山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

何よりも蝶の現ぞあはれなる

2009-02-20 20:58:01 | 文化・芸術
080209039

Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

―四方のたより― びわの会

桃の節句が近いこの頃、例によって奥村旭翠一門総出による筑前琵琶の演奏会が、明後日の22日-日-、午前11時から夕刻近くまで、国立文楽劇場3階の小ホールで催される。
もちろん邦楽や邦舞のおさらい会のように、こちらも入場は無料の公演だ。

演目は全18曲、連合い殿が稽古に通い出してもう7年余りが経つから、概ね何度か耳にした馴染みの曲目がプログラムに連なるが、なかで眼を惹いたのは「項羽」なる演題。はて三国志ものなど珍しくこれまで耳にしたことがない。ちょいと後ろ髪引かれる思いがするけれど、このたびは3月のDance Caféを控えて、5番目登場の連合い-末永旭濤-殿の演目を見とどけたら直ぐに稽古に駆けつけなければならないから、拝聴は別の機会を期さねばなるまい。

先年、山崎旭萃嫗が逝かれ、その門下の師範3名が奥村旭翠さんに師事するようになって、門下に師範6名を擁する陣容を誇る充実ぶりは、琵琶の世界にあっていよいよ一門の存在を重くしているのだろうが、語り芸の奥行きはかぎりなく深い。旦那芸の趣味や嗜好レベルでは、ただ歳月ばかり重ねても、そうそう達意の芸と成りゆくものではない。
彼らの行く末や一門の隆盛あるも一に、師たる旭翠さん自身の、おのが芸の深みゆくを奈辺に見定めるか、そのまなざしその一念に掛かってこよう。

ともあれ、会を直前に控えての紹介なれど、関心ある向きは公演詳細を確認の上、運ばれてはいかがとお奨めする次第。

Information-「奥村旭翠びわの会」公演詳細-

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-19

   巡礼死ぬる道のかげろふ  

  何よりも蝶の現ぞあはれなる  翁

次男曰く、名残折立である。

無常観相の付、拠るに「荘周夢に胡蝶となる故事」-斉物論篇第二-を以てしている。生死無覚、夢現不二、物化こそが実存世界だと云いたいわけだが、二句一章の嘱目としてもありえない景ではない。

天和2年、「虚栗」所収の其角・芭蕉両吟「詩あきんど」の巻-歌仙-に、面白い其角の付がある。
「芭蕉あるじの蝶丁-たたく-見よ」
荘周の蝶にたわむれる人の戯れざまを見ろと云っているのだが、角のこの批評に芭蕉はその後もいろいろに答えている。
「二の尼に近衛の花のさかりきく-野水-」-「蝶はむぐらにとばかり鼻かむ-芭蕉-」-狂句こがらしの巻-
「霜にまた見る蕣-あさがお-の食-杜国-」-「野菊までたづぬる蝶の羽おれて-芭蕉-」-はつ雪の巻-
「いろいろの名もむつかしや春の草-珍碩-」-「うたれて蝶の夢はさめぬる-翁-」-春の巻-など。

荘子の斉物思想の喩のなかから特に蝶を取出して句材にしたのは、季語に遣えるという事情もあったろう。「花見の巻」の「何よりも蝶の現-うつつ-ぞあはれなる」は最も成功した例である、と。


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巡礼死ぬる道のかげろふ

2009-02-19 17:56:10 | 文化・芸術
0509rehea0026

Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

―表象の森― Seeing Red/感覚論
Memo:N.Humphrey「赤を見る」から

・自分自身において、局所的になにが起きているか、を問うときに求められる答えは
定性的で、現在時制で、一過性で、主観的なもの -<a>
ところが、外の世界でなにが起きているか、を問えば
 定量的で、分析的で、恒久的で、客観的なもの -b
この<a>と<b>の分離、感覚=<a>と知覚=<b>は、別個の道筋をたどって進化してきた。

・反応-感覚的な活動は、長い進化の歴史の中で、まるごと脳内に「潜在化-Privatise-」された。

・感覚は、気分の変化や幻覚剤に影響を受ける。
-メスカリンやLSDのような幻覚性の薬物は、知覚にはほとんど影響を与えないのに、感覚経験の質を変える。鬱状態のような内因性の気分の変化も、同じように感覚経験の質を変える。
ときには、感覚が完全に自己生成する場合もある。
-幻覚や夢の中で、鮮明な心像の核を成しうる
人は、夢の中で感覚を作り出せ、それは現象的にとても豊かなものである。
さらに、感覚は、他者の精神状態をSimulationする能力の鍵となる役割を果たしている、とも考えられる。
実際、身体表現としての感覚は、投影的な共感に、お誂え向きのように思える。

