山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

ボタ山の下でまた逢へた

2009-10-15 23:54:18 | 文化・芸術
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Information – 四方館のWork Shop

四方館の身体表現 -Shihohkan’s Improvisation Dance-
そのKeywordは、場面の創出。

場面の創出とは
そこへとより来たったさまざまな表象群と
そこよりさき起こり来る表象群と、を
その瞬間一挙に
まったく新たなる相貌のもとに統轄しうる
そのような磁場を生み出すことである。

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月26日の稿に
11月26日、晴、行程8里、半分は汽車、緑平居-うれしいといふ外なし-

ぐつすり寝てほつかり覚めた、いそがしく飲んで食べて、出勤する星城子さんと街道の分岐点で別れる、直方を経て糸田へ向ふのである、歩いてゐるうちに、だんだん憂鬱になつて堪へれないので、直方からは汽車で緑平居へ驀進した、そして夫妻の温かい雰囲気に包まれた。‥‥

昧々居から緑平居までは歓待優遇の連続である、これでよいのだらうかといふ気がする、飲みすぎ饒舌りすぎる、遊びすぎる、他の世話になりすぎる、他の気分に交りすぎる、勿躰ないやうな心持になつてゐる。

山のうつくしさよ、友のあたたかさよ、酒のうまさよ。
今日は香春岳のよさを観た、泥炭-ボタ-山のよさをも観た、自然の山、人間の山、山みなよからざるなし。

駅で、伊豆地方強震の号外を見て驚いた、そして関東大震災当時を思ひ出した、そして諸行無常を痛感した、観無常心が発菩提心となる、人々に幸福あれ、災害なかれ、しかし無常流転はどうすることも出来ないのだ。

緑平居で、プロ文士同志の闘争記録を読んで嫌な気がした、人間は互いに闘はなければならないのか、闘はなければならないならば、もつと正直に真剣に闘へ。

此の二つの記事が何を教へるか、考ふべし、よく考ふべし。

※表題句の外、16句を記す

-表象の森- ダ・ヴィンチの絵?

従来は19世紀ドイツ人画家の作品とされてきたルネサンス期の女性の横顔を描いた絵-縦33cm×横23cm-が、実はレオナルド・ダ・ヴィンチの絵だった、と話題を呼んでいる。

科学的な根拠は絵の左隅に残された指紋が、ダ・ヴィンチのものと極めて酷似しているのだという。彼の指紋はバチカン美術館にある絵画「聖ヒエロニムス」に残されており、これとほぼ合致。さらに放射性炭素年代測定によれば、15~17世紀に制作されたものと判定されており、ダ・ヴィンチの絵であるのはほぼ間違いあるまいというのだ。描かれている横顔の女性は、当時ダビンチの後援者だったミラノのルドビコ・スフォルツァ公の娘の可能性が高いと、そんな説も唱えられている。

これがほんとうにダ・ヴィンチの作品となれば、1億Euro-133億円-以上の価値にもなろうというのだから、時ならぬ騒ぎとなるのも無理はない。無理はないのだけれど、画面で覗えるかぎりこの絵、人物はともかく、その背景は粗書きのままのようで、未完の習作ではなかったかとも思われる。

この騒ぎに、地下に眠るダ・ヴィンチ先生、ひょっとすると迷惑顔をしているやもしれない。


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まつたく裸木となりて立つ

2009-10-13 23:52:49 | 文化・芸術
Dc09070755

Information - CASOにおけるデカルコマニィ的展開「青空」展

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月25日の稿に
11月25日、晴、河内水源地散歩、星城子居、雲関亭、四有三居

ほがらかな晴、俊和尚と同行して警察署へ行く、朝酒はうまかつたが、それよりも人の情がうれしかつた、道場で小城氏に紹介される、氏も何処となく古武士の風格を具へてゐる、あの年配で剣道六段の教士であるとは珍しい、外柔内剛、春のやさしさと秋のおごそかとを持つ人格者である、予期しなかつた面接のよろこびをよろこばずにはゐられなかつた、稽古の済むのを待つて、四人-小城氏と俊和尚と星城子とそして私と-うち連れて中学校の裏へまはり、そこの草をしいて坐る、と俊和尚の袖から般若湯の一本が出る、殆ど私一人で飲みほした-自分名ながらよく飲むのに感心した-、-略-

河内水源地は国家の経営だけに、近代風景として印象深く受け入れた-この紀行も別に、秋ところどころの一節として書く-、帰途小城さんの雲関亭に寄つて夕飯を饗ばれる、暮れてから四有三居の句会へ出る、会する者十人ばかり、初対面の方が多かつたが、なかなかま盛会だつた-私が例の如く笑ひ過ぎ饒舌り過ぎたことはいふまでもあるまい-、12時近く散会、それからまたまた例の四人でおでんやの床几に腰かけて、別れの盃をかはす、みんな気持よく酔つむて、俊和尚は小城さんといつしょに、私は星城子さんといつしよに東と西へ、-私は
ずゐぶん酔つぱらつてゐたが、それでも、俊和尚と強い握手をして、さらに小城さんの手をも握つたことを覚えてゐる。

