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「クララとお日さま」を読書中。ただいまP176近辺まで読み進みました。
作品の雰囲気は「わたしを離さないで」に似ています。例えば、複数のキーワードを説明のないまま、物語がずんずん先へ進んでいき、読者に不安を抱かせ続ける手法です。
内容は人間と対等に付き合える程に進化したアンドロイドの視線からの物語ですが、アンドロイドの知能レベルは一緒に住む人間の「視線、表情、見ている対象物、発言内容」などを観察して、その人間の感情を読み取れる高度の能力を持っているようです。
しかしその割には目の前の環境を見るのに、視野範囲を四角の幾つかの範囲に分け、一つずつ分析整理して、その後ようやく範囲全体を統合して視野全体を認識できる、というまどろっこしい手順が書かれています。私はテレビゲームはやりませんが、ゲーマーがこの本を読んだら途中で投げ出しそうな気がします。
少し古い本ですが、人間の脳の働きと比べてみます。
― 引用 ―
脳科学の劇的な進歩は人間観も変化させつつあり、橘玲(文藝春秋SPECIAL2017夏号)によると「意識は幻覚で、わたしとは無意識のことだ」という。例えば、文字や画像を意識できないほど短い時間表示させただけで、行動や認知に影響を与えるサブリミナル(潜在意識)効果で、これは無意識が意識よりも高度な認識能力を持っていることを示している。――眼球は、1秒間に数回の頻度で細かく動いている(サッカード=衝動性眼球運動)。ところがこれをすべて意識してしまうと視野が揺れて直立できなくなるから、意識を集中できるのは1カ所だけにして、それ以外の視野から来る情報はすべて無意識に任せ、危険を察知したときだけ警告を発するシステムになっている。――
― 引用終わり ―
まだ「クララとお日さま」の、物語の狙いが判明するところまで読んでいないのでなんとも言えませんが、アンドロイドに無意識の領域を作り込めそうな気はしないので、全然別の物語なのでしょう。
(本日、書くことがないのでつまらない思いつきを書いてしまいました)
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