・意識には時間の「深さ」という特異な次元がある。
-現在という瞬間、感覚にとっての「今」は「時間的な厚み」をもって経験される。
-現在の経験には少なくとも二つの異なる時間が含まれるため、人はこれを、瞬間的に切り取った時間としてではなく、ひろがりのある時間、すなわち「今」と「今でない」要素の両方が統合された即時的な表象として経験する。-(N.Newton)
ひろがりのある現在-「意識の厚みある瞬間」

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-18

  千部読花の盛の一身田  

   巡礼死ぬる道のかげろふ  曲水

次男曰く、「花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」と願うのは西行ばかりではない、と付けている。

この歌仙のはこびは自ずとそこに誘うが、群参のなかには実際にも、一身田を死場所と定めて混った巡礼も居たに違いない。
二句一章とした仕立に、作者曲水の死生観も覗いて見えるように句である、と。


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千部読花の盛の一身田

2009-02-18 17:29:42 | 文化・芸術
Dancecafe081226017

Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

表象の森― 色はどこにあるか

図書館からの借本だが、オートポイエーシス-Autopoiesis-理論の提唱者F.ヴァレラの「身体化された心」-01年工作舎刊-を何日かかったか、やっと読了。
副題に、仏教思想からのエナクティブ-行動化-・アプローチとあるように、認知科学の前提に根本的な疑問を投げかける著者が、仏教思想の「三昧/覚思想」を手法とし、認知を「身体としてある行為」と捉えつつ、世界認識のパラダイム転換を問う書、といったところか。

そのなかで、色知覚の問題から視覚システムについて論考した箇所から、以下抜粋紹介しておく。

色知覚の完全な喪失について考えてみると、色知覚が他の視覚的モダリティと感覚モダリティの両者と協同することが痛感される。

事故によって完全に色盲になった患者、いわゆる後天性色盲というこの特定の症例がきわめて興味深いのは、これが特にカラフルな抽象画で知られた画家に起こったからである。自動車事故によって、この人物はもはやどんな色も知覚できなくなった。白黒テレビにも似た視覚世界のなかで暮らすことになったのである。

彼の言説から、色知覚に他の経験モダリティが関与していることが明らかである。色が失われたために、彼の経験の全体的な性格は劇的に変化した。見るものすべてが「味気なく、薄汚い様子だった。白はぎらつき、無色でも灰色っぽく、黒には空虚感があった。すべてが間違っていて、不自然で汚染されていて、不純だった。」
食べ物にはうんざりし、性交は不可能になった。もはや色を視覚的に想像できず、色のついた夢を見ることもなかった。音楽鑑賞力も損なわれた。楽音を共感覚的に色の戯れへ変換して経験することができなくなったからである。

徐々に「夜型人間」になるにつれ、彼の習慣、振舞い、行為が変化した。
彼の言葉によると、「夜が愛しい‥惹かれるのは、日の光を見ることがなく、そのことが満更でもない、夜働く人だ‥夜は別世界だ。広い空間があって、街や人に縛られることがない‥まったく新しい世界。私は次第に夜行生物になりつつある。かつて、私は色を心地よく感じていた。それがとても楽しかった。はじめのうちはそれを失って悲しかったが、今やその存在すらわからない。幻影ですらない。」

この言説が伝える劇的な変化は、われわれの知覚世界が、感覚運動活動の複雑精妙なパターンによって構成されていることへ思い至らせる希有な例である。
われわれの色づいた世界は、構造的カップリング-struktuelle Kopplung-の複雑な過程によって産生される。これらの過程が変化すると不可能になる行動形式もある。また、新しい条件、状況に対処するようになるにつれて人の行動は変化する。そして、行為が変化すると、世界の感じ方も変化する。この変化が、「彼」が色を喪失したように、あまりに劇的であると、異なった知覚世界が生み出されるのである。

色は表面に知覚されるだけの属性ではない。それはまた空のような量感が知覚される属性でもある。また、残像の属性としても、夢、記憶、共感覚のなかでも色は経験される。これらの現象にわたる統一性はある非経験的な物理的構造のなかにではなく、ニューロン活動の創発的パターンを通して形成される経験の一形態としての色に見出されるのである。

視覚システムは単に所与の物体のもたらすものでは決してない。物体が何で、どこにあるかの決定は、その表面の境界、肌理、そして相対的な方向性-および知覚される属性としての色の全体的なコンテクスト-とともに、視覚システムが不断に成し遂げなければならない複雑な過程なのである。これは、すべての視覚モダリティ間の能動的な対話を含む複雑な協同的過程から生じる。

「知覚される物体をその色から分離することは不可能である。なぜなら、色の対比そのものから物体が形成されるのだから」-P.グーラスト&E.ツレンナー-というように、色と表面は相伴う。両者はわれわれの身体としてある知覚能力に依存するのである。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-17

