新型コロナウイルスも今のところおとなしくなってるようだけど、
新型コロナウィルスに感染してしまうこともあるかもしれないと、
割と早くに観念した。
そうなっても仕方ないと。
考えると、COPDと医師に言われたときもそうだった。
仕方ないと観念した。
所謂悲観することはなかったなぁ。
しょうがないもんねぇ、という感じ。
ただなるべく心地よく今後の人生を過ごしたいと思い、
運動を真面目にしたり、
煙草を吸っている人の傍には行かないようにしたり、
ステロイドの吸入薬を吸入したりしたのだった。
まぁ、そんなに早く諦めなければ、
もっと早くに他の医師に診てもらって、
要らぬステロイド剤など身体にいれることはなかったし、
その一年間の医療費も払うこともなかったんだけどねぇ。
なんせそれは誤診だったので。
まぁ、そういうことも済んだことだとすぐに諦めた。
ただ、その医師に誤診だったことは報告したよ。
諦めることについての批判的なことも聞くことはあるけれど、
どんなことにも良い面と悪い面があるもので、
実感するんだけど、諦めると、気分がさっぱりして、
じゃあ、どうしようかということにすぐ進む。
諦める、という気持ち、心、の裏には「引き受ける」がある気がするよ。
諦める。
そのことを投げ出す。
お手上げ。
どうしようもない。
仕方ない。
どうなってもいい。
・・・そういう感じ。
ゼロ 零 に立つ という感じ。
今、ここ に立てる。
新型コロナウイルスにかかるかもしれない・・・
かかってもいい、という、今ここ の自分 を決めることだ。
どうなってもいい、という境地に立つこと・・・・
COPDと言われた、そのときの 今ここ の自分は
諦めよう、引き受けよう、じたばたしない・・・だったと思う。
思いつく限りの最悪の事を予想して、それをそうなってもいいと。
すると、所謂 前向きになるんだなぁ。
で、私は気分よく手洗いを面倒がらずにし、
出かける時はきちんとマスクをし、
外では大きな声を出さずにしております。
で、私のCOPDみたいに新型コロナウイルスは嘘でした!
世紀のデマでした!
・・なんてことはないだろうなぁ。