクリック。