初出仕の日は、この年の大晦日に当たっていました。年末年始の内裏は行事で慌ただしい。しかしそれを尻目に、紫式部は正月早々自宅に戻りました。出仕していたのはわずか数日間。その間、紫式部に話しかけてくれた女房は、なぜかほとんどいませんでした。歓待されるなどと思いあがっていた訳ではありません。ですが、「源氏の物語」作者という能力を買われて召し出されたことは紫式部にも察しがついていました。ですから、女房たちも物語を読んでくれており、それなりの迎え方を期待した気持ちもあったかもしれません。ところがそれとは裏腹に、同僚たちの態度はあまりにも冷たいものでした。清少納言も初出仕のときは泣きべそをかいていました。誰でも堅くなるのは当然です。ただ紫式部と違い、清少納言にはもともと女房としての資質があり、意欲もありました。定子と同僚たちもしきりに声をかけ、気持ちをほぐしてくれたのです。
紫式部は引きこもりを続けました。同僚たちが原因での紫式部の苦しみを、ひきこもりという形で訴えてやりたかったのです。しかし紫式部の思いとは裏腹に、中宮彰子御前の女房からは紫式部を責める声が漏れ伝わってきました。あまりに欠勤が長引いたため、態度が大きいと見られたのです。紫式部は傷つき、憤慨せずにいられませんでした。 今にして思えば、確かにひきこもりは長すぎました。被害者意識のため意固地にもなっていました。紫式部は周りを敵視して、頑なに自分を守ったのです。 ひきこもりは五月までも続きました。やがて優しい声をかけてくれる女房も現れて、紫式部は職場復帰を決めました。でも中宮彰子御前の女房たちに心を開いた訳ではありません。周囲を拒みつつ、わが人生を怨みつつ、紫式部は宮仕えを再開しました。 参考 山本淳子著 紫式部ひとり語り 源氏物語の時代