その後の朧月夜と源氏 (源氏物語)
馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~恋する黒髪~」一部引用再編集
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若き日の源氏との間が密かに知られた朧月夜はその後、朱雀院(源氏の異母兄弟の兄)の尚侍(ないしのかみ)となり、朱雀院の出家の後は宮中を退出して弘徽殿太后(旧:女御)が居られた二条の宮でくらしておられたが、源氏はこの境遇の変化につけても朧月夜のことが忘れがたく、出家された朱雀院への遠慮はあるが、「今しもけざやかに清まはりて、立ちにしわがな、今更に取り返し給ふべきにや」と思い立ち、しいて訪問をすることにした。
この源氏の心理はじつに今めかしく面白い。「いまさら生真面目ぶってみても一度評判になった朧月夜との浮名を取り消すことなどできないだろう。それなら・・・・・」といっている。
朧月夜の方は俄かの訪問に驚いたが襖を隔ててお会いになる。夜のふけゆくままに源氏はこれではあんまりだと隔ての襖を引き動かし歌を詠み交わした。
年月をなかにへだてて逢坂のさもせきがたく落つるなみだか
「若菜」上 源氏
返し
涙のみせきとめがたき清水にて行き逢ふ道ははやく耐えにき 朧月夜
互いに「逢坂の関」をテーマに置いて、源氏は「関」と「塞(せ)き(流れなどをさえぎりとめること)」を掛けてうたっている。長年逢うことができなかってことへの塞き止めがたい涙をうたったのに対し、朧月夜は、逢坂の関の清水のように涙は流れても、もはやお逢いする道はすっかり絶えてしまったと、きっぱりとした変化である。
だからといって互いに忘れることができる間であろうか。源氏が須磨に引退した原因となった情熱の記憶は双方に残っているのだから。帰りがけに源氏は、朧月夜と再会を遂げた藤の宴の夜を思い出しながら、咲きかかる藤の一枝を折って詠んだ。
しづみしも忘れぬものをこりずまに身もなげつべき宿の藤波
「若菜」上 源氏
(この藤の宿であなたと再会してから、抑えがたい情熱のままにあやまちを重ね、ついに須磨に蟄居した私ですのに、それにもこりず、いまなおこの藤波の宿のお方のためには、身を捨てかねない私なのです)
圧倒的な言葉にたじろぎながらも朧月夜はやっと「身を投げる淵などと仰しゃっても、きっと噓でしょう」と応じることができただけだった。
参考 馬場あき子氏著作
「日本の恋の歌 ~恋する黒髪~」