山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

水のんでこの憂鬱のやりどころなし

2009-11-10 23:52:17 | 文化・芸術
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―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月13日の稿に
12月13日、曇、行程4里、大牟田市、白川屋

昨夜は子供が泣く、老爺がこづく、何や彼やうるさくて度々眼が覚めた、朝は早く起きたけれど、ゆつくりして9時出立、渡瀬行乞、三池町も少し行乞して、善光寺へ詣でる、堂塔はみすぼらしいけれど景勝たるを失はない、このあたりには宿屋-私が泊まるやうな-がないので、大牟田へ急いだ、日が落ちると同時に此宿へ着いた、風呂はない、風呂屋へ行くほどの元気もない、やつと一杯ひつかけてすべてを忘れる。‥ -略-

冬が来たことを感じた、うそ寒かつた、心細かつた、やつぱりセンチだね、白髪のセンチメンタリスト! 笑ふにも笑へない、泣くにも泣けない、ルンペンは泣き笑ひする外ない。

夜、寝られないので庵号などを考へた、まだ土地も金も何もきまらないのに、もう庵号だけはきまつた、曰く、三八九庵-唐の超真和尚の三八九府に拠つたのである。-

※表題句の外、5句を記す

-日々余話- Soulful Days-30- 山巓は見えた

MKタクシーに取り付けられていたDrive Recorderに残された事故時の記録動画を証拠資料として、大阪地検に対し再捜査あるべしと要請したのは、4月8日のことだった。

その2週間後には、大阪府警科学捜査研究所に問題の記録動画が持ち込まれた、とも聞いていたのだが、それから半年余りのあいだ、二度、三度と、地検担当検事に「再捜査、分析結果の報告は?」と問えども、「未だし」の回答ばかりで、徒に時日ばかりが過ぎ去っていくのに、科捜研は一体やる気があるのか、このまま放擲されっぱなしで済まされようとしているのでは、などと猜疑心に襲われることもしばしばであった。

だが、昨日、ようやく地検から連絡、「府警から再捜査の報告が上がってきたので、11月中あるいは遅くとも12月には、審判を下せるだろう」と担当検事。さすがに私の胸も高鳴った。

かたわら、現在進行中の民事訴訟では、事故車同士のMK側とT側、被告双方のあいだで、過失の有無について意見の対立がみられる、という。あくまで無過失を主張するT側に、そりゃないだろうとMK側は一定の過失を認めさせようとしているそうだ。

先日、MK側弁護士は、M運転手から事故状況を聴取し、T側にも大いに過失ありきの感触をもっているらしい。さらに、M運転手が持ち込んだDrive Recorderを見て、Tの無灯火運転は明白だと言い、証拠としてきわめて有効だとも言ったそうだ、とこれはM運転手からの情報。

夜間のこととはいえ、見通しのよい広い交差点での事故、直進車の相手方にもそれ相当の過失がなければ、死亡にいたるまでの衝撃に遭うまいものを、それをなぜだか自分は無過失だと言いつのる相手方に、嘘の仮面だけは剥がしてやらねばならない、とずっとそう思ってきた。

相手を憎んでなんかいない。人として腹立たしいばかりだが、その先にあるのは憎悪じゃない、むしろ軽蔑が似つかわしい。
いずれにせよ、年内にも、待ち望んできた結果が、明々白々の事実が、われわれの前に露わになる。


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日向の羅漢様どれも首がない

2009-11-08 23:58:12 | 文化・芸術
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―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月12日の稿に
12月12日、晴、行程6里、原町、常磐屋

思はず朝寝して出立したのはもう9時過ぎだつた、途中少しばかり行乞する、そして第十七番の清水寺へ詣でる、九州西国の札所としては有数の場所だが、本堂は焼失して再興冲である、再興されたら随分見事だらう、ここから第十六番への山越は例にない難路だつた、そこの尼さんは好感を与へる人だつた、ここからまた清水寺へ戻る道も難路だつた、やうやく前の道へ出て、急いでここに泊まつた、共同風呂といふのへ入つた、酒一合飲んだらすつかり一文なしになった、明日から嫌でも行乞を続けなければならない。

