紫式部は、同僚たちには慎重に接しました。思えば初出仕の時には、内裏に来ても気が晴れないと溜息をついたり、わずかに話せた女房にすがったりと、無防備に自分の心をさらけ出しすぎました。職場では自宅とは別の心構えが必要なのです。こんな簡単なことを紫式部には誰も教えてくれませんでした。
紫式部は同僚たちを観察し、いろいろな女房がいることを知りました。まず、頭から理解してくれない人、これには何をいっても無駄です。また、他人と見ればこきおろし「我こそは」と偉ぶるような人も、話しかければ批判が返ってくるだけだから煩わしい。こうした鬱陶しい女房たちとは、できれば付き合いたくありません。ですが仕事上、顔を突き合わせなくてはならないこともあります。その時は、紫式部はひそかに「惚け痴れ(ほけしれ)」を実行しました。問いかけられても、まともに答えず、「さあ、存じませんわ」「私、不調法で」などとかわして、ぼけてものの分からない人間を演じきります。相手は呆れ、やがて紫式部に構わなくなります。痴れ者と思われても一向に構いません。それは本当の紫式部ではないからです。
そうした紫式部を見ていた同僚女房たちが、口々に言うことには。
― あなたが来ると聞いて『気取っていて、相手を威圧し、近づきにくくてよそよそしげで、物語好きで思わせぶりで、何かというと歌を詠み、人を人とも思わず憎らしげに見下す人に違いない』と、みんなで噂してあなたを毛嫌いしていたの。それが会ってみたら不思議なほどおっとりしているのですもの、別人じゃないかと思ったわよ。― 紫式部は初めて知りました。紫式部は『源氏の物語』作者ということで、恐れられていたのです。そうした皆の思いも知らず初出仕した紫式部は何と気のつかぬ人間だったことでしょう。
物語を作る人間ならば、もっと人の心が想像できたはずです。だのに女房たちの気持ちが分からなかったのは、紫式部に分かろうという気が無かったからです。宮仕えの要請を受けた時から、紫式部は自分のことしか考えていませんでした。 紫式部の女房としての一歩は、ここから始まりました。惚け痴れた振りを偶然にも「おいらか」と言われて、それになりきろうと決心したのです。
「おいらか」は、決して馬鹿という意味ではありません。それは「おっとりしている」ということです。同じおっとりしているのでも、ただぼんやりいるせいで大人しく見える「おっとり」もあれば、人の気持ちを思いやった上で穏やかにことを運ぶための「おっとり」もあります。もちろん、紫式部が目指すのは後者です。 参考 山本淳子著 紫式部ひとり語り