
山本淳子氏著作「平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む」から抜粋再編集
玉鬘の尚侍(ないしのかみ)就任は、人々の心に波紋を投げかけた。まずは玉鬘自身が、尚侍になれば帝の寵愛を受ける可能性もあり、実妹の弘徽殿女御(柏木の妹でもある)や光源氏の養女である秋好中宮(故六条御息所の娘)と対抗することになりかねないと悩む。玉鬘の足をすくおうとする人々の悪意や、光源氏の厄介な恋情、実父・内大臣のあいまいな態度など、悩みの種は多く、頼りになる母もいない玉鬘は独力で対応しなくてはならないと思い知る。
また夕霧は、光源氏と玉鬘に血縁関係がないと知り、六条院の人間関係に確執が生まれないかと懸念する。夕霧は光源氏の使いとして玉鬘に冷泉帝の命令を伝えがてら、御簾の下から藤袴の花を差し入れ、玉鬘に慕情を訴えるいっぽう、光源氏に対しては、宮仕えは表向きのことで、実質光源氏が玉鬘を愛人とするつもりではないかと糺す。これには笑って否定するものの、恐ろしくも真意を見抜かれた光源氏は、玉鬘への恋に幕を引く潮時と悟る。
玉鬘に懸想していたのに実の姉弟と知った柏木は、人づてに玉鬘に恨みの言葉を寄せる。いっぽう髭黒大将は攻勢に転じ、玉鬘の実父・内大臣に働きかけて、悪くない感触に意を強くする。
出仕を翌月に控えた九月、玉鬘のもとには男たちから数々の文が寄せられる。そのように懸想人たちの心を惹きつけてやまない玉鬘は、光源氏からも内大臣からも、女の心ざまの手本と褒められた。
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光源氏の息子・夕霧は、かつて父と玉鬘の睦まじい様子を見た時、玉鬘を父の実の娘だと思っていた。だから、二人がまるで一対の男女のように艶っぽいオーラを漂わせているのを見て、父娘相姦のタブーに触れていると感じていた。実は夕霧は、自分自身も玉鬘に惹かれながら、その想いを抑えていた。腹違いとはいえ父は同じ光源氏、弟である自分が玉鬘に抱く想いはやはり近親相姦にあたり、あってはならないことと考えたからだ。
結局は、玉鬘と光源氏には血縁がなかったことが公表され、夕霧は胸をなでおろす。だがこの「近親の恋」というタブーは、古代の文学を通じて、様々な悲喜劇を巻き起こす重要なテーマだった。
まず、守るべき一線を確認しておこう。「古事記」では、日本の国生みをした夫婦神・イザナギとイザナミは、同じ高天原(たかまがはら)に生まれた”きょうだい”と記されている。それでも彼らが結婚できたのは、それが神の世界のことだからだ。人においては、同じ父母を持つ”きょうだい”が男女の仲になるなることは許されていなかった。
允恭(いんぎょう)天皇(?~? 5世紀半ば)の息子の軽太子(かるのおおみこ)は、父の後を継ぐと決まっていた。だが即位の前に、軽太子は同母妹の軽大郎女(かるのおおいらつめ)と恋に落ち、深い関係になってしまった、。世間はそれを許さず、軽太子は皇太子の地位を剥奪されて、伊予に流された。軽大郎女は後を追い、二人は共に命を絶つ。
同母”きょうだい”の間の恋は、かくもタブーであり悲劇を生んだのだ。だが異母”きょうだい”となると、恋も結婚もタブーではなかった。
ところが平安時代となると、タブーは異母”きょうだい”にも及ぶ。「源氏物語」の夕霧が玉鬘への想いを自制したのは、その表れだ。
なお、この時代、結婚が認められていたのは、三親等からだ。光源氏の弟の蛍兵部卿宮は、玉鬘が光源氏の娘とされていた当初から、玉鬘に求婚していた。叔父と姪の関係は、全く恋の障害にならなかったのだ。
令和に生きる私たちにとって、血族同士の恋愛は違和感を覚えるものかもしれない。だが、平安の貴族社会は、皇族・摂関・公卿レベルの家ともなるとその世界はごく狭く、人数も限られている。そんな中で互いに家格を守ろうとすれば、結局は身内同士の結婚となってしまう。政略がからめば、それはなおのこと当然なのだった。
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