行乞! 行乞のむづかしさよりも行乞のみじめさである、行乞の矛盾にいつも苦しめられるのである、行乞の客観的意義は兎も角も、主観的価値に悩まずにゐられないのである、根本的にいへば、私の生存そのものの問題である-酒はもう問題ではなくなつた-。

遍路山路の石地蔵尊はありがたい、今日は石地蔵尊に導かれて、半里の難路を迷はないで巡拝することが出来た。-略-
※表題句の外、2句を記す

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―表象の森― 誰もやらない、やれない

私が師事したK師の舞踊には、まぎれもなく物象化への系譜に連なるものがあったと思われるが、いまそんな要素を孕むものは一顧だにされてもいない、というのが少なくとも’90年代以降から今日にいたる舞踊の現状であろう。

私が、K師の初期からの弟子であるからか、あるいは私自身の内に、些か古典的な思考の尾鰭が付着しているがゆえにか、私たちのImprovisation Dance-即興舞踊-では、動きの紡ぎゆき-Continuity-を物象化の側面において捉えようとする視点が、抜き差しならぬものとして存在しているように思う。

だが、Contemporaryなる語が舞踊界を席捲して以来このかた、そんな発想は誰もとらないし、そういった動きの工夫など誰も求めないし、誰もやらない。

先日来、少しく触れてきているように、現在の私たちの稽古場、私たちのwork shopのなかでは、私自身これまでに経験したことのない、ただならぬ事態が起こっている。

仮に、動きの最小単位とでもいうべきものを言語行為における<語彙>に比類するならば、当然、その多様なること、豊かなことが要請されようが、ここ数次の現場では、これが一気呵成といっていいほどに実現してきている。これが先ず一点。

そしてさらにつけ加えるならば、これは、今日の稽古場で、彼女らの比較的短い5.6分のImprovisationを観た後の感想として語ったことなのだが、「謂わば、詩でいうなら<行分け>のようなもの、それが出来てきている、そうやってどんどん動きが紡ぎ出されている、重ねられていっている」と。それぞれ個有の感性で、動きを紡ぎ出しつつ、ある流れというか短い単位-即ち詩の一行から、次なる一行へと、運ばれていっている、そういったことが無意識の裡に出来るようになっている、と、まあそんな意味だ。

こんなことは、いまどき、誰もやらないが、それと同時に、誰もやれない、やれっこない、というのも事実だと思うのだ。
そう言い切ってしまって、その上で、それがどうした、なにほどのことか、と問われれば、否、ただそれだけのこと、これでもって世界が変わるものじゃあるまいし、また驚愕するほどのことでもない、それもまた事実なのだ。


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うらゝかな今日の米だけはある

2009-11-07 23:48:22 | 文化・芸術
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Information – 四方館のWork Shop
四方館の身体表現 -Shihohkan’s Improvisation Dance-
そのKeywordは、場面の創出。
場面の創出とは
そこへとより来たったさまざまな表象群と
そこよりさき起こり来る表象群と、を
その瞬間一挙に
まったく新たなる相貌のもとに統轄しうる
そのような磁場を生み出すことである。

―山頭火の一句 昭和5年の行乞記、12月11日の稿に
12月11日、晴、行程7里、羽犬塚、或る宿

朝早く、第十八番の札所へ拝登する、山裾の静かなお堂である、札所らしい気分になる、そこから急いで久留米へ出て、郵便局で、留置の雑誌やら手紙やらを受け取る、ここで泊まるつもりだけれど、雑踏するのが嫌なので羽犬塚まで歩く、目についた宿にとびこんだが、きたなくてうるさいけれど、やすくいしんせつだつた。

