山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

捨炭車ひとりで上下する月の捨炭山

2009-10-23 10:33:38 | 文化・芸術
Casocandle_2

Information-土曜の夜-10/31-は、Candle Night Performance
絵画・造型、写真、音楽、舞踊、演劇
多ジャンルの多彩な顔ぶれが集う
「青空展」番外篇パフォーマンス
When?-10.31-SAT- PM8:00~PM8:45
Where?-CASOのある海岸通散歩道埠頭広場にて

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月1日の稿に
12月1日、曇、次良居滞在、読書、句作、漫談、快飲、等々。

次良さんは今日此頃たつた一人である、奥さんが子供みんな連れて、母さんのお見舞に行かれた留守宅である、私も一人だ、一人と一人とが飲みつづけ話しつづけたのだから愉快だ。

猫が一匹飼うてある、きいといふ、駆け込み猫で、おとなしい猫だ、あまりおとなしいので低脳かと思つたら、鼠を捕ることはなかなかうまいさうな、能ある猫は爪をかくす、なるほどさうかも知れない。

※表題句は、捨炭車-スキップ、捨炭山-ボタ山、と読む。外4句を記す

―四方のたより― 土曜日の夜は‥

日時が切迫していてずいぶん慌ただしい交渉だが、波止場の使用許可も間に合わせて貰えそうだ。

海岸通のCASOの「青空展」の一週間、27日の火曜日からはじまるが、その週末、土曜日の夜は、キャンドルナイトのパフォーマンス。

この日、MusicianとDancerたちだけでもおそらく20人は集うだろう。祭りの後の仲間内の愉しいイベントといった乗りでいいのだが、折角やるのだから、少しは付近住民もターゲットにしてみたいと思う。

CASOのあるこの辺りは、海岸通散歩道といって臨港緑地として整備されている。
聞けば「天保山みなアート」なる街興し人興しのNPOが、今年の6月、赤レンガ倉庫裏の広い波止場で、市民参加型の「発光みなアート」と題したイベントをやったそうな。

そんな前例があるのなら、住民も少しは反応があるかも。そんな淡い期待も込めて、時間もなくてやっつけながら、ちょいと遊んでみよう。

人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

笠も漏りだしたか

2009-10-21 23:42:22 | 文化・芸術
Casoshihoh

Information – CASO版/四方館 Performance
「二上山夢験」-折口信夫「死者の書」より
語り-林田鉄/舞い-末永純子/奏で-大竹徹・田中康之
10/31-SAT- PM7:00~

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月30日の稿に
11月30日、雨、歓談句作、後藤寺町、次良居

果たして雨だつた、あんなにうららかな日がつづくものぢやない、主人公と源三郎さんと私と三人で一日話し合ひ笑ひ合つた、気障な言葉だけれど、恵まれた一日だつたことに間違はない。

夕方、わかれわかれになつて、私はここへきた、そして次良さんのふところの中で寝せてもらつた、昨夜の約束した通りに。

飲みつづけ話しつづけた、坐敷へあがると、そこの大机には豆腐と春菊と蜜柑と煙草とが並べてあつた、酒の事はいふだけ野暮、殊に私は緑平さんからの一本を提げてきた、重かつたけれど苦にはならなかつた、飲むほどに話すほどに、二人の心は一つとなつた、酒は無論うまいが、湯豆腐はたいへんおいしかつた。-略-

※表題句の外、17句を記す

―四方のたより― CASO版 Performance

CASOにおける「デカルコマニィ的展開/青空」展も、いよいよ来週の火曜日から幕を開ける。
四方館としては、土曜日-10/31-の午後7時から、ちょいと登場させて貰おうと思っている。この際、私自身が今一番やってみたいことを、不消化を承知で出してみることにした。

題して「二上山夢験」、
折口信夫の「死者の書」を引っ張り出してきて、語り用にまとめてみた。

もう一つ、急に思い立って、いま仕掛けていることがある。
ギャラリーCASOは海岸通りにあるのだし、折角アーティストたちが大勢集まるこの機会、会場傍の赤レンガ倉庫裏の広い波止場を使って、みんなでキャンドル・ナイト・ショーと洒落込んで、お客さんたちに楽しんで貰おうと、そんな算段。

但し、この企画には、埠頭のこととて管轄-市港湾局-の使用許可が要る。OKが取れるか否か、一両日中にもはっきりするだろう。


人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

ボタ山のまうへの月となつた

2009-10-19 23:46:52 | 文化・芸術
Hantomo0910_2

Information - CASOにおけるデカルコマニィ的展開「青空」展

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月29日の稿に
11月29日、晴、霜、伊田行乞、緑平居、句会

