算数で方程式はダメ?
「中学入試 方程式はNG?」(朝日新聞2019-3-11)という見出しを見ておやっと思った。学習塾も私立中学も「方程式で解いたらだめ」という立場はとっていないのに、説明会などで質問が出ることは多く、「中学入試では方程式はダメ」という話は保護者の間では広まっているようだ。塾で習った解き方を小学校で使って怒られることはたまにあるらしいので、それが原因のようだ。「小学校では、勉強の『抜け駆け』を嫌う先生も少なくない」こともあるという。
それに方程式は解法を形式的な手順に還元してしまうものだ。方程式を使えばあまりに簡単なので「塾でやらされたややこしい解きかたは何だったんだ?」ということになる。「正解でも教科書と違うと×」というのはどうかと思うが、考え方を学ぶという意味では、方程式を使わずに考えさせる単元や問題があってもいいとは思う。
(追記:そもそも「受験算数なんて方程式を使えば簡単なのに」というのが誤解のようだ(朝日新聞2021-4-10神奈川版)。中学側は方程式を使うこと自体は否定しないが、実際上、方程式で解ける問題はあまりなく、むしろ方程式を使うとへんに難しくなってしまうようだ。記事に挙げられている例が象徴的だ。「4%の食塩水200gに10%の食塩水を混ぜたところ、6%の食塩水ができた。10%の食塩水を何g混ぜたか」という問題。方程式でも解けるが、「てんびん算」という考え方だと簡単に解けるという。「方程式なら簡単なのに」というのは、代表的なものとして言及される「つるかめ算」のイメージのためなのだろう。
記事によれば、算数は「使えるツールが少ない分、深く考え、試行錯誤する力が身につく」ものだそうだ。一方、受験算数をくぐり抜けた子でも、中3数学の二次方程式、二次関数、三平方の定理などでつまずくという。やはり受験算数と数学は別物のようだ。)
(追記2:問題集の模範解答でも事実上方程式を使っている例はたまにある。たしかに文字変数は使っていないが、比の問題で、何かを①としたときに、③+4×(②-1)=40、よって③+⑧-4=40、よって⑪-4=40、よって⑪=4のようにして解くことがある(あくまでイメージであって架空の例です)。もう少し簡単なバージョンだと「線分図」なるものを使って方程式を避けることもあるようだが、難しめの問題ではやはり中学受験でも方程式は少しは使うのだ。)
記事で挙げられている他の事例も、話はそれほど簡単ではない。
かけ算の順序が違うとダメ?
ジュース47ダースの本数を求める問題で、「一つ当たり12本」(単位)が「47ダース」という場合は「12かける47」であり「12×47」と書くのが正解で、「47×12」と書くと不正解になる。学習指導要領解説に基づく対応だ。記事では大学教授の言葉も引用して批判的に書いているが、私はやはり「12×47」と「47×12」は考え方が違うと思う。「12本という単位(ダース)が47個あります」は「12×47」で、それが日本語の「かける」の意味だ(英語のtimesは逆になるが、今はそこまで考えない)。もちろん、「47×12」だって、「箱が47個あります。それぞれの箱には12本入っています。全部で何本でしょう。」という解釈は可能だが、やはり「かける」という概念を学ぶ段階では基本に忠実であってほしい。
記事では「47×12」でバツにされて「正解にできないか」と校長に相談したが「『教科書と同じでないとダメ』の一点張りだった」という事例を紹介している。こんなことでクレームを付けられた校長のほうに私は同情するが、「一点張り」ではなくきちんと趣旨を説明すべきだったとは思う。(想像だが、校長はちゃんと説明したのに保護者が理解しなかったか、記事がはしょったかしたのではないだろうか。)
また、「惜しい間違い」の場合、マル扱いで採点したうえで、「正しくは12×47」と添削してあげるなどの対応もあっていい。もちろん、バツにされたほうが記憶に残り、学習効果があるという考えもあるので、そのへんは現場の裁量に任せていいのではないか。(私は昔「ニューオーリンズ」を「ニューオリンズ」と書いてバツになった。今でもその対応には疑問を持っているが、たしかに記憶には強く残った。)
習ってない漢字はダメ?
もう一つの事例。自分の名前でも習っていない漢字は使っちゃダメという件。これはたしかにおかしい。漢字を覚えるだけでもたいへんなのに、どれが習った漢字でどれが習っていない漢字かまで覚えることは全く意味がない。ただ、仮に習っていない漢字が間違っていた場合、先生はどうすればいいのだろうと考えると、習った漢字だけにさせようとする気持ちはわからないではない。これについては、習ってない漢字の誤りは先生が直してもスルーしても文句言わない、という前提で、お互い大目に見てもいいのではないだろうか。
漢字の採点がきびしすぎる?