霜-うららか-雲雀の唄-櫨の並木-苗木畑-果実の美観-これだけ書いておいて、今日の印象の備忘としよう。
※表題句の外、4句を記す

―日々余話― 成田屋騒動

昨日から不調を訴えていたKAORUKO、とりあえず新インフルの診察は陰性だったとかでひとまず安堵なれど、熱がなかなか下がらず、ゴロリと寝てばかりしてござる。

仕方なく、動物園前の山王交差点南角のおでんや成田屋での、デカルコ・マリィらの路上Performanceには、一人で出かけた。此処でやるのはもう何度目か、3ヶ月に一度のペースの成田屋騒動もすでに定着してきたようだ。

相変わらず通行人は多く、足を止めてしばし見入る者もかなりの数。惜しむらくは、主な舞台となる舗道が、街のネオンや信号灯などから外れ、周辺の明るさに比して少々暗いから、街頭風景の中に沈み込むような恰好となることだ。

今日はめずらしく、観終わってから、おでんを肴にビールや酒を呑みつつ、ゆっくり時間を過ごしてきた。もっぱらビオラの大竹さんといろいろ話し込む。年も近いしお互い脛に傷持つ同士ゆえ、話のタネも尽きないか。


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行き暮れて水の音ある

2009-11-06 23:58:20 | 文化・芸術
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―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月10日の稿に
12月10日、晴、行程6里、善導寺、或る宿

9時近くなつて、双之介さんに送られて、田主丸の方へ向ふ、別れてから、久しぶりに行乞を初めたが、とても出来ないので、すぐ止めて、第十九番の札所に参拝する、本堂庫裡改築中で落ちつきがない、まあ市井のお観音様といつた感じである、ここから箕ノ山の麓を善導寺までの3里は田舎路らしくてよかつた、箕ノ山といふ山はおもしろい、小さい山があつまつて長々と横たはつてゐるのである、陽をうけて、山脈が濃淡とりどりなのもうつくしかつた、途中、第十八番の札所へ詣るつもりだつたが、宿の都合が悪く、日も暮れかけたので、急いで此宿を探して泊まつた、同宿者が多くてうるさかつた、日記を書くことも出来ないのには困つた、床についてからも嫌な夢ばかり見た、49年の悪夢だ、夢は意識しない自己の表現だ、何と私の中には、もろもろのものがひそんでゐることよ!

※表題句の外、2句を記す

Himuro

―日々余話― 三日、色々

一昨日-11/4-は、インド舞踊-Odissi Dance-の茶谷祐三子と打合せのために出かけたのだが、連れ立って来たスイス人の夫君と初対面となった。彼の名はパリギャン-Parigyan-、’51年生れというから今年58歳。ドイツのフライブルク大学で数学・物理学を修し、コンピュータープログラマーを経て、現在、ヒーリングや瞑想をWorkとしているそうだ。

’77年、インドのプーナを訪れ、瞑想の師Osho-和尚=ラジニーシと出会い、弟子に。師Oshoは’90年に歿しているが、長い年月を、師のアシュラムやコミューンで過ごしてきた、という。

肩にも届く銀髪に、口髭とともに顎から揉み上げまでを覆う伸び放題の鬚に包まれた風貌は、優しい柔和な眼差しと相俟って、穏やかで物静かな聖者然とした雰囲気を醸し出す。

彼は私への挨拶代わりに、横に坐って、私の左手を両手で包むようにして、数分間のあいだずっと優しく触れてくれた。仄かに優しい温もりが伝わってくるもので、私はただ触れられるままに心静かに委ねていた。

昨日-11/5-は、めずらしく連れ合い殿が休日とあって、朝から映画を観に梅田へと出かけた。
ドキュメント・タッチの「パリ・オペラ座のすべて」はなんと上映時間160分ほどもある長尺もの。ルイ14世が、王の権力と熱情でもって創りあげた世界最古のバレエ団、パリ・オペラ座の、21世紀の今日に生きるその全貌が露わになる。Dancerだけで総勢154名、’08年の総人件費が約160億円、これはオペラ座全予算の半分を占め、国からの補助金とほぼ同額であるという。さまざまなレッスン風景が繰りひろげられ、スタッフたちの仕事ぶりや、劇場の構造、隅々至る所までもが映像として挿入されていく‥。

