実を言えば、中宮彰子のもとで能力を認められていると感じ、中宮彰子を支えたいという気持ちになってからも、紫式部は長くこの女房という仕事に違和感を抱いていました。理由は、一つにはその見かけの派手さ、また実に落ち着きがなく人目にも晒されている仕事であること、そして最後には、角を突き合わすこともある人間関係です。
紫式部も女房になったからには、浮かれた生活を送っていると見られているに違いありません。美しい装束を纏い、華やかな儀式に彩を添える女房。主人と和歌を詠み恋の話をし、楽し気に暮らす女房。外からは、浮き浮きと弾む心しか推し量ることができないでしょう。しかしその現実は、今日は土御門殿、明日は内裏と、一箇所に所を定めずふらふらと彷徨う毎日。主家の浮沈と運命を同じうし、明日知れぬ政治の流れに身を任せながら生きる人生ではありませんか。それは幸福なのでしょうか。少なくとも紫式部には苦しいことでした。
女房という仕事に対して、嫌悪感を抱き続けるのか、覚悟を決めるのか。紫式部は揺れていました。
一条天皇が土御門殿に行幸された時には、豪華な輿から一条天皇がお出ましになる姿よりも、輿を肩に担いで苦しげに突っ伏す駕輿丁【がよちょう 人の担ぐ乗物を担ぐひと】の姿に目がひきつけられました。
― 何の異ごとなる、貴きまじらひも、身の程限りあるに、いと安げなしかし ―
[現代語訳
『何が違おう。私もあの担ぎ手と同じだ。女房という高級な仕事でも、この身なりに従わなくてはならない決まりがあって、ちっとも安穏としていられないのだもの』]
里の女時代に比べれば随分図太くなっています。このまま恥じらいを無くし、どんどん蓮っ葉になって、顔を丸出しにしても平気になってゆくのかもしれません。そんな下品なことが大嫌いな紫式部だったのに。これから、どんな嫌な人になってゆくのだろう。暗い底なしの淵を覗き込むような気がしているのです。
そんな気持ちでいた1008年の大晦日のことでした。紫式部は内裏で思わぬ事件に遭遇しました。思えばそれが、紫式部が女房たる自分を自覚したきっかけだったかもしれません。
≪内裏の盗賊事件≫
その夜、大晦日恒例の邪気払いの儀式「追儺(ついな)」が早めに終わり、紫式部は局に下がってお歯黒をつけるなど身づくろいをして、寛いでいました。内裏は一年のすべての行事を終えた静けさに包まれていました。
その時、中宮彰子の部屋のほうからものすごい叫び声が聞こえました。紫式部は同じ局で寝ていた弁の内侍を起こそうとしましたが、なかなか起きてくれません。叫び声は人の泣きわめく声に変わりました。凶々しい気配ですが、ともかく行かなくては。同じく局にいて起きていた女蔵人の内匠と、弁の内侍もたたき起こして同行します。
―
「内匠の君いざいざ」
と先におしたてて、
「ともかうも、宮、下におはします、先ず参りて見奉らむ」
と、内侍を荒らかにつき驚かして、三人震ふ震ふ、足も空にて参りたれば、裸なる人ぞ二人ゐたる。靫負(ゆげい)・小兵部なりけり。かくなりけると見るに、いよいよむくつけし。
―
[現代語訳
「内匠さん、さあさあ」
紫式部はむりやり彼女を先に立てて、
「何はともあれ、中宮様がお部屋にいらっしゃる。まず御前にあがってご様子を確認致しましょう」
乱暴に弁の内侍をたたき起こすと、三人してぶるぶる震えつつ、宙を踏むような心地で声の方に行ってみました。と、裸の女性が二人、うずくまっています。中宮様付きの女蔵人、靫負と若い小兵部でした。こういうことだったのだ……盗賊。ますます背筋がぞっとします。]
内裏に盗賊が押し入ることは、そう珍しくはありません。ですが実際に遭遇したことは初めてだったし、何よりも同僚女房の裸に身の毛がよだちます。装束を身ぐるみ剥がれたのです。いったい男たちは何をしているのでしょうか。鬼やらいが終わるや皆帰ってしまったようです。
裸にされた二人には中宮彰子が納殿(おさめどの)の装束を下賜されて、とりあえずことは収まりました。その後数日、紫式部はこの夜の自分の行動について考えずにいられませんでした。もはや、いざとなれば自分をさておき、中宮彰子のことを考えます。紫式部の心の根元が女房になったということではありませんか。
かつては紫式部も、人に頭を下げたり主にために走り回ったりすることを蔑んで、漢詩文や和歌といった自分の得意の埒内で遊ぶばかりの気位が高くて気まぐれの風流人のひとりでした。ですが紫式部は、今や働くことを知りかけています。そこで生きてゆこうとしています。
参考 山本淳子著 紫式部ひとり語り
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