今回の記事ではないが、漢字の書き取りでちょっとしたはねや払いで×にされて泣いた例は多いと思うが、これはある程度やむを得ないと思う(常用漢字表で「どちらでもよい」と明示されている例はべつとして)。人にもよるのだろうが、私もやはりはねるべきところがはねていないと気持ち悪い。クレームをつける親もいるようだが、ではいい加減な書き方でマルをもらっておいて、将来受験で知らない間に×にされた、なんてことになってもいのだろうか。学校のテストで〇をもらえればいいという問題ではないことは意識しておいてもよい。
「中学入試 方程式はNG?」(朝日新聞2019-3-11)という見出しを見ておやっと思った。学習塾も私立中学も「方程式で解いたらだめ」という立場はとっていないのに、説明会などで質問が出ることは多く、「中学入試では方程式はダメ」という話は保護者の間では広まっているようだ。塾で習った解き方を小学校で使って怒られることはたまにあるらしいので、それが原因のようだ。「小学校では、勉強の『抜け駆け』を嫌う先生も少なくない」こともあるという。
それに方程式は解法を形式的な手順に還元してしまうものだ。方程式を使えばあまりに簡単なので「塾でやらされたややこしい解きかたは何だったんだ?」ということになる。「正解でも教科書と違うと×」というのはどうかと思うが、考え方を学ぶという意味では、方程式を使わずに考えさせる単元や問題があってもいいとは思う。
(追記:そもそも「受験算数なんて方程式を使えば簡単なのに」というのが誤解のようだ(朝日新聞2021-4-10神奈川版)。中学側は方程式を使うこと自体は否定しないが、実際上、方程式で解ける問題はあまりなく、むしろ方程式を使うとへんに難しくなってしまうようだ。記事に挙げられている例が象徴的だ。「4%の食塩水200gに10%の食塩水を混ぜたところ、6%の食塩水ができた。10%の食塩水を何g混ぜたか」という問題。方程式でも解けるが、「てんびん算」という考え方だと簡単に解けるという。「方程式なら簡単なのに」というのは、代表的なものとして言及される「つるかめ算」のイメージのためなのだろう。
記事によれば、算数は「使えるツールが少ない分、深く考え、試行錯誤する力が身につく」ものだそうだ。一方、受験算数をくぐり抜けた子でも、中3数学の二次方程式、二次関数、三平方の定理などでつまずくという。やはり受験算数と数学は別物のようだ。)
(追記2:問題集の模範解答でも事実上方程式を使っている例はたまにある。たしかに文字変数は使っていないが、比の問題で、何かを①としたときに、③+4×(②-1)=40、よって③+⑧-4=40、よって⑪-4=40、よって⑪=4のようにして解くことがある(あくまでイメージであって架空の例です)。もう少し簡単なバージョンだと「線分図」なるものを使って方程式を避けることもあるようだが、難しめの問題ではやはり中学受験でも方程式は少しは使うのだ。)
記事で挙げられている他の事例も、話はそれほど簡単ではない。
かけ算の順序が違うとダメ?
ジュース47ダースの本数を求める問題で、「一つ当たり12本」(単位)が「47ダース」という場合は「12かける47」であり「12×47」と書くのが正解で、「47×12」と書くと不正解になる。学習指導要領解説に基づく対応だ。記事では大学教授の言葉も引用して批判的に書いているが、私はやはり「12×47」と「47×12」は考え方が違うと思う。「12本という単位(ダース)が47個あります」は「12×47」で、それが日本語の「かける」の意味だ(英語のtimesは逆になるが、今はそこまで考えない)。もちろん、「47×12」だって、「箱が47個あります。それぞれの箱には12本入っています。全部で何本でしょう。」という解釈は可能だが、やはり「かける」という概念を学ぶ段階では基本に忠実であってほしい。
記事では「47×12」でバツにされて「正解にできないか」と校長に相談したが「『教科書と同じでないとダメ』の一点張りだった」という事例を紹介している。こんなことでクレームを付けられた校長のほうに私は同情するが、「一点張り」ではなくきちんと趣旨を説明すべきだったとは思う。(想像だが、校長はちゃんと説明したのに保護者が理解しなかったか、記事がはしょったかしたのではないだろうか。)
また、「惜しい間違い」の場合、マル扱いで採点したうえで、「正しくは12×47」と添削してあげるなどの対応もあっていい。もちろん、バツにされたほうが記憶に残り、学習効果があるという考えもあるので、そのへんは現場の裁量に任せていいのではないか。(私は昔「ニューオーリンズ」を「ニューオリンズ」と書いてバツになった。今でもその対応には疑問を持っているが、たしかに記憶には強く残った。)
習ってない漢字はダメ?
もう一つの事例。自分の名前でも習っていない漢字は使っちゃダメという件。これはたしかにおかしい。漢字を覚えるだけでもたいへんなのに、どれが習った漢字でどれが習っていない漢字かまで覚えることは全く意味がない。ただ、仮に習っていない漢字が間違っていた場合、先生はどうすればいいのだろうと考えると、習った漢字だけにさせようとする気持ちはわからないではない。これについては、習ってない漢字の誤りは先生が直してもスルーしても文句言わない、という前提で、お互い大目に見てもいいのではないだろうか。
漢字の採点がきびしすぎる?
今回の記事ではないが、漢字の書き取りでちょっとしたはねや払いで×にされて泣いた例は多いと思うが、これはある程度やむを得ないと思う(常用漢字表で「どちらでもよい」と明示されている例はべつとして)。人にもよるのだろうが、私もやはりはねるべきところがはねていないと気持ち悪い。クレームをつける親もいるようだが、ではいい加減な書き方でマルをもらっておいて、将来受験で知らない間に×にされた、なんてことになってもいのだろうか。学校のテストで〇をもらえればいいという問題ではないことは意識しておいてもよい。