4-4.温子から伊勢への出仕の催促と、贈答の歌の微妙な面白さ
馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~貴公子たちの恋~ からの抜粋簡略改変版
出仕催促時の贈答の歌を次にあげてみよう。
松虫もなきやみぬらぬ秋の野に誰よぶとてか花見にも来む 伊勢
(松(待つ)虫さえも鳴き止んでしまった秋の花野に、待たれてもいない私が、呼ぶお方があるといって出かけてゆくことはいかがなものでしょうか)
呼ぶとしも声はきこえて花すすき忍びに招く袖も見ゆめり 温子
(おや、あなたは「誰よぶとてか」と歌っていますが、きっと誰かの呼ぶ声がきこえるのですね。それでは忍びやかに招く袖も本当は見えるのでしょう)
人もきぬをばなが袖も招かればいとどあだなる名をや立ちなむ 伊勢
(とんでもないことでございます。人ではなく、たとえ尾花の袖でありましょうとも、もし招かれてまいりましたら、いっそう浮き名が立つことでしょう)
わが招く袖ともしらで花すすきいろかはるとぞ思いわびつる 温子
(尾花が招くのですか。まったく。私が招いている袖とも見わけがつかぬとは困ったこと。私を思うこころざしまでも色変わりするとは悲しいわね)
はじめ中宮温子は前裁の秋の風情が美しいから、早く出仕しなさい、と催促してきたのだが、伊勢はその文言のうち、「松虫もなきやみ、花のさかりもすぎぬべし」という風流な誘いに、わざと拗ねてみせて、「松虫」に「待つ虫」を掛けて受け止め、本当に待たれていないのに、呼ばれたからといって、すぐさまお伺いするのもいかがなものかと甘えた遠慮をしてみせたのだろう。じっさいには、すぐさまそのあと参上して、「松虫」と「花野」の歌を詠む、という場面は珍しいことではない。
しかし、中宮はそうした伊勢の魂胆をすぐ見破ってもっと面白いことを思いついたのだ。それは、「誰よぶとてか」という拗ねた一句をとっこに取って(相手を困らせるためのきっかけにして)、「誰が読んでいるというの。その声がきこえるのね」と揶揄してかかる。ここに、二人の間で知る一人の男性としての宇多院の存在を思い浮かべてみると、この応答のニュアンスはじつに微妙な面白さで、一方的に伊勢は虚を衝かれ負けている。
伊勢はあわてて、人ではなく尾花の袖が招く風情にひかれて参上しても人は徒(あだ:いたずら)な名を言い立てるだろうと、言い訳をするが、中宮は待っていたとばかりに、「招く袖」はほかならぬ私ですよとやりかえす。その上で、「私を思う心も、色変わりしたのですか。侘しいこと」と嘆かれては、伊勢の完敗である。この中宮と伊勢の関係は、後年の定子皇后と清少納言の関係を思わせる親愛感がある。
つづく(「伊勢」と「小野小町」をランダムに選んでいきます。つぎも「伊勢」の予定)