見出し画像

gooブログのテーマ探し!

1-2.色好みの源流:元良親王 待つ夕暮れ 帰る朝

1-2.色好みの源流:元良親王 待つ夕暮れ 帰る朝

 馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~貴公子たちの恋~ からの抜粋簡略改変版
 色好みの源流:元良親王 一夜めぐりの源流

1-1(元良親王の「くやくやと」の歌への返歌の二首)の続き


  夕暮は頼む心になぐさめつ帰るあしたぞわびしかるべき  本院侍従

  今はとて別るるよりも夕暮れのおぼつかなくて待ちこそはせめ  よみひとしらず

 一首目の作者は「本院侍従集」には見当たらないが「新後拾遺集」の「恋三」に作者を本院侍従としている。
 また歌も〈夕暮は頼む心になぐさめつ帰るあしたは消(け)ぬべきものを〉として収録されている。伝承の中で自ずと洗練度が加わったものだが、『新後拾遺集』成立の至徳元年(1384)までの距離は親王が返歌を求めた頃から数えても四百六十年以上、歌伝承の息の長さに驚かされる。
 原形の下句も物言いの実感があって捨てがたい。待つ夕暮れは「必ず来てくれる」と相手の誠意を信頼して、それを慰めとして待ち耐えることができるものだが、暁の別れの悲しさは、再び逢えないような不安が萌して、この上なく侘しいだろうとのべている。

 二首目の方は「待つ宵」派の歌。待つ宵の当てどなさ、不安なときめき、それこそが「恋」の至極だと言いたげである。この「待つ宵」と「帰る朝」の論争は、「春」か「秋」かの論とともに平安朝を通して折ふしに争われた風流論争であったが、元良親王の問いかけはその濫觴(らんしょう:)ともいうべきものであった。

 しかし、元良親王のこの風流心は、文学の上にとどまるものばかりではなかった。あの業平の「いちはやきみやび(激しい情熱的な恋)」の精神を、その日常の中に実現させることにためらいがなかったからである。元良親王の恋として最も名高いのは宇多院の京極御息所褒子(ほうし)との密通が世に漏れた事件であろう。

つづく
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「元良親王の色好み」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事