美術館巡りと古都散策、Jazz & Bossa など・・

スタンダードやボサ・ノバなどを歌って録音したり、美しい景色などを撮影して動画を作っています。美術展にもよく行きます。

♪ The Lady Is A Tramp (duet) を録音

2015-06-23 | Jazz Vocal

トニー・ベネットがレディ・ガガとデュエットして録音している

『The Lady Is A Tramp』を歌って録音しました。

デュエットして頂いた女性がすごく巧く、私が思うにアマチュアの

レベルでは、最高だと思います。You Tube にアップしました。

美しいニコール・キッドマンの画像をたくさん使わせて頂きました。

スライドしている画像は、歌詞の内容と合わせています。


この曲は、フランク・シナトラが歌ったものが有名です。

私は、シナトラのアレンジで歌ったものと、ジャズのセッションでも

歌っていますので、今回で3度録音した事になります。

 

 

1937年にローレンツ・ハートが作詞し、リチャード・ロジャースが作曲しました。

1957年の映画『Pal Joey』(邦題、夜の豹)で、フランク・シナトラが歌って

大ヒットさせました。今から、もう78年も昔に作られた曲ですが、現在も

録音されたり、ステージでよく歌われている永遠の曲です。

日本の歌謡曲などでは考えられない事です。

では、2011年にトニー・ベネットがレディ・ガガとデュエットして録音

した映像をご覧ください。ガガのパフォーマンスが愉快です。

この映像の他にもライブ映像がたくさんアップされています。

 

この曲が作られた当時のお金持ちの女性は、社交界で注目を浴びるために

わざとディナーや観劇に行くのを遅れたり、毛皮やパールで着飾ったり、

カジノで殿方と遊んだりしたのを皮肉っている内容の歌詞なんです。

・・・Tramp とは、トランプゲームの事ではありません。

トランプは日本のメーカーがカード・ゲームに付けたた商品名です。

この曲で云っている「Tramp」 とは気まま者、世間を気にしない、

放浪者などの意味です。

歌詞と和訳を全部書くとブログの字数制限をオーバーしますので、

日本語訳のみ書いておきます。

彼女は8時にはディナーが食べたくて腹ぺこになる。
・・・私はお腹がへって死にそう!
彼女は観劇するのが大好きだから劇場には絶対に遅れてこない
・・・・私は嫌いな人の邪魔はしない
だから彼女は気まぐれ者って言われるんだ。

彼女はお金持ちたちとのくだらない付き合いが好きじゃない
毛皮のコートや真珠をつけて行ったりしない。
・・・だから私は絶対に他の女の子に愚痴ったりしない。
だから彼女は気まぐれ者なんだ。

・・・・爽やかな風が髪をなびかせるのが大好き
・・・・何も気にしない人生
・・・・でも、私すごく貧乏なの (別にいいさ)
・・・・カリフォルニアなんて大嫌い。
・・・・すごく混んでるし、じめじめしてるわ。
だから彼女は気まぐれ者なんだ。

・・・・たまにコニーアイランドに行くわ
ビーチが素敵だね
・・・・ヤンキースが大好きなの
ジーターはすごいよね
・・・・ロジャースとハートも好きよ
彼女はいつも歌ってる
だから彼女は気まぐれ者なんだ。

・・・・私は賭けて戦うのが好き
それは嘘じゃないね。(・・・嘘じゃないわ)
・・・セントラルパークであなたとあなたの奥さんと
ボートに乗るのが大好き
彼女はオペラに行くと目を見開いて見入ってる (・・・そうだけど)
だから彼女は気まぐれ者なんだ。

彼女は緑の草が靴の下にあるのが好きだ
・・・何を失うの?失うものなんてないわ
だから彼女は気まぐれ者なんだ。
・・・あなたのハンカチーフが私の髪の中にあるのが好き
・・・気にしない人生
・・・でもすごく貧乏
だから彼女は気まぐれ者なんだ。


加賀 山代 と 金沢 兼六園 を訪ねて

2015-06-13 | 散策

先日、石川県加賀市にある山代温泉と金沢市にある兼六園を散策しました。 

山代温泉は、奈良時代の僧、行基が発見したとの伝説がある約1300年もの

歴史を持つ温泉で、北陸三県で最大級の温泉地です。 

山代は温泉だけにとどまらず、豊富な文化資産、伝統文化があり、町並みは

紅殻格子が鮮やかな古い旅館や民家が点在していて、情緒があります。

そして、昔から多くの画家や文人に愛されています。

 

着いた日に真っ先に訪れたのは、美食家であり書画や陶芸の作家としても

知られる北大路魯山人の寓居跡、「いろは草庵」です。

大正4年当時、福田大観と名乗っていた北大路魯山人が約半年間生活した場所で、

この家は明治初期に建てられた吉野家旅館の元別荘。

山代には、茶人や、書画・骨董などに造詣が深い人たちが多く、この別荘は

文化サロン的な場所でした。2002年より一般公開になっていて、魯山人が

刻字看板を彫った仕事部屋、書や絵を描いた書斎、囲炉裏の間、茶室・展示室

などを公開しています。

 

その次に、薬王院温泉寺を拝観しました。 

行基が開いた古刹で、明覚上人の墓とされる五輪塔は国の重要文化財に

指定されています。静かな佇まいのお寺でした。

平安時代末期に明覚上人により七堂伽藍が建立されました。

平安時代の木造十一面観世音菩薩像や鎌倉時代の不動明王像を安置しています。

 