大霜だつた、かなり冷たかつた、それだけうららかな日だつた、うららかすぎる一日だつた、ゆつくり伊田まで歩いてゆく、そして3時間ばかり行乞、-略-

行乞は雲のゆく如く、水の流れるやうでなければならない、ちよつとでも滞つたら、すぐ紊れてしまふ、与へられるままで生きる、木の葉の散るやうに、風の吹くやうに、縁があればとどまり縁がなければ去る、そこまで到達しなければ何の行乞ぞやである、やつぱり歩々到着だ。

-略-、枯草の上で、老遍路さんとしみじみ話し合つた、何と人なつかしい彼だつたろう、彼は人情に飢えてゐた、彼は老眼をしばたいてお天気のよいこと、人の恋しいこと、生きてゐることのうれしさとくるしさとを話しつづけた、-果たして私はよい聞手だつたらうか-

夜は緑平居で句会、門司から源三郎さん、後藤寺から次良さん、4人の心はしつくり解け合つた、句を評し生活を語り自然を説いた。

真面目すぎる次良さん、温情の持主ともいひたい源三郎さん、主人公緑平さんは今更いふまでもない人格者である。

源三郎さんと枕をならべて寝る、君のねむりはやすらかで、私の夢はまどかでない、しばしば眼ざめて読書した。

日が落ちるまへのボタ山のながめは、埃及風景のやうだつた、とでもいはうか、ボタ山かピラミツドか、ガラ炭のけむり、たさがれる空。

オコリ炭、ガラ炭、ボタ炭、ビフン炭-本当のタドン-、等、等、どれも私の創作慾をそそる、句もだいぶ出来た、あまり自信はないけれど。

※表題句の外、28句を記す

―表象の森― ちぎれぐも、何処へゆく

一昨日-土曜-の夜、はて3年ぶりかあるいは4年ぶりか、「犯友-HANTOMO-」の野外劇「ちぎれぐも」を観に、難波宮跡地の公園へと出かけた。

久し振りに観た犯友芝居を辛口に評すなら、以前に比べて、役者群の総力が落ちてきたな、という慨嘆をどうにも禁じ得ない、先ずこのことに触れざるを得ない。戯作と演出を一手に引き受けつづける武田一度君の劇作法は、役者一人ひとりへのあてこみともいえる人物描写と、自家薬籠中となった演出技法とが一体化しており、それがある種いい意味でのマンネリズムを生み出してもいるのだが、それにしても中軸となりうる数人の役者と脇の役者群における力量の落差がちょっと大きすぎるという点が、見逃しきれぬ負材料となってしまっている。

武田一度の役者育て、役者のつくり方は、昔から一貫したものを有しており、素材のキャラを活かしながら、それぞれ独自の型へと架橋していくあり方そのものは、そういう手法があってもいいのだが、その前段に発声なり滑舌なりまた動きなり、最低限の基本技を日常的な訓練としてもう少し課していってもらいたいと思う。

その武田独自の役者育てで、主演を張る女優彩葉の演技はずっと造られてきているのだが、これくらいのキャリアを積んでくると、さすがに私もこのあたりで注文をつけたくなってしまう。啖呵芝居ともいえる彼女の演技の型に、もっと柔軟さが欲しい、軽さやしなやかさを望みたいのだ。そういったものから匂い立つような色香が解き放たれてこようと思うのだが、このままではそんな期待も望めそうもない、いまや彼女の啖呵芝居は凝り型ともなってきており、厚い壁の存在がどうも露わになってきた、そんな気がするのだ。

ある造型が成ったとき、その粘土の含む水分がほぼ気化して固形化するものだが、その形を些かなりとも変えるとなると、水をやって粘土を柔らかくしてやらなければどうにもならないが、その粘土と水のようなもので、たえず素材としての粘土へとたちもどさせる水分の役割を、日常の稽古の現場でどう保証しているのか、このあたりが武田君の役者育てに欠けたる部分ではないか、と推察されるのだが‥。


人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

谺谺するほがらか

2009-10-18 23:49:35 | 文化・芸術
080209095

Information – 四方館のWork Shop

四方館の身体表現 -Shihohkan’s Improvisation Dance-
そのKeywordは、場面の創出。
場面の創出とは
そこへとより来たったさまざまな表象群と
そこよりさき起こり来る表象群と、を
その瞬間一挙に
まったく新たなる相貌のもとに統轄しうる
そのような磁場を生み出すことである。

