部活動の長時間の練習が,生徒の多面的な成長の妨げとなる一方,教員の過重な負担の一因にもなっているとして問題になっている.この問題についてはこれまでも何度か書いたが,「部活というのは必須でないのに,なんでこんなに問題になるのだろう」という思いが心の底にあった.遅ればせながら今日の新聞で,部活動の扱いに時代的に変遷があることを知った(朝日新聞2018-7-1).これを把握していないと,「部活は必須」と思い込んでいる人と「部活は任意」と思い込んでいる人との間で議論がかみ合わないことになりかねない.
一つの転機が1969年の学習指導要領の改訂だ.それまで放課後のクラブ活動はあったが,「必修クラブ活動」が導入されて,その「クラブ活動」と区別して授業外の活動を「部活動」と呼ぶことが定着した.つまり,必修のクラブと任意の部活の併存だ.
1989年の改訂で,部活動にはいっていればクラブ活動をしなくてもよくなったため,多くの学校で内容が重なるものは部活に一本化された.これで「部活動への参加はある意味強制力を持ち,教師が顧問になることが半ば公務と見なされるようになった」のだという.
1998年の改訂では必修クラブ活動は廃止されて部活動のみが残った.部活は本来は任意のはずだが,「半ば強制的である学校も出」たという.
2008年の改訂では「生徒の自主的,自発的な参加により行われる」とされた.文言上明らかに「任意」と思うのだが,「部活動は依然として制度的にあいまいな存在」なのだという.
だとすると必ずしも世代ごとの思い込みだけが原因ではないのかもしれないが,部活のあり方の議論にあたってはこのへんの位置づけをはっきりさせる必要があるのではないか.
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