4-2 色好みの女君たち
馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」一部引用再編集
*******
4-1 のつづき
世の中をいかがはせまし春霞よそにもみしと人はいふなり 元良親王
(私たちの仲はどうなるっていうんですか。春霞で見えない向こうの方で、あなたと夜を共にしたという人がいるんですよ)
あはれとはみれどもうとし春霞かからぬ山もあらじと思へば 一条
(あなたはとても素敵な方ですけど、私へのお心ざしは本当のものかどうか心配ですわ。春霞のかからぬ山がないように、どなたにでも恋をなさるあなたですもの)
親友の伊勢が平中の好色を手玉に取った艶笑歌話があることは前に書いたが(注:まだ投稿していません)、二人の女友達はこうした色好みの男たちの噂や打ち明け話をすることはなかっただろうか。
伊勢は多くの高貴の男たちとの恋を巧みに処理して、一生を才媛の名とともに保ったが、比べると血筋のよい一条の君は世間への才媛に乏しいところがあったかもしれない。壱岐守の妻となって、日本海の彼方の島に去ってゆく決意とは、再出発とはいえない。むしろ今までの一条の君を葬り去るものであろう。もちろんこの後の一条の君の消息はない。
それは(小野)小町伝説を例とするまでもなく、色好みの名に賭けたものが人生の半ばを過ぎて、自ずと自問していた出家ともちがう後半生そのものなのかもしれない。しかし、あえて半生を北方の海に船出しようとする上臈女房の内面を思うと、きわめて現代的で限りない魅力を感じないではいられないだろう。
宇多院の皇子敦慶(あつよし)親王は音楽の才豊かな美貌の貴公子であった。伊勢を愛し、女流歌人中務(なかつかさ)が生れている。
人望のある風流の人として知られていた親王を、異母妹の孚子内親王(ふしないしんのう)が思慕されて、切にお逢いしたいと希っていたが、互いに身分も高く、この恋は困難も多かったろう。孚子内親王は桂宮(かつらのみや)に住んでおられたので、折ふし月の美しい夜、月と桂にちなんだ恋の歌を届けられた。
ひさかたのそらなる月の身なりせばゆくとも見えで君はみてまし
(久方の空ゆく月のように自由な身であったなら、どこへ行くとも知られぬようにあなたのもとに行き、心のままにお会いできますのに・・・・)
4-3 色好みの女君たち につづく
参考 馬場あき子氏著作
「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」