20 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 2ホ 日本艦隊の攻撃を待ちのぞむアメリカ 」
第2章
米政府が秘匿した真珠湾の真実 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
2イ 開戦を前にした昭和天皇の懊悩
2ロ 悲痛の極み、宮中御前会議
2ハ 山本五十六の無責任発言
2ニ アメリカに腰抜けだった連絡会議の結論
2ホ 日本艦隊の攻撃を待ちのぞむアメリカ
2ヘ 開戦強要の最後の一手
2 ト その時、ルーズベルト(FDR)は何をしていたか
2チ なぜ新鋭艦が真珠湾にいなかったのか
2リ 万策尽きての開戦決定
2ヌ 暗号解読で、事前にすべてを承知していたアメリカ政府
2ル ハワイにだけは情報を伝えなかった謎
2ヲ アメリカの参戦決定と、チャーチルの感激
2ヨ ルーズベルト(FDR)は、いかにして四選を果たしたか
2タ 終戦の方策を考える余裕すらなかった日本
2レ アメリカで追及された真珠湾奇襲の真相
2ソ 終戦一年半前に作られた日本占領統治計画
2ツ 日本国憲法にこめたアメリカの狙い
************************
2ホ 日本艦隊の攻撃を待ちのぞむアメリカ
野村駐米大使は軍人だった。外交についてはシロウトだった。
政府は野村では心もとなかったので、野村を援けるために、ベテラン外交官の来栖(くるす)三郎大使を特使として、ワシントンに急派した。
11月5日に、来栖は飛行艇のクリッパー便に搭乗して、アメリカへ向かった。クリッパー便はアメリカの航空会社が運営して、香港とアメリカを、日本を経由して結んでいたが、チャイナ・クリッパーと呼ばれていた。
来栖は駐ベルギー大使、駐独大使を務めて、日独伊三国同盟条約に調印していたが、ドイツ贔屓ではけっしてなかった。
来栖特使が離京した5日に、山本五十六連合艦隊司令長官に対して、「12月上旬ヲ期シテ諸藩ノ作戦準備ヲ完成スルニ決ス」という、大本営命令第一号が発せられた。
8日に連合艦隊機密命令として、「X日ハ⒓月8日トス」と、発令された。X日は開戦日のことである。
11月17日に、野村が来栖特使を同行して、ルーズベルト(FDR)大統領と会見した。
来栖特使はこの時、ルーズベルト(FDR)大統領を前にして、驚くほど素直に語った。
来栖は、「日本はもとより対米交渉の成功を強く望んでいるが、それには時間的な要素がある。日本は事態を遷延(せんえん:のびのびにすること)するほど、自己を防衛するのに当たって、経済的、軍事的条件が悪化することになる。
日本としては、今後、無為に過ごして結局は全面的な屈服となることは、どうしても耐えられない。日本としては妥協に対する熱意は十分にあるから、急いで交渉を妥結させる必要がある」と、訴えた。
これに対して、ルーズベルト(FDR)は「友人のあいだには、最後の言葉はない。日米間になんらかの一般的な諒解をつくることによって、事態を救うことができると思う」と、子供をたしなめるように言って、はぐらかした。
アメリカは日本の潜水艦、駆逐艦以上の艦艇の無線機のそれぞれの細かい癖まで、把握していた。
11月22日から24日の間に、航空母艦「赤城」を旗艦として、6隻の航空母艦を中核とした、31隻によって構成される第一航空艦隊が、南千島の択捉(えとろふ)島の単冠(ひとかっぷ)湾に終結したことを、知った。
11月25日に、ルーズベルト(FDR)大統領がホワイトハウスに、ハル国務長官、スティムソン陸軍長官、ノックス海軍長官、マーシャル参謀総長、スターク海軍作戦部長を召集して、「次の月曜日(12月1日)あたりが、もっとも危険になると思う」と、述べた。
この時の記録によると、スティムソンが「日本人(ジャップ)はこれまで無警告で攻撃して、戦争を開始してきたことによって、悪名が高い。日本に最初に撃たせると危険もあるが、アメリカ国民の完全な支持を取りつけるためには、確実に日本人(ジャップ)に第一発目を撃たせることが、望ましい」と、発言した。
会議は、「アメリカに過大の危険を招かぬように配慮しつつ、日本のほうから攻撃せざるをえないように仕向ける(The question was we should maneuver them into the position of firing the first shot without allowing too much dander to ourselves)」ことで、合意した。
スティムソンはこの日の夜、日本を「彼ら」と呼んで、「問題はいかに彼らを誘導して、我々がさほどに大きな損害を被ることなく、最初の一発目を撃たせるかだ。これは、厳しい計略だ」と、日記に記した。
参考:加瀬英明著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長