リベラルくずれの繰り言

時事問題について日ごろ感じているモヤモヤを投稿していこうと思います.

教員が忙しいのは、文科省の「資源制約を考えない悪い癖」のせいだった

2021-05-03 | 一般
教員採用試験の競争倍率の低下が報道されている。たとえば、自治体ごとに行なわれる公立小学校の教員採用試験の競争倍率の全国平均が2.7倍と過去最低だった。志望者が減ると教師の質の低下が心配される。採用数が増えているなどの事情もあるので倍率そのものに決定的な意味があるわけではないが(妹尾昌俊氏)、現場の実感として優秀な人材が教職を目指さなくなっていると感じられているという(妹尾昌俊氏)。そしてその背景にあるのは、近年よく報道されるようになった、ブラックと言われる過酷な労働環境があることは想像にかたくない。
教員の多忙の問題はよく指摘されるのに一向に改善されない理由の背景として、文部科学省の体質がありそうだ。
大学入試に民間の英語試験を利用する計画が混乱の末、白紙になったが、入試を大学や入試センターに丸投げしてきた感覚で民間企業を動かそうとした「兵站無視の作戦」に原因があったという。「ゆとり教育」失敗も同様で、現場の教員に全面的に頼る「資源制約を考えない悪い癖」が原因という。(青木栄一『文部科学省』の書評より)教員の多忙も同根ではないか。文科省はいろいろと注文をつけ、そのそれぞれは必ずしも的外れではないにしても、それを実行に移すための資源(つまりは現場のマンパワー)のことを考えていない。
今もそうだ。コロナ対策で教員の負担が増えているのに、さらにGIGAスクール構想などといってタブレット端末を一人一台配ろうとしている。感染症のため休校になる事態を考えると必要なことなのかもしれないが、端末は買えば終わりではない。一台一台設定し、教師も児童も使い方に習熟しなければならない。たとえば設定の部分は「キッティング」といって納入業者に依頼できるはずだが、その予算も手当てするのだろうか?教員が行なうとしたらその負担ははかりしれない。
インクルーシブ教育にしてもそうだ。手厚く面倒を見る必要のある生徒を普通級に通わせるという理念はわからないでもないが、であれば補助教員など手厚い人材を配置しないと現場はパンクしてしまう。
40人学級だって多すぎるという指摘は昔からあるのに少人数学級の話は一向に進まない。
選挙目当てに聞こえのいい「無償化」とやらを打ち出す一方、こうした部分に十分な予算を割り当てないのが大元の原因なのだろうが、「現場丸投げ」をやめないと本当に先生のなり手がいなくなってしまう。

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