リベラルくずれの繰り言

時事問題について日ごろ感じているモヤモヤを投稿していこうと思います.

「表現の不自由展」を守った大村知事が「ヘイト」展示は「中止すべき」

2019-10-30 | 政治
あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展」が脅迫も含む電話攻撃で中止に追い込まれた件で、大村秀章・愛知県知事は攻撃に屈せず展示の再開にこぎつけて名を上げた。だがそんな大村知事が、政治団体の「ヘイト」展示について、「(展示内容が)分かった時点で(会場となった県施設が)中止を指示すべきだった」と述べた(朝日新聞2019-10-30)。

慰安婦像などは私も含めて多くの日本人にとって不愉快なものではあるが、それでも像の展示を理由に脅迫したり、補助金支給を取り消したりといったことはあってはならない。「不自由展」を批判した河村たかし・名古屋市長は抗議の電話について「それこそ表現の自由」と言って擁護するかのような発言をしたが(過去ブログ)、やはり他者の表現を封じる言論は言論の自由には含まれないと思う(過去ブログ)。
一方、特定の国の人などへの憎悪をあおる「ヘイトスピーチ」が言論の自由に含まれないことも社会通念になってきているが、右派にとっては「ヘイト禁止」が「言論弾圧」と映る(過去ブログ)。今回の件はどうだろうか。

催しを開いたのは「在日特権を許さない市民の会」の元会長が「党首」の政治団体で、「表現の不自由展」をもじった「日本人のための芸術祭 あいちトリカエナハーレ2019『表現の自由展』」で差別街宣を繰り返したいきさつがあるという。催しでは「犯罪はいつも朝鮮人」と書かれたカルタの読み札などが展示されていたという。
愛知県の施設の利用要領などでは「不当な差別的言動が行われるおそれ」がある場合には利用を不許可とするとか、許可後でも中止を命じられるといった規定があるが、政治団体が事前に「ヘイトスピーチは行なわない」と答えたため施設利用が許可され、市民団体の中止申し入れも認められなかった。

「言論の自由」をたてにヘイトスピーチを正当化するのは許されないが、もし展示の一部としてカルタがあっただけだったとしたら、「中止」は行き過ぎではないだろうか。他にも似たような展示がいっぱいあって、催しが朝鮮人が犯罪人であるかのような主張を強調しているのであればわかるが、どの程度のものだったのだろうか。政治団体は事前に「ヘイトスピーチは行なわない」と約束したそうだが、カルタを静かに展示していることは「ヘイトスピーチ」にならない、という抗弁もできそうな気がする。

ヘイトスピーチには規制が必要だとは思うが、定義をきちんとしておかなければ、権力による市民弾圧の手段にもなってしまう。川崎市のヘイトスピーチ規制に向けた条例案でもその点で議論がされているという(朝日新聞2019-10-29)。大村知事は法的措置も検討しているというが、ダブルスタンダードにならないよう慎重に検討してほしい。

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