その後は、山代温泉街を散策しました。 

古総湯、総湯そして、紅殻格子を基調とした「はづちを楽堂」など、

とても風情がありました。 

旅館の温泉にゆっくり つかり疲れをとって、翌日は、金沢市にある

箔座という金箔加工の老舗店と江戸時代の代表的な林泉回遊式大名庭園の

特徴をそのまま残している兼六園を訪ねました。 

兼六園では、雨上がりの曇り空でしたが雨に濡れた庭園はしっとりとした

趣があり、とても美しく100枚ほど撮影してしまいました。

広い庭園内をゆっくり歩いて、その美しい風景にただただ見とれるばかりでした。

夕顔亭、時雨亭、花見橋、噴水、雁行橋、唐崎松などを見て、庭園外にある

金沢城公園の石川門も見学しました。 

何度か、兼六園を見学していますが今回も散策して心が落ち着きました。

 

撮影した写真で動画を作りました。

 


日本最古の官道、竹内街道をハイク

2015-06-05 | 散策

先日のやや曇り空で気温が30度以上もあった蒸し暑い日に、

奈良県の葛城市にある竹内街道を歩き、古いお寺や古墳

などの史跡を巡りました。

           


日本書紀に記述されている推古天皇により敷設された当麻径は、

613年頃に難波(なにわ)と飛鳥を結ぶ、重要な道でした。

現在の大阪府堺市と奈良県葛城市を結ぶ竹内街道とルートが

重なる事から、竹内街道が日本最古の官道と云われています。

海外からの物資や文化が上陸する難波の港から大阪と奈良の

間にそびえたつ葛城山系を山越えして、それらを飛鳥にまで運

ぶ、又は二上山で産出されるサヌカイト(緻密な古銅輝石安山岩で

香川県坂出市国分台周辺でも産出するので讃岐岩とも言われています。

古代には、石器の材料として使われ、打製石器、磨製石器に加工され

使われていました)を運ぶ街道でもありました。

(二上山のサヌカイト)

・・・物資を運ぶ人、戦乱から逃れる人などが歩いた歴史ある街道です。

作家、司馬遼太郎が幼少期を過ごしたこの地について、著書「街道をゆく」

綴っています。

 

近鉄電車 磐城駅から出発して、

長尾神社~今市地蔵~孝女伊麻旧跡~綿弓塚~當麻寺~當麻山口神社

~傘堂~高雄寺跡~石光寺~當麻北墓~蹴速塚を巡り、

近鉄電車の当麻寺駅から乗車して帰路に着きました。

城山系の山々のなかで私は、二上山がとても綺麗に見えました。



印象に残った事を記録しておきます。

※孝女伊麻旧跡

病弱な父親への孝行に生涯を尽くした「伊麻」という女性を

たたえた碑があります。母親が早くに亡くなり、継母にひどい

仕打ちをうけますが、弟と共に病弱な父親の面倒をよく見た人

で、父親に栄養をつけようと鰻を探しまわりましたが、見つから

なったのが、ある日の夜遅くに台所にある水瓶で水の跳ねる音が

して、見ると鰻がいたので、料理して父親に食べさせたら、父親が

元気になりました。

この事を聞いた藩主が感動し、「今市物語」として語り継がれ絵巻に

なっています。

磐城小学校には、この「お伊麻さん」の像があります。そして校章を

鰻が入っていた水瓶をモチーフにしています。

 

※綿弓塚

芭蕉が生涯に4回も訪れたところで、綿弓とは、綿の中にある砂や小石

などを取り除く道具でこの地でその作業所があったところ。

芭蕉はこの作業を見て、滞在してお世話になった庄屋の当主に

「綿弓や 琵琶になぐさむ 竹の奥」と俳句を読み贈っています。

その他にもたくさんの芭蕉やお弟子さん達の俳句が記念館に展示

してありました。

 

※當麻寺にある梵鐘

 

聖徳太子の異母弟である麻呂子王が建立した「万法蔵院」が始まり

であると伝えられている當麻寺に日本最古の白鳳時代の梵鐘があります。

ひび割れしていて、つけないのですが、貴重な鐘を保存しています。


 

※石光寺の中将姫石像

               

中将姫が継母から、虐待を受けても、少しもうらまず、ただ一筋に

仏の道に精進し、ついに極楽浄土を目の当たりに感得したという。

境内には中将姫ゆかりの「染の井」と「糸掛桜」があり、中将姫が

曼荼羅を織るために蓮の茎を集めて糸を採り、それを水に浸した

ところ五色に染まったという伝説の場所で、染めるために水を

汲み上げた井戸を「染の井」、傍らの桜の枝を「糸掛桜」と

云われています。

 

※悲劇の皇子、大津皇子をしのんだ 姉、大伯皇女の歌碑

「うつそみの人なる我や 明日よりは 二上山を弟世(いろせ)と我が見む」

この歌は、無実の罪で処刑され二上山に埋葬された大津皇子を思い、姉の

大伯皇女が、「明日からは二上山を我が弟と思う」と歌に詠んだのです。

大津皇子(おおつのみこ)は、天武天皇が父親で、文武両道にすぐれ

謙虚で、部下や使用人を厚く遇したため多くの人々が慕いました。

大津皇子が24歳の時に、天武天皇が崩御し、持統天皇(女帝)が即位

した事により、大津皇子が持統天皇の皇子、草壁皇子の地位を脅かす

存在とみられ謀反の疑いをかけられ処刑されました。

持統天皇は、大津皇子の母親の妹になります。自分の子を天皇にしたくて

邪魔になる姉の子を処刑したと伝えられていますが、諸説があります。

その他にも、古代の歴史を伝えるところがたくさんあり、今回のハイクは

古代を学ぶいい機会になりました。

ハイクした道には、古墳の他にも広々とした畑があり西瓜やなすなどの野菜、

ミツバチの養蜂所などもあり、目を楽しませてくれました。


・・・かなり日焼けしました(笑)