リベラルくずれの繰り言

時事問題について日ごろ感じているモヤモヤを投稿していこうと思います.

PTA「免除の儀式」を批判する前に考えたいこと

2019-05-02 | 一般
PTAの役員の負担は重い。やむにやまれぬ事情があって免除してもらいたい場合にはみなの前で理由を細かく説明しなければならないということもよくあるようだが、「免除の儀式」という言葉まであることを知った(asahi.com)。人権問題になりかねないとの指摘も出ており(過去ブログ)、私も問題だとは思っている。だが、免除を申し出ずに役員のくじに臨む人たちだって決してやりたいわけではない。今の時代、「うちは共働きだから」とか「一身上の都合により」といった理由での役員免除は納得しがたいのではないか。「免除の儀式」を批判するのは簡単だが、それだけでは何も解決しない。
「免除の儀式」を批判する人は「PTAは義務ではないのだから強制はおかしい、いやならやらない自由はある」というが、「PTAは義務ではない」ということと、「義務ではないPTAに加入している人の役員分担義務」が混同されているように思えてならない。
最近、「PTAは義務ではない」という点が強調される風潮があるが、これは「役員をやりたくない」という人にPTA退会を勧めているようなものだ。これは私には問題解決の方向としては違和感がある。これまで何度か書いたように、「PTAは任意加入」では解決にならないと思う。PTA非加入の家庭の子供が不利益を受けないような配慮が必要なのはもちろんだが、その点の懸念がなくなれば退会者が続出してPTAが成り立たなくなるのではないか。

そもそもPTAは成り立つ必要があるのか、という議論はあってもいい。たとえば地域の子供会。当然のように子供会がある地域が多い一方、子供会がない地域もある。「今まであったから」というだけの理由で続けるのではなく、ゼロベースで必要性を見直してもいい。PTAの場合、たとえば、
・「PTAからの記念品贈呈」など不要ではないか。
・学校の運動会とは別の「PTA主催の祭り」はあってもいいが、地域の祭りがあるような地域ではなくてもいい。あるいは、中学校・高校の文化祭・学園祭のような行内行事ではだめなのだろうか(教員の負担軽減が目的なのか?)。
・登校班の付き添いは1年生の保護者が必要な間だけ行なうのでもいいのではないか。共働きだと大変だろうが、「働き方改革」でなんとかしてほしい。入学前の休日に一緒に学校まで歩いて慣れておくなど工夫の余地もあるだろう。そもそも登校班がない地域もある。
・ベルマークの集計など、その分のお金は払ってもいいからやめてほしいという声を最近読んだが、私も同感だ。
・通学路の危険箇所チェックは、本当に危険な箇所は保護者が学校なり行政なりに連絡すればいいのではないか。危険箇所の指摘がノルマになったり、無駄な道路工事を生んだりしたら本末転倒だ。
(こう書いてから読んだ大塚玲子氏の「PTA委員決め「必ず何人」は不要 もう、泣くお母さんを出さないために」が多方面からPTAの負担軽減を考察していた。ぜひ一読を。)

PTA役員決めの問題は子供の人数によって事情が全く異なる。少子化で子供が少ない地域ではどの保護者も「世帯当たり6年間に1回」または「児童一人当たり6年間に一回」PTA役員をやることが義務になる。さらに子供が少ないと1回では済まず、二回以上やらなければならないこともあるだろう。こういう地域では「免除」のハードルは高くなるのではないか。逆に子供の多い地区では、6年間何の役員もやらずに済ませられる人もいることになる。役員をやらずに済む人が多い地域では「免除」も認められやすいと思う。少数のラッキーな人だけがやらずに済むという場合が一番問題になりそうだ。私もどうすればいいという考えはないが、役員決めの公平性の問題は、子供の数によって事情が全く異なることは認識しておく必要がある。

さて、冒頭で触れた「免除の儀式」だが、保護者が集まった場で免除してほしい人が役員を引き受けられない事情を話し、その後、保護者たちが顔を伏せた状態で免除を認めるかどうかを挙手で判定する、というものだ。PTAジャーナリストの大塚玲子氏によれば、「関西方面でときどき聞くやり方」だという。これにはさすがに私も強い違和感を覚えた。たとえば司会をする現役員に書面を提出して読み上げてもらい、無記名投票で決め、書面はその場で破り捨てる、ということはできないだろうか。もちろんそれでも、病気や障害などを話さなければならないという問題は残る。だが批判するなら、共働きでやりたくないが仕方なくくじ引きに応じる人のことも考えた上で、建設的な方向の議論にもっていってほしい。

関連記事:
「PTAは任意加入で成り立つのか?」
「PTAの問題の半分は職場環境の問題」
「PTAの負担を減らすために」
「「PTAは任意加入」では解決にならない」
「「PTAは任意加入」では解決にはならない(2)」
「保育園なのに父母会活動?」

関連リンク:
「PTAは誰のため? 加入・退会・免除…親たちの憂鬱」(asahi.com)

追記:PTAの仕事が本当に必要かどうかを考察している上記で紹介した「PTA委員決め「必ず何人」は不要 もう、泣くお母さんを出さないために」を改めて読んでみた。

・クラスごとに決まった数の委員を選出する委員会制をやめ、活動ごとに参加者を募る「手上げ方式」というものが推奨されている。制度変更が難しいなら委員会制は維持したまま、クラス選出の委員が0人でもいいように人数枠だけ撤廃するという現実的な案も提示されている。だがどのクラスも0人だった場合は……と考えると、学年全体(または全校)の保護者を対象にしたくじ引きなども考えておく必要があるかもしれない。同じように、地区ごとに委員を選出するような場合、人数の少ない地区は統合して広域化することで役員の数を少なくできるかもしれない。