   雁ゆくかたや白子若松  

  千部読花の盛の一身田  珍碩

次男曰く、花の定座である。「雁ゆく」を秋から春-帰雁-にとりなして、季移り-雑の句をはさまぬ付-としている。月・霞-四季-や露-三季-などは執成容易だが、渡鳥の来る・帰るに目をつけた例は珍しい。白子は一身田より北、若松は白子よりもさらに北に当る、というところが地名取出しのみそだ。雁は北に帰る。

秀吉の命名と伝える一身田の専修寺は、天正、正保二度の堂宇焼亡を経て、寛文6-1666-年、津藩主藤堂高次が今の御影堂を建立し、伽藍も整えられた。「千部読」は追善・供養のための経典読誦法会で、千は必ずしも実数を意味しないが、千人一部、一人千部、百人十部など形式はいろいろある。

ここは浄土宗が所依とする浄土三部経を一部として反復読誦する法会を云い、春秋の二度各五日間以上勤修され、江戸時代には信者群参のため春の花どきなど一ヶ月にわたって続けられることも珍しくなかった。千部会は各宗それぞれに修するものだが、浄土宗でとりわけ重んじられた行事である。

句は、それらを踏まえて、老若男女群参する「花の盛」をうまく捉えている。一身田が白子・若松より南にあっても、それだけではこの二句の付合は成立たぬ、と。


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雁ゆくかたや白子若松

2009-02-16 20:23:06 | 文化・芸術
080209035

Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

―表象の森― あかあかや

「あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月」
いわずもがな、月の光の明るさ、冴えわたるさまを詠んだ鎌倉期の僧明恵の作で、対象-月-に向かいおのれを全投入して言葉を発すればこうなると、いかにも禅機めいた詩句だが、嘗てノーベル賞を獲た川端康成が、その授賞式のスピーチで引用紹介したことでも知られる歌だ。

西行が花-桜-詠みの人なら、月の歌人とも賞された明恵。山本七平によれば、その伝記-明恵上人伝記-ついて、明治期になるまではおそらくもっとも広く読まれていた一書であったとされ、彼の40年にも及ぶ観行の日々での夢想を書き遺したとされる「夢記」については、ユング派の心理学をもって精緻な解釈を試みた河合隼雄の著作「明恵-夢を生きる」が良書として知られる。

その晩年を高尾山の奥、栂尾の高山寺に住した明恵が、その清規-しんぎ、寺の規律-を記した今に残る欅の掛け板には「阿留辺機夜宇和-あるべきようは-」と記されている、という。

この清規について明恵は「伝記」において、「我に一の明言あり。我は後生資-たす-からんとは申さず。只現世に有るべき様にて有らんと申す也。聖教の中にも、行ずべき様に行じ、振舞ふべき様に振舞へとこそ説き置かれたれ。現世には左之右之-とてもかくても-あれ、後生計り資かれと説かれたる聖教は無きなり。云々」と語っているが、
これを引きつつ河合隼雄は、明恵の板書が「あるべきやうに」ではなく「あるべきやうは」とされていることは、たんに「あるべきやうに」生きるのではなく、時により事により、その時その場において「あるべきやうはなにか」という不断の問いかけを行い、その答えを生きようとすることこそ大事と、今日的に言えばきわめて実存的な生き方を提唱している、と解している。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-16

  秋風の船をこはがる波の音 

   雁ゆくかたや白子若松  翁

次男曰く、「三冊子-赤-」に、「前句の心の余りを取て、気色に顕し付たる也」と注する。其人の意中を、目に見る景色に托した付、と云うのだろう。

季節は晩秋-雁の渡来する頃-、目ざす船掛りは桑名と大湊のちょうど中頃にある参宮街道沿の宿場町が相応しい、と芭蕉は考えたか。旅の目的が遷宮見物とすればこれはうまく話が合うが、周知のとおり「細道」の旅を終えた俳諧師は、つい先頃、二十年めごとのこの晩秋行事を拝んだばかりである。句はこびのたねとして容易に思付いた筈の含みだろう。

白子、若松-南若松-共に中世以来栄えた古い港町だが、とりわけ近世に入り伊勢湾と江戸との廻船が発達するに伴い、伊勢木綿・伊勢型紙・江戸積干鰯などの積荷問屋と廻船問屋が軒を並べ、併せて、伊勢詣の盛行により参宮筋宿場町としても名を売った所である、と。


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秋風の船をこはがる波の音

2009-02-14 23:36:10 | 文化・芸術
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Information-四方館 DANCE CAFE –「Reding –赤する-」