※表題句の外、13句を記す

―世間虚仮― 繁昌亭の繁昌

天満天神の繁昌亭が、文字どおり繁昌しているそうな。建設資金の殆どが市民らの寄付カンパで成った落語の定席小屋だし、06年9月の杮落し以来、ずっと続いているというその盛況ぶりは喜ばしい限りだし、このほど累積入場者数も50万人を超えたと、結構なニュースである。

この間、通算100回目の来場を果たした剛の者がおり、この御仁に感謝状が贈られた、ともあるのだが、この剛の者が堺市役所の職員と書かれてあるのを見るに及んで、途端に興醒め。そりゃ好きで通いつめた結果ではあろうが、その御仁がなんだよ公務員かい、時間もあれば金銭にもゆとりあり、まことに結構な身分でございますな、と外野から半畳も入れたくなろうというものだ。

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たうて逢うてゐる風

2009-10-12 23:53:26 | 文化・芸術
Dinnershow0900_2

Information – 四方館のWork Shop

四方館の身体表現 -Shihohkan’s Improvisation Dance-
そのKeywordは、場面の創出。

場面の創出とは
そこへとより来たったさまざまな表象群と
そこよりさき起こり来る表象群と、を
その瞬間一挙に
まったく新たなる相貌のもとに統轄しうる
そのような磁場を生み出すことである。

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月24日の稿に
11月24日、曇、雨、寒、八幡市、星城子居

今日も亦、きちがい日和だ、裁判所行きの地橙孫君と連れ立つて歩く、別れるとき、また汽車賃、弁当代をいただいた、すまないとは思ふけれど、汽車賃はありますか、弁当代はありますかと訊かれると、ありませんと答へる外ない、おかげで行乞しないで、門司へ渡り八幡へ飛ぶ、やうやく星城子居を尋ねあてて腰を据える、星城子居で星城子に会ふのは当然だが、俊和尚に相見したのは意外だつた、今日は二重のよろこび-星氏に会つたよろこび、俊氏に会つたよろこび-を与へられたのである。-略-

ずゐぶんおそくまで飲みつづけ話しつづけた、飲んでも飲んでも話しても話しても興は尽きなかつた、それでは皆さんおやすみ、あすはまた飲みませう、話しませう-虫がよすぎますね! -略-

省みて、私は搾取者ぢやないか、否、奪掠者ぢやないか、と恥ぢる、かういふ生活、かういふ生活に溺れてゆく私を呪ふ。‥
芭蕉の言葉に、わが句は夏炉冬扇の如し、といふのがある、俳句は夏炉冬扇だ、夏炉冬扇であるが故に、冬炉夏扇として役立つのではあるまいか。
荷物の重さ、いひかへれば執着の重さを感じる、荷物は少なくなつてゆかなければならないのに、だんだん多くなつてくる、捨てるよりも拾ふからである。

八幡よいとこ-第一印象は、上かんおさかなつき一合十銭の立看板だつた、そしてバラツク式長屋をめぐる煤煙だつた、そして友人の温かい雰囲気だつた。

※表題句の外、14句を記す

―四方のたより― ヤレヤレ、無事終了

松浦ゆみのDinner Show、大過なくまずまず賑やかなうちに終了、なにはともあれお疲れさんだ。

なにしろ専属のマネージャーも居なくて、いつも歌手本人が独りきりで手売り、それで成り立っているのだから、いざとなると制作面から演出面やProgramの進行まで此方にかかってくる。本番の日ともなると、実際いっさいの仕切りが此方の役回りとなるのだから、よほど草臥れるものである。

とはいうものの、エンタテイメントとしての彼女は大したもの、これだけの仕掛けを独りで発信し且つ独りで手配もしているのだから、なかなかようやるものだ。しかも、歌は演歌からPopsまでなんでもこなして、しかもかなり上手いときている。関西に居る所為でなかなか有名歌手にはなれないが、いつもながらえらいもんだと感心させられる。
もうひと伸び、ふた伸び、成るか成らないか、彼女もいよいよ正念場といったところなのだろう。業界からは門外漢でしかない私などには、まああまりしてやれることはないのだけれど‥。


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雨の一日一隅を守る

2009-10-11 23:55:22 | 文化・芸術
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Information - CASOにおけるデカルコマニィ的展開「青空」展

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月23日の稿に
11月23日、曇、時雨、下関市、地橙孫居

相変わらずの天候である、浅野関門海峡を渡る、時雨に濡れて近大風景を観賞する、舳の尖端に立つて法衣を寒風に任した次第である、多少のモダーン味がないこともあるまい。

門司風景を点綴するには朝鮮服の朝鮮人の悠然たる姿を添へなければならない、西洋人のすつきりした姿乃至じつしりした姿も-そして下関駅頭の屋台店-飲食店に限る-、門司海岸の果実売子を忘れてはならない。

約束通り10時前に源三郎居を訪ふたが、同人に差閊え多くて、主客二人では句会にならないで、けつくそれをよい事にして山へ登る、源三郎さんはりゆうとした現代紳士型の洋装、私は地下足袋で頬かむりの珍妙姿、さぞ山の神-字義通りの-もおかしがつたであらう。

下関から眺めた門司の山々はよかつたが、近づいて見て、登って観て、一層よかつた、門司には過ぎたるものだ。
「当然」に生きるのが本当の生活だらうけれど、私はただ「必然」に生きてゐる、少くとも此二筋の「句」に於ては、「酒」に於ては!

