昨日、滋賀の大津市で紅葉を撮影しました。
まずは、JR湖西線の比叡山坂本駅から徒歩で日吉大社を訪ねました。
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日吉大社は、比叡山の麓に鎮座し、約2100年前に創祀された全国3800余の
分霊社の総本宮です。平安京遷都の折にはこの地が都の鬼門にあたることから
都の魔除・災難除を祈る社に。また伝教法師が比叡山に延暦寺を開かれてよりは、
天台宗の護法神として多くの方より崇敬を受け、今日に至っています。
次は、西教寺に。
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『天台真盛総本山 西教寺』聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために
創建されたと伝えられています。
久しく荒廃しましたが、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場としました。
そして、西教寺は、戦国武将 明智光秀ゆかりのお寺としても有名です。
元亀2年(1571)織田信長の比叡山焼き討ちの際、このお寺も災禍を被りました。
その直後に築かれた坂本城の城主となったのが明智光秀でした。
光秀は西教寺の檀徒となり、このお寺の復興に力を注ぎました。
総門は坂本城城門を移築したもので、鐘楼堂の鐘は光秀が寄進した坂本城の陣鐘です。
光秀と妻の熙子や一族の墓がこのお寺にあります。
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昼食後に京阪電車・石山坂本線に乗車して三井寺に向かいました。
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三井寺は、正式名称を「長等山園城寺(おんじょうじ)」といい、天台寺門宗の総本山です。
667年に天智天皇により飛鳥から近江に都が移され、近江大津京が開かれました。
672年、前年の天智天皇の永眠後、大友皇子(天智天皇の子:弘文天皇)と大海人皇子
(天智天皇の弟:天武天皇)が 皇位継承をめぐって争い、壬申の乱が勃発。 壬申の乱に
敗れた大友皇子の皇子の大友与多王は父の霊を弔うために 「田園城邑(じょうゆう)」を
寄進して寺を創建し、 天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことが園城寺の始まりと
されています。
平安時代、第五代天台座主・智証大師円珍和尚により、天台別院として中興されました。
以来今日まで続く千二百年以上の歴史の中で、源平の争乱、南北朝の争乱等による
焼き討ちなど幾多の法難に遭遇しましたが、智証大師への信仰に支えられた
人々により、苦難を乗り越えてきた様から、「不死鳥の寺」としても知られています。
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昨日は、まだ紅葉のピークにはなっていませんでしたが、綺麗な紅葉をたくさん撮影出来て
楽しめました。
動画を作りました。