否定はしませんよ。時代劇はある種のファンタジーです。ある程度のリアリティさえ保っていれば、後はなにをやっても構わない。
作る側がどこに視点を置くか、どのような内容にするかは
作り手の自由。
一口に「史実」といっても、ものによっては10年前の説と現代の説とでは大きく変わっているものだってあるようだし、複数の説が入り乱れて本当のところはよくわからないことだってある。
だから「史実」と言われるものは、”ある程度”までの事実なのだ、と、
あくまで個人的には、ですが
私はそう、思っています。
だからある程度の”史実”を掴めば、あとはそれをベースとして独自の物語を作るのは自由です。これはある意味、表現者の
「特権」だといっていい。
なので、その作品の「中身」によって、時代考証や言葉遣い、所作などの重要性は違ってくる。
『鬼平犯科帳』のようなリアル志向の強い時代劇なら、かなりかっちりとした時代考証が必要だし、言葉だって現代語でもオーケーというわけにはいかない。
一方『るろうに剣心』のような独自な世界観の中でなら、金髪を逆立てた奴が出てきても、腕にバズーカ砲(?)を付けた奴がいても構わないのです。
「リアル」ではなくても、その作品の世界観の中で「リアリティ」を感じさせれば、それで「勝ち」。
逆に「いくらなんでも、これはないだろう!?」と思わせてしまったら、それは「負け」。
そういうものではないでしょうか?
『鬼平』も『るろ剣』も、『どうする家康』にしても、その世界観なりの「リアリティ」がある。まっ、一部分「それはないだろ!?」的なところもありますが(笑)、私的には許容範囲内だなと思う。
そういう意味ではどれもこれも皆
立派な「時代劇」だ。
要は観た人それぞれが「面白い」と思うか「面白くない」と思うか。その点が一番重要。
エンタテインメントって、そういうもんでしょ?
ただこれらの「エンタテインメント時代劇」で描かれていることは、基本的に皆「フィクション」なのだということ。
だからこれらの作品を観て、歴史を学ぼうなどとは
間違っても思ってはいけない。
本気で歴史を学ぼうと思うなら、学術書を沢山読んで、勉強するしかないのです。
時代劇とか大河ドラマを観て、歴史の勉強になるなどとは、決して
思ってはいけない。
エンタテインメントはエンタテインメントなのです。
時代劇はファンタジーなのです。
楽しめば良いのです。
あくまでも個人的見解です。
さて、思いのほか前置きが長くなってしまいましたが、『首』ですか。
まあ、良くも悪くも「北野武の映画」という感じ、ですねえ。
武さん特有の「人間観」なり「歴史観」が思いっきり出ているといった感じで、武さんファンにとっては垂涎の的、なのかもね。
まあいいんじゃないですか。こういう視点もあっていい。
ただ私の趣味には合わないな。多分観ないな。
否定はしません。これはこれで、立派な時代劇でしょう。
観たい方はどうぞご自由に。存分に楽しんでいただければ
それで良し。
それにしても、武さんが秀吉って、どう見ても歳取り過ぎ!この点だけは
納得いかんなあ…。