源氏物語:撫子(なでしこ)のをとめ
馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~貴公子たちの恋~
第三章 「古今集」の恋 からの抜粋簡略版 です。
「古今集」のよみ人しらずの歌、
あな恋し今も見てしか山賤の垣ほに咲ける大和撫子
山賤(やまがつ:山仕事を生業とする身分の低い人)
この歌の「撫子」は、当てられた字をみてもわかるように、「撫でめづる」ばかりの愛情をかけたい「子」、たいていは女、時に幼子が暗示される花である。「万葉集」では家持によって精力的にうたわれているが、いずれも恋の気分がただようものだ。その頃の撫子は山野に自生する野の花だったが、家持は庭に植えていつくしんでいる。
ここにあげた「古今集」の歌では、「大和撫子」とうたわれているが、その頃になると中国から渡来した唐(から)撫子も広く分布してきたのだろう。
撫子に「山賤(やまがつ)の垣ほに生ふる」という場面がよくつくのは、本来的な野生種の名残だろうか。あるいは撫子の花の可憐さが引き立つ場として、あえて謙虚に地位の低い花の場を主張したためであろうか。この歌では、「今も見てしか」と現実感を強調しつつ、郊外に都の塵にまじらず咲く花と乙女のイメージを重ねている。
「源氏物語」の「帚木(ははきぎ)」では、頭中将(とうのちゅうじょう)の懺悔物語として、女の子まで生ませた愛人の面倒を久しく見ないでいた頃、女のもとから撫子の歌が届けられたことが語られている。「山がつの垣ほ荒るともをりをりにあはれはかけよなでしこの露」という歌である。
この「山がつの垣ほ」は頭中将の正室がわから追い立てられ、いっそう零落の道をたどる夕顔の女の宿で、撫子はその幼い娘である。のちに玉鬘(たまかずら)となる幼子だ。「あはれ」をかける「露」は頭中将のなさけである。
「常夏(とこなつ)」の巻をみると、源氏に見出され都中の貴公子の恋心をさわがせた玉鬘の部屋の前栽には、唐撫子、倭(やまと)撫子が色どりよく植えられ、夕映えの情景がじつに美しい。