―表象の森― 視覚、身体としての
「余白の芸術」-李禹煥-より

近代主義の視覚とは、同一性の確認のための眼差しである。言い換えれば、自己の意志で対象物を措定しておき、それを見るという意味だ。
ルネサンス以後の遠近法の発達で解るように、意志的な視覚主義は、客観性と科学性を標榜した脳中心思想からきたものである。それを合理的に図式化した人がデカルトであり、彼において、見るということは、egoによる視覚の規定力を指している。

ところで、広い世界を前にしたごく限られた眼は、逆遠近法的に開いている。自分の眼の前のものより遠いところをもっと広く思い、そのように見るということは誰でも知っており経験していることだ。もちろん具体的な対象世界において、近くのものが大きく見え、ずっと遠いものは小さく見えるということが科学的であることは明らかだが、眼の限定性からくる感じ-思い-が、その反対であることもまた否定できない。

最近では、古代社会の絵画や中世のイコン、または東洋の山水画などの分析から、逆遠近法の考え方が再照明されていることも注目に値する。むしろ近代の遠近法というものが、人類文化史の中では特異な時代の産物であるという者さえいる。

今日、視覚という時、何処に焦点を置くかによって、正反対の言葉になってしまう。近代的な遠近法的視覚とは、こちらからあちらを一方的に捉え定めることをいう。対象物自体とか世界が重要なのではなく、見る主体の意識と知識による規定力が決定的であるということだ。ここでは見るということが、設定された素材やデータで組み立てたテクストと向き合う態度である。

これに対し、逆遠近法では、反対に、向こうからこちらを見ている形であるため、世界の側が圧倒的に大きく扱われる。それゆえ見る者の対象物に対する限定力は、曖昧で弱くなるしかない。このような視覚は、受動性が強く、偶然性や非規定的な要素の作用が著しくなりがちだろう。

ここで私は、受動性と能動性を兼ね合わせた身体的な視覚を重視したい。人間は意識的な存在であると同時に、身体的な存在でもある点を再確認すれば、どちらにしても見るということが一方的であってはなるまい。身体は私に属していると同時に、外界とも連なっている両義的な媒介項である。だから身体を通して見るということは、見ると同時に見られることであり、見られると同時に見ることなのだ。 -略-

美術は視覚と不可分の領域である。 -略-

私と外界が相互関係によって世界する、という立場からすれば、作品もまた差異性と非同一性の一種の関係項である。 -略-

作品において、知的な概念性とともに、感性による知覚を呼び起こすことが出来るということは、そこに未知的な外部性が浸透されているということであり、だから、見る者と対話が成り立つのだ。見るという行為は、身体を媒介にして対象との相互関係の場の出来事を招く。作品が、出会いが可能な他者性を帯び、見るということが両義性を回復する時、新しい地平は開かれよう。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「花見の巻」-15

   月見る顔の袖おもき露  

  秋風の船をこはがる波の音  曲水

次男曰く、

旅体を以て恋離れの工夫とし、
  「ほそき筋より恋つのりつゝ」
 「物おもふ身にもの喰へとせつかれて」
  「月見る顔の袖おもき露」 -A-

 「物おもふ身にもの喰へとせつかれて」
  「月見る顔の袖おもき露」 
 「秋風の船をこはがる波の音」 -B-

「せつく」に「こはがる」-強しから転義して中世頃より怖しの意に遣う-と当世話を釣合せ、AからBへ話を奪ったはこびである。船旅としたのは、陸路は既に第三の句に出ているからだが、二度とも曲水がかまえた旅体だ、というところに格別の模様がみえる。

女とその連れの慣れぬ船旅、わずらうのは恋ならぬ船酔のせいだと読んでおけばよく、女の境遇などここでは探る必要のないはこびだが、それでも猶面影の一つも添わせてみたければ、「平家物語」の「福原落」-巻七-でよい。

「‥渚々によする波の音、袖に宿かる月の影、千草にすだく蟋蟀のきりぎりす、すべて目に見え耳に触るる事、一つとして哀れをもよほし心を痛ましめずといふ事なし。昨日は東関の麓にくつばみをならべて十万余騎、今日は西海の波に纜を解いて七千余人、雲海沈々として、青天すでに暮れなむとす。孤島に夕霧隔て、月海上に浮かべり。極浦の浪をわけ塩にひかれて行く船は、半天の雲にさかのぼる。日数ふれば、都は既に山川程を隔て、雲居のよそにぞなりにける。はるばる来ぬとおもふにも、ただつきせぬ物は涙也。浪の上に白き鳥の群れゐるをみ給ひては、かれならん、在原なにがしの隅田川にて言問ひけん、名もむつまじき都鳥にやと、真也。寿永二年七月二十五日に、平家、都を落はてぬ」、と。


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