※表題句の外、20句と改作3句を記す

―四方のたより―名古屋・大須観音界隈を歩く

名古屋へと、車で日帰りの旅。先にも触れた、名古屋は大須観音界隈で毎年行われている、今年は32回目を迎えるという、大須大道町人祭を見物に出かけた、いわば物見遊山だが、その初期の頃から常連として出演しているデカルコ・マリィら一党のPerformanceを観るのも兼ねたものだった。

名古屋行はまる3年ぶり、月に一度しかない開帳日に折角合せて出かけたのに、受付が午後2時までだったかを15分ほど過ぎてしまって、十二神将の円空仏をとうとう見逃してしまったという、笑うに笑えぬ曰く付きの鉈薬師訪問、3年前の8月以来である。

あの日と同じように、名古屋に住むTosikiさんに不躾を省みず案内をお願いした。彼は快く応じてくれ、昼過ぎから夜9時半頃に別れるまで、案内役としてずっと付き合ってくれた。

大須観音の参道であり、東西に走る二本の商店街、仁王門通-東仁王門通と大須観音通-万松寺通、この二つの通りを南北に横切る大須本通-門前町通、裏門前町通、新天地通など、これらの辻々や神社境内、あるいは公園などに設定された催し会場が16ポイント、これらの場所で10日と11日、土日の2日間、40の個人やグループのPerformerたちが入替り立替りその芸を披露、見物人の投銭のみが彼らの実入りとなるというのが原則の大道芸祭り。

デカルコ・マリィ一党は、演舞・演奏・美術など総勢20名余の大所帯での大須乗込みが、ここ数年常態化してきているとみえて、演者たちのほうこそお祭り騒ぎの様相を呈している。その本割りともいうべき午後7時20分からの浅間神社前でのPerformanceは、これまたここ数年、イメージ・ストーリィを明瞭にもった構成となっているようだ。今回の目玉はラストシーンに登場する妖怪仕立ての大型の仕掛人形、これが40分近い演舞、物語の収斂装置だ。

大須観音の本殿、観音堂前の石段で演じられていたのが大駱駝艦の金粉ショー、さすがに人出は多くほぼ境内を埋め尽くすほどの賑わい。大きな社殿をバックに石段の高低差を舞台に総勢7人がライトに照り映えて夜目にもあざやかに浮かんだ金粉の肉体たちは、その舞踏がどうの、演出がどうのと、そんな講釈などさらさら要らぬ、このロケーションだけで絵にはなる、それだけのことだ。

いずれにせよ、32年も続いてきた大須の大道芸祭、一度はこの眼で見ておかねばなるまいとは思ってきた、それをやっと果たせた。


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お経とどかないヂヤズの騒音

2009-10-10 09:54:35 | 文化・芸術
Dancecafe081226032

Information – 松浦ゆみのDinner Show

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月22日の稿に
11月22日、晴曇定めなし、時々雨、一流街行乞、宿は同じ事

お天気は昨日からの-正確にいへば一昨日からの-つづき、降つたり晴れたりだ、10時近くなつて、どうやら大して降りさうもないので出かける、こんな日は、ひとり火鉢をかかへて、読書と思索とに沈潜したいのだけれど、それはとうてい許されない。

草鞋ではとてもやりきれないので、昨日も今日も地下足袋を穿いたが、感じの悪い事おびただしい。
2時過ぎまで行乞、キス一杯の余裕あるだけはいただいて、地橙孫さんを訪ねる、不在、奥さんに逢つて-女中さん怪訝な顔付で呼びにいつた-ちよつと挨拶する、白状すれば、昨春御馳走になつてゐるし、そのうへ少し借りたのもそのままになつてゐる、逢うて話したいし、逢へばきまりが悪いし、といつてここへ来て黙つてゐる私の心情が許さないし、とにもかくにも地橙孫さんは尊敬すべき紳士である、私は俳人としてでなく、人間として親しみを感じてゐるのである。-略-

生きてゐることのうれしさとくるしさとを毎日感じる、同時に人間といふもののよさとわるさとを感ぜずにはゐられない、-それがルンペン生活の特権とでもいはうか、それはそれとして明日は句会だ、どうかお天気であつてほしい、好悪愛憎、我他彼比のない気分になりたい。

※表題句の外、6句、改作8句を記す


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