・人数が減ったらその分活動を縮小するというのは正しい方向性だと思う。広報発行回数を減らす、講演会・講習会を減らす(これはゼロでもいいのでは?)、運動会の保護者競技を簡単なものにする、など

・PTAを介さず学校から直接必要な人を集めるという案も有効らしく、悪くないが、最近は教員の多忙も問題になっており、教員の負担を増やすような改革には慎重になりたい。

・登下校の見守りについて、「これも必要を感じた人でまわせばいいでしょう」、「自分はやらないのに「見守りは必要だ」という人はスルーしましょう」には全く同感。ただ、人数が減って苦情がきたが、事故が起こっていないから人数は足りていると説明するロジックはちょっと違うと思う。「これまで大丈夫だったからこれからも大丈夫」というのは原発の安全神話と同じで、無責任だ。だがいくら見守りの人数を増やしても、車の暴走や子供の飛び出しの事故を完全に防止できるわけではない。事故を起こさないことを保護者の見守り担当者の責任とするのは重すぎると思う。やはり基本は「飛び出さない」などの安全教育であって、「見守り」は補助にすぎないとの位置付けを確認しておくべきだろう。

・外部からくる削りにくい仕事の説明が私には大いに勉強になった。学校や行政からの依頼について、断れないという思い込みがあるが、断る事例もあるという。

・行政からの仕事として、校庭開放の委託事業や講演会への動員があるという。後者については講演者の手前、ということもあるが、人が集まらないような講演会ならやらないとか、小さめの会場にするなど、考えてほしいものだ。

・また、P連(PTAのネトワーク組織)の仕事もあるそうで、当番校では負担が大きいというが、「今後はP連についても、活動の見直し、絞り込み等が必須」との意見に全く同感。

追記3:PTAに関するフォーラムが東京で開かれたらしいが、教育委員会など行政がからむイベントや研修会にPTAが動員されている実態を「市長がなんとかできないのか」との質問があり、PTA改革を公約にした兵庫県川西市長の越田謙治郎氏は「動員しなければいけないイベントが間違っている」と断言した(朝日新聞2019-5-24)。

追記4:統合失調症の人が自治会の班長を免除してもらうために障害を書面で書くよう求められたことで自殺したという事件が昨年11月にあった(朝日新聞2020-8-1)。大阪市平野区の市営住宅で一人暮らしをしていた男性が、くじ引きで自治会の班長に選ばれる可能性があることを知り「精神の病気で班長ができない」と自治会役員に伝えたが、話し合ったところ、便箋2枚に「しょうがいがあります」「おかねのけいさんはできません」などと書かされ、文書を同じ階の住民約10世帯に見せると言われたという。その翌日、男性は自宅で亡くなった。
このたび男性の両親が自治体と当時の役員2人に慰謝料など計2500万円の損害賠償を求めて訴えたという。たしかに単に「面倒くさいからいや」という話ではなく、本当に障害があってできなかったようだ。だが自治会側の、班長候補から外すためには他の住民の理解を得る必要があったとの話もわかる。訴えられた自治会役員2人だってやりたくてやっていたわけではないだろう。次期役員の選出は誰もが頭を悩ませる問題だ。
口頭で「精神の病気」を伝えられたときに療育手帳を確認し、他の住民にはくじ引きの場で事情を説明する、などもう少し配慮ができたのではないかとの思いは残るが、同じように(障害はないにしても)万障繰り合わせて役員負担義務を遂行していた役員2個人を対象として巨額の損害賠償請求を起こしたことには違和感がある。

追記4B:追記4の訴訟がどうなったか知りたくて検索してみた。控訴審では2500万円の請求に対し、44万円の支払いが認められたという。障害のことを暴露したことに対する賠償が認められたもので、自殺との因果関係は否定された。(中国新聞2022-3-4

追記5:大和市の市立小学校が新一年生の保護者にPTAへの加入するかどうかを問う文書で、「加入をご希望されない場合は(物品の)提供や支給や(活動や登校班への)参加をお約束することができません」など、非加入世帯への不利益をうたう文言があったことが、市議会で取り上げられるなど波紋を広げた(朝日新聞神奈川版2024-6-3?)。文書では、物品については、「PTA会費を原資とし、PTAの活動として会員児童にていきょうされる物品やサービス」、登校班については「所属されない方は、原則毎日保護者と登校してください」とあった。
最近ではPTAは任意加入であることが周知されるようになってきて、非加入世帯の児童にも不利益を与えないようにしようという流れがあるが、記事によればやはり不利益の事例はあるという。たしかに、任意加入と言いつつも仕方なくはいっている保護者が大半だろうから、自分は忙しい中時間をやりくりして毎日登校班の付き添いをしているのに、非加入世帯がそうした義務を一切負わないで子供を預けてくるとなると、理不尽に思えるという気持ちはよくわかる。
子供に不利益がなく本当に任意加入にしたら非加入が激増することは目に見えているので、やはりPTAが成り立つ必要があるのか、ということを考える必要がある。そこまで話を大きくしないまでも、PTAからの記念品など必要だろうか、という問いはあっていい。登校班については、登校班がない地域もあるわけだから、やはりわが子に必要と思う保護者が付き添えばいいなど(そうすると、「あの子は問題があるから付き添いが必要なのに親が出てこなくてずるいね」にたいな話は出てくるだろうが)、不公平感を出さないようにする改革はできるのではないだろうか。


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