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5-1.伊勢と時平そして仲平
馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~貴公子たちの恋~ からの抜粋簡略改変版
「古今集」に女性として二十二首という最多の入集をはたした伊勢は、「後撰集」ではさらに尊重され、貫之の八十首に次ぐ七十一首を収載された。「恋」の歌が多く採られ、詞書によって詠まれた場の魅力が加わっている。当時の宮廷女性の贈答の典型として注目されていたことがわかる。「古今集」で伊勢の恋の歌が登場するのは「恋三」の巻軸(かんじく:巻物の軸に近い所。転じて、書物の終わりの優れた作品を配置する部分)で、すでに名手の扱いを受けている。
とかく伊勢の名が立ちやすかったのは、やはり歌のやり取りに妙味がある面白い女性として名だたる若公達との交流が多かったせいであろう。
「古今集」や「後撰集」では、最初の恋人であった仲平と、その兄時平との贈答の歌が多く、伊勢の恋をそこに集中的に見てしまいがちだが、仲平への返歌はほとんど終わった恋を、終わったものとして歌いかえしており、時平とは夜を共にすることはないが、互いにつれない恋人として歌を書きかわす疑似的な恋の相手である。「後撰集」から仲平と時平に返した伊勢の歌の差をみてみよう。
法皇、伊勢が家の女郎花を召しければたてまつるを聞きて
女郎花(おみなえし)折りけん袖のふしごとに過ぎにし君を思ひいでやせし 枇杷左大臣(仲平)
返し
女郎花折りも折らずもいにしへをさらにかくべきものならなくに 伊勢
宇多院が出家して法皇になられてから、伊勢の家の女郎花をお召しになったので、奉る用意をしているところに、昔の愛人であった仲平が折を得たように昔のよしみを言ってきたのである。「その名もゆかしい女郎花を折りながら、あなたは法皇との昔の折々を艶な思い出振りかえっていたのでしょうね。私のことはー-」というものだ。
それに対して伊勢はつれない。「いろいろ想像される名の女郎花を折ろうが折るまいが、昔のことを思い出すならやっぱり橘。女郎花は昔を思う花でもありませんでしょ」といっている。
伊勢は法皇が召された「女郎花」を機に、仲平が昔の仲を思い出してほしげに詠みかけてきたのをたしなめたのである。
つづく(「伊勢」と「小野小町」をランダムに選んでいきます。つぎも「伊勢」の予定)
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