先ごろ最終回を迎えた「若草物語」というテレビドラマについてのネット記事を目にした。
ドラマは、恋愛・結婚こそ幸せというステレオタイプに反感を抱く女性、涼を主人公とする四姉妹の物語。涼には仲のいい幼馴染みの男友達、律がいる。律のほうは涼を好きなのだが、涼のポリシーを尊重してよい友人として付き合っているのだが、ある日ついに告白してプロポーズする。涼に断られた律は傷心のあまり距離を置くようになる。涼は自分には律がどうしても必要だと気づいて……。古典的なドラマならここで涼が律を受け入れてハッピーエンド、となるところなのだが、このドラマでは涼は、自分には律が必要だと言って友人として付き合ってほしいと言い、律もそれを笑顔で受け入れた。
これがステレオタイプに縛られない涼にとってのハッピーエンドとして描かれているのだが、これは男性目線からするとバッドエンドだ、というネット記事を見た。たしかに律にとっては自分の思いを封じられ、全面的に涼の生き方を受け入れたことになる。
だが、少なくとも律は縛られないはずだ。100%涼にとっての「都合のいい男」になる必要はなく、別に恋人を作って結婚するのも自由。ドラマでは律に他の女性の影はなかった(ありがち!)が、律が結婚して家庭第一になることだって十分にありえる。そうなると、決して疎遠にしなくても、涼が困ったときにいつでも駆けつけてくれるというこれまでのような関係は維持できなくなる。そもそも結婚したら、これまでのように涼を親身にサポートすることが許されるのかどうか。(どこからが浮気か、という古典的な問題。配偶者以外の異性と一緒に食事、くらいはいいのか。自宅で二人きりはたとえ何もなくてもまずくないか、など。)結婚しないという涼の選択を是とする人々は、こういう可能性も含めて受け入れるのだろうか。
もちろん、そんなことを言ったら古典的な恋愛ものにも同じことは言える。主人公の男女が結ばれてハッピーエンド、という物語を見ても、この二人、結婚後どうやって毎日をすごすのだろう、と思ってしまうことはままある。ドラマで「その後」まで想像してあれこれいうというのは野暮というものだろう。
いずれにせよ、結婚って何だろうということを考えさせられるエンディングだった。結婚したからといって異性の友人をもってはいけないということはないのだろうが、夫婦がお互いを第一にするというくらいのコミットメントは伴う。
だが現実世界で非婚を選ぶ人が増えているという。子育て負担を考えると結婚にはデメリットのほうが大きいという判断なのだろうが、そういう人たちは独占したい異性の友人というのはいないのだろうか。
(とは書いたものの、「独占したいくらい仲のいい友人がいるが子育て負担を理由に結婚しない」というのはおそらく「非婚」のうちでは少数派だろう。そういう事情であれば結婚するが子はもたないという選択肢だってある。むしろ適当な異性と出会えない、またはそもそも経済的状況から結婚など論外、という人が非婚の多数派なのではないだろうか。「非婚」という語は、価値観の多様化の名目のもとに、「結婚できない」人まで自発的に選んだと正当化して、問題の本質を見えにくくしているという面もある。日本では非婚が少子化に直結するのでやはり「結婚できない」非婚を何とかしないことには、いくら子育て支援をしても限界がある。)
関連記事:
「少子化傾向反転には、環境整備だけでなく、意識の持ち直しも必要ではないか」
「「夫はいらないが子供はほしい」という「選択的シングルマザー」という選択肢」
「恋愛・結婚にメリットを感じなければ人口減は止まらない
」
「人口増のための禁じ手2策」
「韓国の超少子化問題:地方分散に解決の鍵」
「恐妻家と美少女戦士と女性差別」
「労働力不足解消:外国人助っ人よりも、子育てしやすい社会が王道」
ドラマは、恋愛・結婚こそ幸せというステレオタイプに反感を抱く女性、涼を主人公とする四姉妹の物語。涼には仲のいい幼馴染みの男友達、律がいる。律のほうは涼を好きなのだが、涼のポリシーを尊重してよい友人として付き合っているのだが、ある日ついに告白してプロポーズする。涼に断られた律は傷心のあまり距離を置くようになる。涼は自分には律がどうしても必要だと気づいて……。古典的なドラマならここで涼が律を受け入れてハッピーエンド、となるところなのだが、このドラマでは涼は、自分には律が必要だと言って友人として付き合ってほしいと言い、律もそれを笑顔で受け入れた。
これがステレオタイプに縛られない涼にとってのハッピーエンドとして描かれているのだが、これは男性目線からするとバッドエンドだ、というネット記事を見た。たしかに律にとっては自分の思いを封じられ、全面的に涼の生き方を受け入れたことになる。
だが、少なくとも律は縛られないはずだ。100%涼にとっての「都合のいい男」になる必要はなく、別に恋人を作って結婚するのも自由。ドラマでは律に他の女性の影はなかった(ありがち!)が、律が結婚して家庭第一になることだって十分にありえる。そうなると、決して疎遠にしなくても、涼が困ったときにいつでも駆けつけてくれるというこれまでのような関係は維持できなくなる。そもそも結婚したら、これまでのように涼を親身にサポートすることが許されるのかどうか。(どこからが浮気か、という古典的な問題。配偶者以外の異性と一緒に食事、くらいはいいのか。自宅で二人きりはたとえ何もなくてもまずくないか、など。)結婚しないという涼の選択を是とする人々は、こういう可能性も含めて受け入れるのだろうか。
もちろん、そんなことを言ったら古典的な恋愛ものにも同じことは言える。主人公の男女が結ばれてハッピーエンド、という物語を見ても、この二人、結婚後どうやって毎日をすごすのだろう、と思ってしまうことはままある。ドラマで「その後」まで想像してあれこれいうというのは野暮というものだろう。
いずれにせよ、結婚って何だろうということを考えさせられるエンディングだった。結婚したからといって異性の友人をもってはいけないということはないのだろうが、夫婦がお互いを第一にするというくらいのコミットメントは伴う。
だが現実世界で非婚を選ぶ人が増えているという。子育て負担を考えると結婚にはデメリットのほうが大きいという判断なのだろうが、そういう人たちは独占したい異性の友人というのはいないのだろうか。
(とは書いたものの、「独占したいくらい仲のいい友人がいるが子育て負担を理由に結婚しない」というのはおそらく「非婚」のうちでは少数派だろう。そういう事情であれば結婚するが子はもたないという選択肢だってある。むしろ適当な異性と出会えない、またはそもそも経済的状況から結婚など論外、という人が非婚の多数派なのではないだろうか。「非婚」という語は、価値観の多様化の名目のもとに、「結婚できない」人まで自発的に選んだと正当化して、問題の本質を見えにくくしているという面もある。日本では非婚が少子化に直結するのでやはり「結婚できない」非婚を何とかしないことには、いくら子育て支援をしても限界がある。)
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