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5-2.伊勢と時平そして仲平
馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~貴公子たちの恋~ からの抜粋簡略改変版
では、伊勢は仲平を嫌っていたのかというと、この最初の恋人に対しては折ふしに微妙な反応を示している。
住まぬ家に詣(ま)で来て紅葉に書きて言ひつかはしける
人住まず荒れたるやどを来て見れば今ぞ木の葉は錦織りける 枇杷左大臣(仲平)
返し
涙さへ時雨にそひてふるさとは紅葉の色も濃さまさりけり 伊勢
「後撰集」の詞書はこのようにあっさりしたものになっているが、「伊勢集」では失恋からはじまる伊勢という女の物語の冒頭をなすものである。身分ちがいの仲平からの求婚を、親は「わかき人たのみがたくぞあるや」と心配していたが、やがて仲平は大将家の姫の婿となり、親は「さればよ」と予測の的中を歎いている。女も、この上なく自分の軽率を恥じているところに、仲平のところから遣わされた者が、五条わたりの女の家にやって来て、垣の紅葉に書きつけていったという。
伊勢と住んでいた家の寂寥をとぶらひ詠まれたもので、自分が居なくてなっても、紅葉の錦の美しさに安心したというなぐさめの気持ちがある。「女は心うきものから、あはれにおぼえければ」というのが歌の心であった。
見捨てられた女の哀れは身にしみながら自分を捨てて結婚せねばならない男の事情も知り、心の決着がまだつかないままに、悲しみにくれて返歌している。これを機に伊勢は大和に引退したのである。
その後、再出仕してからの贈答の中で、仲平は自分の情が薄くなったと伊勢が誤解しているが、それについては自分の方も怨めしく思うことが沢山あると詠み送ったが、伊勢はこんな返歌を詠んでいる。
わたつみとたのめしこともあせぬれば我ぞ我が身のうらは怨むる 伊勢
(大海のような頼もしい御愛情と信頼していましたが、その海もひどく浅瀬となってしまった様子です。今はもうあなたという海の満ちてくることのない我が身の浦を、我れ自ら怨むばかりです)
つづく(「伊勢」と「小野小町」をランダムに選んでいきます。つぎも「伊勢」の予定)
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