33. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 4ロ 支配階級のための儒教 」
儒教の国と神道の国 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
4イ 儒教の矛盾
4ロ 支配階級のための儒教
4ハ 道徳哲学に儒教を変えた日本人
4ニ 公の概念が欠落した儒教
4ホ 中国には西洋美術館がない
4ヘ 女性に自由がない中韓
4 ト 易姓革命が諸悪の根源
4チ 自分の不徳を責める天皇
4リ 美意識に価値を置く日本人
4ヌ 中国は世界で唯一の神話がない国
4ル 日本は女性が最高神
4ヲ 和の文化と神道
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4ロ 支配階級のための儒教
孔子が、仁や、義や、恕(じょ:人を許すこと)や、徳などを、もっともらしく説いたが、支配階級の人々とのあいだだけに、適用されるものだった
儒教の高邁(こうまい:衆にぬきんでてすぐれていること)な徳目は、支配階級の仲間うちだけのものだった。とくに、仁は慈しみ、他者への思いやりを意味している。
だから、人民であれば、男のもっとも大切なところを、いくら切り取ってもよかったし、空腹をみたすために、いくらでも殺して、食べてしまってもよかった。
中国では、清朝が崩壊するまで、人民は長いあいだ、「民草」と呼ばれてきた。この言葉は、日本にも輸入されて、使われてきた。
中国では、民草はいくら刈っても、また、生えてくるものだから、殺しても、煮ても、焼いて、食べてもよい、存在であってきた。
ところが、日本では、民草は慈しみ、守るべき、対象であってきた。
中国は、日本のように、万民が人として、それぞれの人生を生きた、文化ではないのだ。
著者は、孔子が仁を説いているのにかかわらず、宦官制度や、食人習慣を、一度たりとも批判しなかったことに、中国社会のおぞましさを、垣間見た思いがした。
儒教は、道徳哲学ではない。統治哲学である。
本場の中国における儒教は、為政者が天下を私有する専制制度のもとで、人々の行いを制禦することによって、いかに権力に奉仕させて、社会を治めるべきか、体系だてた政治イデオロギー(思想傾向)なのだ。著者は、そのように覚った時に、戦慄した。それ以来、著者の中国観が変わることが、なかった。
そして、古書によれば、孔子は好物として、人肉を発酵調味料に漬けた醤(ひしお)を、毎日、食べていた。孔子がもっとも愛していた弟子だった子路(しろ)は、内乱にあって、敵に食べられてしまっている。
子路は、孔子の十人の直弟子(じきでし)である。十哲の一人として、有名である。
参考:加瀬英明著「中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか」
加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長