安倍首相のツイッターで、批判的な書き込みをした人が次々にブロックされて、「#安倍晋三からブロックされました」というハッシュタグまでできているという(朝日新聞2019-10-12)。ブロックされると、コメントを投稿できなくなるのはもちろんだが、首相のツイートを見ることもできなくなる。安倍首相が近年の選挙演説で批判者が近づけないようにするのと共通するものがある。ツイッターのブロックというのは、ストーカーとかスパム業者に対して(あと、まれには絶交したい知人に)するものだと思っていた。組織的に批判を書き込む団体や、罵詈雑言を並べるような人が対象であれば、それに準ずるものとして違和感はない。だが普通に批判する個人に対してもブロックを行なっているとしたら、首相という公人中の公人が特定の人を締め出す行為に、「批判を受け付けないなどなんと狭量な」と批判したくなる。だが、首相の気持ちもわからないではない。
冷静に筋道立てて首相のやり方を批判するツイートであっても、おそらく話し合おうとしても議論はかみ合わないだろう。しかも、大勢が参加するツイッターでは参加者が増えてまとまりがつかなくなる。
もっとも、そうして公の場で議論しあうことが大切、という考えもある。
要は、公人のツイッターというものが、そういう議論をしあう場なのかどうか、ということだ。たとえばホームページであれば、自分に都合のいいコメントのみを掲載する、ということは普通に行なわれているのではないだろうか。ツイッターアカウントも、それに準じるものだと思えば、首相のブロックもわからなくはない。安倍首相が批判に耳を傾けないのは問題だが、ツイッターのブロックはそれとは違う問題のような気がする。ツイッターでは同じような考えの人ばかりがつながる傾向が強いと聞いたことがあるが、こういうことなのかと思った。
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