山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

霽れて暑い石仏ならんでおはす

2011-05-04 23:18:08 | 文化・芸術
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―四方のたより― 箕面の滝道で

選挙が絡んだ所為で、彼岸のときに墓参に行きそびれたままだったのを、やっと昨日の午後に。
その足で、昨年から、この時期、川床を始めたという箕面へと足を伸ばし、滝道を歩く。
新緑の楓群は陽射しに照り映え色鮮やか、その中に山がのこのあたりゆえか、ぽつりぽつりと真つ赤に咲いた椿の花に眼を奪われた。
滝でのひと休みを挟んで往復2時間、駅前の小粋なカフェで珈琲タイム、此処の珈琲がソフトだけれど美味しかった。

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<日暦詩句>-27
旅人が草になげた仮面は光る
物質のめまいすずろぐ谷
するどい沙漠の匂いをちらす木の下に
流刑人の帽のような果実が
投身する その水しぶき
巌の水よ ゆうべの底にかがやき
いなずまは遠い熱情のきざはしもて
橄欖石の肌にこすりつける
ひといろの楔形文字を
きのう果てた嵐の遺書を

起ち そしてあゆめ 時よ
くちずけせよ 朝の岸辺に わがしかばねよ
えたいのしれぬ愛
それこそ「明日」なのだ
  -谷川雁詩集より「わが墓標のオクターヴ」-昭和35年-

―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-160
6月18日、同前。

快晴、梅雨季には珍らしいお天気でもあるし、ちようど観音日でもあるので、狗留孫山へ拝登、往復6里、山のよさ、水のうまさを久しぶりに味つた。
道を間違へて、半里ばかり岨路を歩いたのは、かへつてうれしかつた、岩に口づけて腹いつぱい飲んだ水、そのあたりいちめんにただようてゐる山気、それを胸いつぱい吸いこんだ、身心がせいぜいした。
狗留孫山修禅寺、さすがに名刹だけあるが、参詣者が多いだけそれだけ俗化してゐる、参道の杉並木、山門の草葺、四面を囲む青葉若葉のあざやかさ、水のうつくしさ、―それは長く私の印象として残るだらう。
田植を見て「土落し」を思ひだした、それは私が少年時代、郷里の農家に於ける年中行事の一つであつた、一日休んで田植の泥を落すのである、何といふ、なつかしい思出だらう。
昨日も今日もサケナシデー、すこし切ない。
近頃、ひとりごとをいふやうになつた、年齢の加減か、独居のせいか、何とかいふ支那の禅師の話を思ひだしておかしかつたり、くやしかつたりしたことである。

※表題句の外、10句を記す

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Photo/狗留孫山修禅寺の山門

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 〃 /祖師堂内からの遠望
 
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〃 /参詣道中にある岩谷の十三仏


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さみしいからだをずんぶり浸けた

2011-05-03 13:17:17 | 文化・芸術
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―四方のたより― 国芳展を観る

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昨日、連休の谷間の2日、旅から帰ったKAORUKOにとっては4日ぶりの登校日、此方は昼前から出かけ、大阪市立美術館で開催中の国芳展へ。
ごった返すほどというほどの人出ではないがかなりの盛況、ものが版画という小さな平面だけに、なかなか進まぬ列に従って順繰りに鑑賞するのは相当な根気を要する。
途中、会場なかほどにある休憩所で一息入れたのも併せ、最後のshopまで辿り着くのに一時間半はかかったか。
400に余る作品を前後期に分けて展示するというこの催し、後期は連休明けの10日からだそうだが、もう一度足を運ぶ気力は起こりそうもないので、このたびの展示作品すべてを網羅した記念誌-2500円也-を購って美術館をあとに。
昼下がりの新世界の横丁は人人の波、どの店も客でいっぱい、名高い串カツ屋などでは順番待ちの列が狭い路地を埋めていた。

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<日暦詩句>-26

もう何日もあるきつづけた
背中に銃を背負い
道は曲がりくねって
見知らぬ村から村へつづいている
だがその向こうになじみふかいひとつの村がある
そこに帰る
帰らねばならぬ
目を閉じると一瞬のうちに想いだす
森の形
畑を通る抜路
屋根飾り
漬物の漬け方
親族一統
削り合う田地
ちっぽけな格式と永劫変らぬ白壁
柄のとれた鍬と他人の土
野垂れ死した父祖たちよ
追いたてられた母達よ
そこに帰る
見覚えある曲り角から躍りだす
いま始源の遺恨をはらす
復習の季だ
その村は向うにある
道は見知らぬ村から村へつづいている
  -黒田喜男詩集「不安と遊撃」所収-昭和34年-「空想とゲリラ」より


―山頭火の一句― 行乞記再び-昭和7年-159
6月17日、同前。

梅雨日和、終日読書、さうする外ないから。
アイバチといふ魚を買つた、10銭、うまくていやみがなかつた-ナマクサイモノを食べたのは、何日目だつたかな-、そしてうどん玉二つ、5銭、これもおいしかつた、今晩は近来の御馳走だつた。
このあたりも、ぼつぼつ田植がはじまつた、二三人で唄もうたはないで植ゑてゐる、田植ゑは農家の年中行事のうちで、最も日本的であり、田園趣味を発揮するものであるが、此頃の田植は何といふさびしいことだらう、私は少年の頃、田植の御馳走-煮〆や小豆飯や-を思ひだして、少々センチにならざるを得なかつた、早乙女のよさも永久に見られないのだらうか。-略-
土地借入には当村在住の保証人二名をこしらへなければならないので、嫌々ながら、自己吹聴をやり自己保証をやつてゐるのだが、さてどれだけの効果があるかはあぶないものだ、本人が本人の事をいふほどアテになるものはなく同時にアテにならないものもない。
一も金、二も金、三もまた金だ、金の力は知りすぎるほど知つてゐるが、かうして世間的交渉をつづけてゐると、金の力をあまり知りすぎる!
私の生活は-と今日も私は考へた-搾取といふよりも詐取だ、いかにも殊勝らしく、或る時は坊主らしく、或る時は俳人らしくカムフラーヂユして余命を貪つてゐるのではないか。
法衣を脱ぎ捨ててしまへ、俳句の話なんかやめてしまへよ。
それにしても、やつぱりさみしい、さみしいですよ。

※表題句の外、7句を記す

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Photo/川棚温泉近くにある豊浦リフレッシュパークに咲き乱れる菜の花


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