35. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 4ニ 公の概念が欠落した儒教 」
儒教の国と神道の国 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
4イ 儒教の矛盾
4ロ 支配階級のための儒教
4ハ 道徳哲学に儒教を変えた日本人
4ニ 公の概念が欠落した儒教
4ホ 中国には西洋美術館がない
4ヘ 女性に自由がない中韓
4 ト 易姓革命が諸悪の根源
4チ 自分の不徳を責める天皇
4リ 美意識に価値を置く日本人
4ヌ 中国は世界で唯一の神話がない国
4ル 日本は女性が最高神
4ヲ 和の文化と神道
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4ニ 公の概念が欠落した儒教
本場の中国の儒教に戻ると、孝が何よりも、もっとも大切にするべき徳目となっている。
孔子の「公羊伝(くようでん)」によれば、父親や、身内が悪事を行った場合には、外に対して、口にしてはならず、隠蔽しなくてはならないと、教えている。
ある村に、息子がいた。「父が、羊を盗んだ」といって、告発した。
すると、孔子がこの息子を、「ばか者!」と一喝して、「身内の不祥事を、外に絶対に漏らしてはならない。隠すのが、人の道だ」と、叱った。
儒教は、孝をもっとも重要な徳目としてきたから、公の概念がすっぽりと欠落している。中国では、公というと、皇帝と朝廷のことであって、日本のように国全体を指しているわけではない。
中国では、血がつながっている家族と一族共同体か、あるいは仲間集団である、疑似家族共同体が、社会の基本となっている。
今日の中国では、国慶節や、節目の祝日に当たって、天安門の楼上に並ぶ、習近平国家主席以下の一千万人をこえる中国共産党員が、疑似家族共同体を形成している、排他的な利益集団だ。
だから、毛沢東から習近平国家主席までが、政権にとって不都合なことを、ひた隠しにしてきたのは、徳に適うことなのだ。
中国の新幹線が重大な事故を起こした時に、大きな穴を掘って、埋めたのも、儒教の教えに従ったものだった。
日本では、中国から孝がやってくると、忠がその上にぴょんと乗って、「忠孝」となった。儒教を改良したのだった。
著者は海外で、日本文化について講演する時に、忠を「パブリック」(公:おおやけ)と訳することにしている。日本では、一族よりも、民族共同体である国を大切にするのだ。
参考:加瀬英明著「中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか」
加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長