認知症かどうかの検査にこの前行って来た。
長谷川和夫さんという認知症介護研究の権威というか、
研究者でもあり、精神科医でもある人が認知症になって
「ボクはやっと認知症のことがわかった」という本を出していて、
それに出ていた長谷川式認知スケールがやっぱり利用されていた。
あのスケールの項目、覚えておけばよかった・・・などと
馬鹿なことを思ったけど、そう思ったように覚えてなかった・・・
最近物忘れがひどいなぁと思っていて、娘からも指摘されて、
なんでもなければいいんだし、もしそうであっても
早いうちに発見できれば、進行を遅れさせることもできるから・・・
などと強く勧められ、行って来ました、クリニックへ。
全くの無実だと確信があれば、いくら強く勧められたって
行かなかったと思うけど、身に覚えがあるので行って来ました。
脳のCT写真も撮り、検査の結果、認知症ではないということになったんだけど・・
このブログにも何年も前にひどい忘れようのことなど書いたことがある。
車で郵便局へ宅配便の荷物を持って行き、
歩いて帰って来た。
それも帰宅してから、夫に車で行ったんじゃなかった?
と聞かれ、それでも瞬時には何を言われたのかわからず、
数秒後?あ!置いてきた!・・・・だった。
これが確か5年以上前の事だと思う。
漫談家のきみまろのトークで、元々呆けている人は
医師も判断がつかない、などと言っていたけど、
笑い事ではないのである。
やはり以前このブログに『ナントカさんの認知症日記』
というタイトルに変えて書こうか、などと書いた記憶がある。
認知症と診断されたら、観念して、きっとそうすることにするよ。
諦めが早い私で、諦めるというか、受け止めるけれども、
そうならないように努力はする意思はあるんだよ。
自分の顕在意識を監視するというか、観察を怠らないというか、
自分が今、何を思っているか、を
いつもわかっている状態にいるように・・・
そうしていれば認知症にならないのではないかと、
このブログに書いた記憶がある。
結構たくさん書いてるから、いつ書いたのか記憶にございませんが。
けれど、自分の意識を観ていよう、と意識するその意識が消えてしまうのが
認知症なのかもしれぬ。
けれど、今のところ、無意識的に動いている時にした行為は忘れやすい、
ということはわかっている。
いつか、テレビだったと思うけど、
玄関のカギを掛けて家を出たか、掛けないで出て来たか、
思い出せない、というようなことがあるなら、
右利きの人は左手で鍵を掛けると忘れにくい、
というようなことを言っていた。
なるほどと思った記憶がある。
ようするに利き手でない方が意識的になりやすいのだと思うのだ。
自分の意識を観察するという目的が一つではなくなったよ。
いや、その目的に今回のことも合致するものかもしれぬ・・・
今後の自分の意識状態も正直に書いていこうと思っている。