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月28日の稿に
11月28日、晴、近郊探勝、行程3里、香春町

昨日もうららかな日和であつたが、今日はもつとほがらかなお天気である、歩いてゐて、しみじみ歩くことの幸福を感じさせられた、明夜は句会、それまで近郊を歩くつもりで、8時緑平居を出る、どうも近来、停滞し勝ちで、あんまり安易に狎れたやうである、一日歩かなければ一日の堕落だ、-略-

朝霧にほんのりと浮びあがる香春、一ノ岳二ノ岳三ノ岳の姿にもひきつけられた、ボタ山が鋭角を空へつきだしてゐる形もおもしろい、-略-

街を出はづれて、高座寺へ詣る、石寺とよばれてゐるだけに、附近には岩石が多い、梅も多い、清閑を楽しむには持つてこいの場所だ、散り残つてゐる楓の一樹二樹の風情も捨てがたいものだつた、-略-

一浴一杯、それで沢山だつた、顔面頭部の皮膚病が、孤独の憂鬱を濃くすることはするけれど。
※表題句の外、10句を記す

―表象の森― サティの音に即く

先週と今週-今日-の稽古では、高橋悠治が演奏する「サティ=ピアノ作品集3」を使って、音の刺戟に対して即くこと-音の変化転調に即応した動きの紡ぎ出し-を試みている。

このCDは「四手のためのピアノ作品集」と副題されており、ジャン・コクトーのテーマにもとづくバレエ音楽「パラード」や「梨の形をした3つの小品」、「不愉快な感じ」、「風変わりな美女-真面目な幻想-」を収録している。

その調性から外れた自由な音の連なりは、大胆な転調をいたるところに生じさせているから、その変化に即いて動きを紡ぎ出すことなど、従来の我々のWorkshopでは大きく反対の極に振れた要請ということになるから、動き手のほうは大変だ。まず呼吸の対応がどうしても瞬間的に激しくなるから、身体への負荷がまるで違ってくる。当然、動きのリズム変化も振幅の激しいものになるので、瞬間のDynamism-身体の瞬発力と即応性-がつねに準備されていなければならない。

これは、Improvisation Danceの前・準備的Workとして、かなり有効な手続きだ。今日のJunkoなど、動きのContinuityが普段見られぬほどの豊かさをみせて面白くなっていたが、そのことを指摘してみても、本人はまるで自覚がないといった躰で、ちょっと腑に落ちないというふうだった。その訳は、踊るときの本人の意識なり感覚が、いつもとは異なってやけにcoolで醒めていたからだ。この主観評価と客観評価の乖離を克服していくことが課題となるが、彼女自身、このあたりのことがどうも苦手とみえる。


人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-

夕日の机で旅のたより書く

2009-10-17 23:55:53 | 文化・芸術
Mauditssonnants_a5_2

Information - CASOにおけるデカルコマニィ的展開「青空」展

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月27日の稿に
11月27日、晴、読書と散歩と句と酒と、緑平居滞在

緑平さんの深切に甘えて滞在することにする、緑平さんは心友だ、私を心から愛してくれる人だ、腹の中を口にすることは下手だが、手に現はして下さる、そこらを歩いて見たり、旅のたよりを書いたりする、奥さんが蓄音機をかけて旅情を慰めて下さる、――ありがたい一日だつた、かういふ一日は一年にも十年にも値する。

夜は二人で快い酔にひたりながら笑ひつづけた、話しても話しても話は尽きない、枕を並べて寝ながら話しつづけたことである。

糸田風景のよいところが、だんだん解つてきた、今度で緑平居訪問は4回であるが、昨日と今日とで、今まで知らなかつたよいところを見つけた、といふよりも味はつたと思ふ。

※表題句の外、9句を記す

―表象の森― 空中Performanceのお好きな芸術祭

メルボルン国際芸術祭が今月9日から24日まで開催されているが、このフェスティバル、ずいぶんとサーカスまがいの空中ショーがお好きなようで、そのオープニングイベントの模様が話題を呼んでいる。

写真はその一部だが、これを演じているのはフランスの劇団「Transe Express」で、ドラマやオーケストラの要素にアクロバットを取り込んだ表現として考案されたものらしい。詳しくは「Melbourne International Art Festival」公式サイトで見られる。とくに空中Performanceについては-FREE EVENT-の項をクリックすれば20枚近い写を見られるから、まあ一度ご覧じろ、理屈抜きに愉しめることは請合いだ。


人気ブログランキングへ -読まれたあとは、1click-