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恋のかけひきくらべ (場面のある恋の歌)

場面のある恋の歌

  馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」一部引用再編集

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恋のかけひきくらべ (場面のある恋の歌)

  男と女の恋のかけひきくらい面白く、いいかげんなものはない。こういう言い方を否定するのはやさしいが、代々の勅撰集の恋の名場面は、大方こうした虚言や騙しを見ぬいたがわからの挑発であり、頭のいい弁明であり、そのあとには双方からの笑いがあった。

  では男女の仲はそれほど嘘でかたまっていたのかといえばそういうことではなく、男女の(交際)そのものが疑似的恋愛の中にあった時代では、男女間の思いはかりはそのまま人生や世間への心の深浅を問い問われる場であったといえる。「後撰集」の「恋二」を見てみよう。

    男の、ほど久しうありてまで来て、「み心のいとつらさ
    に十二年の山籠りしてなん、ひさしう聞えざりつる」と
    言ひ入れたりければ、呼び入れて、物など言ひて返しつ
    かはしけるが、又音もせざりければ

   出でしより見えずなりにし月影はまた山の端に入りやしにけん

    返し

   あしひきの山に生(お)ふてふもろ葛(かづら)もろともにこそ入らまほしけれ

  「よみ人しらず」の応答だが、じつに物に心得た男女の場の面白さである。男は久しく女のもとを訪ねていなかったが、思い出して旧交を温めたく思ったのだろう。「あなたがあまりつれないので、あからめて私は比叡山に十二年の山籠りをしていました。それで、まことに久しい間御無沙汰をしておりました」と消息した。
  「十二年の山籠り」とはずいぶん人を食った話で、ここでまず女の方は笑い出し、逆に会ってみようと思ったにちがいない。

  その夜、二人は久しぶりに楽しい夜を過ごしたと思われるが、男はまたまた、やってこなくなった。そこでこんどは女の歌、「山を出たと仰しゃった月影のようなあなたは、また山の端に入ってしまったのですか」というもの。

  これでは「山の端の月」などとあだ名がつきそうだ。男は油断を衝かれて言い訳をする。当然愛情たっぷりの言いわけでなくてはならない。「あしひきの山に生えている(もろかずら)をご存知ですか。そうです二葉が仲よく生えている葵の葉です。そのようにこんど山に籠る時は、ご一緒に籠りたい、そう思っている私です」。

  だがこの男、その後の消息はもうない。女は、「もろとも」の誘いが来るまでは待たなければならない返歌だ。もちろん、女がそんな男をずっと待つはずもない。だから安心だったのだ。

参考 馬場あき子氏著作
 「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」
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