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賊軍とはなにか

2024-11-11 04:05:49 | 歴史、民俗

映画『十一人の賊軍』、実は私、まだ観ていないんです。いないんですが

 

 

YouTubeなどを観ておりますと、賊軍のことを単に「悪い奴ら」という意味にしか解釈していない人が結構いらっしゃるのに驚きます。

 

 

まるで解ってない!

 

 

これも歴史教育がなってない、からですかね。などと嘆きつつ

 

 

それならと、私が簡単に、「賊軍」とはなにかを、

 

 

解説いたしましょう。

 

 

 

日本は建国当初より、天皇、皇室によって統治される国です。

 

 

「統治」とは「シラス」という意味であり、シラスについては以前説明いたしましたので、ここでは説明いたしません。

 

 

 

さて、日本は天皇が統治する国。したがってすべての武士は、天皇を、天皇の統べる国をお護りするために存在するわけです。

 

 

この、天皇の下に国家を護る軍勢、軍隊のことを

 

 

「官軍」といいます。

 

 

この「天皇の軍隊」が戦う相手は、理屈の上では天皇に反逆した者たち、ということになりますね。こうした者たちは「逆賊」と呼ばれ、この逆賊による軍勢、軍隊を

 

 

「賊軍」というわけです。

 

 

天皇に反逆することは日本国に反逆することと同義ですし、抑々武士の存在理由は天皇を、国家を護るためにある。つまり「賊軍」という名称を賜るということは、もはや武士ではない、日本人ではないという

 

 

非常に重い意味合いを持つということになります。

 

 

単に「悪い奴ら」みたいな意味ではない。全然違うのですよ。

 

 

 

幕末、戊辰戦争においては、薩長などの新政府軍が「官軍」を自称し、これに反旗を翻した奥羽越列藩同盟などの者たちを、新政府軍側は「賊軍」と呼びました。

 

 

明治天皇を推戴する我らは、正式な天皇の軍隊「官軍」であり、我らに歯向かう奴らは、天皇に逆らう「逆賊」である、という理屈ですね。

 

 

しかし「逆賊」と呼ばれた奥羽越列藩同盟側は、天皇に反旗を翻したわけではありません。彼らが反抗したのは、あくまで薩長などの新勢力であり、決して天皇ではなかった。

 

 

薩長の強引なやり方、幕府を無理やり潰したやり方に反発を覚えたわけで、天皇にはなんら含むところなどは無かったのです。

 

 

特に会津藩主・松平容保公は孝明天皇に深く信頼されていました。孝明帝は幕府と朝廷が協力して国家を運営する「公武合体」を推しており、幕府を潰そうなどとは露ほども思ってはいなかった。容保公はそんな孝明帝の御意思に忠実に従おうとしていました。

 

このような態度に、賊の要素など微塵もありません。

 

 

会津藩は初代藩主・保科正之公以来、幕府を護ることを藩是としていました。幕府を護ることが、ひいては皇室を護ることに繋がると、少なくとも容保公は信じていた。

 

 

そんな容保公にしてみれば、孝明帝の御意思に逆らって強引に幕府を潰す方向に持っていた薩長こそ

 

 

「逆賊」以外の何物でもなかったわけです。

 

 

実際、列藩同盟側は、先の天皇・孝明帝の弟君にあらせられる、輪王寺宮公現法親王を同盟の盟主に推戴しております。

 

 

明治天皇も輪王寺宮も、どちらも神武天皇以来の直系の血筋。つまり両陣営とも「官軍」を名乗れる体裁は整えていたわけです。

 

 

幕末、戊辰戦争における「官軍」と「賊軍」とは、かように相対的な意味合いを持っていました。

 

 

「勝てば官軍負ければ賊軍」という言葉があります。新政府軍は勝ったから「官軍」になっただけのこと、もし旧幕府軍側が勝っていたなら、この「官軍」と「賊軍」の立場は

 

 

ぐれんと逆転していたわけです。

 

 

 

当時の奥羽越列藩同盟側は、自らを「賊軍」などとは思ってはいない。決して。

 

 

 

さて、この辺のことが映画ではどのように描かれているのか、いないのか。

 

 

それによって、私の映画に対する感想は、かなり違ったものになると思われます。

 

 

はたして、どうなっておりますことやら。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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