田中慎弥さん関連のネットを見ていたら、
彼自身の言葉が寄稿という形(産経ニュース)で載ってた。
あの震災に際し、彼は「・・・自分のことだけを考え、
他のことをほとんど頭に入れずに、虚構の世界を作り上げていった。
世の中の動きと全く関係のないところで、自分のためだけに懸命に仕事をし、
やめようと思わず、むしろのめり込んだ。
喜びでさえあった。・・・」抜粋以上。
こういう文章が言語化されたということは、
(そう思った)ことについて彼自身に何らかの解釈があったということじゃないかな。
自分のやりたいことをしていた・・それは当たり前のことだ。
誰もがご飯を食べたくて食べたり、仕事したり、遊んだり、している。
それぞれが自分のやりたいことをやっている。当たり前のことだ。
けれど、それをわざわざ言語化しない。
公開しなくても何かを日記に書いたりする人もあるかもしれない。
書くということはその事に何らかの関心が向いたことであって、
白米ご飯を食べた、排尿した、眠くなって寝た、なんてことが言語化されないのは、
それに何の関心も寄せなかったということを示している。
作家である田中さんがその時書いていた小説自体には、書かれてあったように、
あの大震災はなんの変化ももたらさなかったのだと思う。
本当にそうだったのだろうと思う。けれど、
(震災に関係なく書いているそのこと)に、
何らかの思い、解釈があったということを示している。
彼の作品そのものに震災は直接影響なかったけれど、
彼のその時の心の底ではやはり何か動きがあったんじゃなかったのかなぁ。
何かがなければわざわざ言語化しないはず。
「世の中の動きと全く関係のないところで、自分のためだけに懸命に仕事をし、
やめようと思わず、むしろのめり込んだ。」
・・この文章。
世の中の動きと全く関係ないところで・・・
自分のためだけに・・・・
やめようと思わず・・・・
関係ないことしているのはどうなんだろうという自らへの問い。
自分のためだけにというのはどうなんだろうという自らへの問い。
やめようと思わなかった自らへの問い。
それらがなかったら、この文章は存在し得ない。
無意識のうちにあの震災に心を寄せていたことへの表れかと思われる。
ひとの心というものは、言わないことで言っている こともある。
彼自身の言葉が寄稿という形(産経ニュース)で載ってた。
あの震災に際し、彼は「・・・自分のことだけを考え、
他のことをほとんど頭に入れずに、虚構の世界を作り上げていった。
世の中の動きと全く関係のないところで、自分のためだけに懸命に仕事をし、
やめようと思わず、むしろのめり込んだ。
喜びでさえあった。・・・」抜粋以上。
こういう文章が言語化されたということは、
(そう思った)ことについて彼自身に何らかの解釈があったということじゃないかな。
自分のやりたいことをしていた・・それは当たり前のことだ。
誰もがご飯を食べたくて食べたり、仕事したり、遊んだり、している。
それぞれが自分のやりたいことをやっている。当たり前のことだ。
けれど、それをわざわざ言語化しない。
公開しなくても何かを日記に書いたりする人もあるかもしれない。
書くということはその事に何らかの関心が向いたことであって、
白米ご飯を食べた、排尿した、眠くなって寝た、なんてことが言語化されないのは、
それに何の関心も寄せなかったということを示している。
作家である田中さんがその時書いていた小説自体には、書かれてあったように、
あの大震災はなんの変化ももたらさなかったのだと思う。
本当にそうだったのだろうと思う。けれど、
(震災に関係なく書いているそのこと)に、
何らかの思い、解釈があったということを示している。
彼の作品そのものに震災は直接影響なかったけれど、
彼のその時の心の底ではやはり何か動きがあったんじゃなかったのかなぁ。
何かがなければわざわざ言語化しないはず。
「世の中の動きと全く関係のないところで、自分のためだけに懸命に仕事をし、
やめようと思わず、むしろのめり込んだ。」
・・この文章。
世の中の動きと全く関係ないところで・・・
自分のためだけに・・・・
やめようと思わず・・・・
関係ないことしているのはどうなんだろうという自らへの問い。
自分のためだけにというのはどうなんだろうという自らへの問い。
やめようと思わなかった自らへの問い。
それらがなかったら、この文章は存在し得ない。
無意識のうちにあの震災に心を寄せていたことへの表れかと思われる。
ひとの心というものは、言わないことで言っている こともある。