なにしろ物語とてなにもない、ただひたすらあらゆる細部を重畳するに徹して、オペラ座の全貌に迫ろうというものだから、睡眠不足が習い性となっている私などには、エトワールたちの稽古風景などでは大いに惹きつけられるものがあったとしても、やがてうとうとと舟を漕ぐ始末で、後半にいたってはかなりの部分を見逃してしまったようである。

今日は午後から、RYOUKOの事故当時の運転手であったM氏と久しぶりに会談。民事訴訟のMKタクシー側弁護士に、事故状況等について聞かして欲しいと呼び出されたのが2日だったとかで、いわばその報告。

此方は事故相手方のTとMKタクシー双方をともに告訴しているのだが、あくまで過失ゼロを主張するT側と、同じ被告でありつつもMKタクシー側とのあいだに利害の相反する対立点が生じてきており、さしあたりは双方の過失の度が問題の焦点になってきているようで、この展開は此方の望むところである。場合によっては、一向に埒があかない検察の審理を尻目に、今後この民事で、ドライブ・レコーダーの記録も活きてくるやしれず、あるいはTの証人尋問といった場面まで起こってくるかもしれない。


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みあかしゆらぐなむあみだぶつ

2009-11-03 11:50:31 | 文化・芸術
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―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、12月9日の稿に
12月9日、雨后曇、双之介居滞在-本郷上町今村氏方-

よい一日だつた、勧められるままに滞在した、酒を飲んでものを考へて、さいどうしようもないが、どうしようもないままでよかつた、日記をつけたり、近所のお寺へまゐつたりした、‥そして田園情調を味はつた、殊に双之介さんが帰つて、床を並べて、しんみり話し合つてゐるところへ、家の人から御馳走になつた焼握飯はおいしかつた。

双之介さんと対座してゐると、人間といふものがなつかしうなる、それほど人間的温情の持主だ、同宿の田中さん-双之介さんと同業の友達-もいい人物だつた、若さが悩む悶えを聞いた。

※表題句の外、1句を記す

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―世間虚仮― トンネルを抜けると‥

信楽町郊外の山中にあるMIHO MUSEUMに出かけた。昨年、北陸地方の旧家から発見されたという伊藤若冲の「象と鯨図屏風」が初公開されているのに誘われてのことだ。

ルーブル美術館のガラスピラミッドの設計で知られる建築家イオ・ミン・ペイ-Ieoh Ming Pei-が設計したというMIHO MUSEUMは、人里離れた山中という環境とも相俟って、異相の美術館というに相応しい。

入場受付のエントランス-レセプション棟-から500mほど離れた展示館へと行くのに、電気自動車に乗って山峡を跨ぐようにトンネルと吊り橋を通るといった趣向に、先ず驚かされる。Shangri-La-桃源郷-へと誘う道といったイメージらしいが、良くも悪くも人を喰ったような趣向である。

山頂に聳え立つ、コンクリートとガラスと鉄骨で造られた展示館-美術棟-も、また豪壮というか、最大限に採り入れられた自然光が、館内の広いアプローチを快適な空間にしている。

受付の係員たちや何台もピストン往復する電気自動車の乗務員たち、あるいは広い駐車場の係員たちなど、応接サービスに従事する者の多いのにも驚かされたものだが、総工費に約300億をもかけたという金に糸目をつけぬ豪勢さに加え、桃源郷なる趣味嗜好といった、この異相の美術館- MIHO MUSEUMが、宗教団体神慈秀明会によって建てられたものだと知るに及んで、いっさいが腑に落ちたものである。

肝心の「若冲ワンターランド」と標榜した展示のほうは、件の「象と鯨図屏風」以外にはモザイク屏風として知られる「鳥獣花木図屏風」くらいが必見の価値ありで、ワンターランドというには些かもの寂しい。


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