ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

嫌な自分。

2019-11-30 17:18:36 | ひとの幸福

ここのところ自分が好きと思えてないことに気づいた。

人から「自分が嫌い」とかの言葉を聞いたことがあるけれど、

それがどういうことかわからなかった。

そう思ったことがなかったからだろう、その頃は。

最近、このページに来ることも無くなって、

自分を観る、という一番大切なことを疎かにしていた。

他者を嫌う自分をみつけたこと=自分を嫌っている自分に気づいたこと

・・・なんだ。

いや、人を嫌うことが悪いっていってるんじゃないよ。

嫌いなら嫌いでいいんだよ、そのこと自体は。

それで自分の気持ちが何の後腐れもないなら。

自分を嫌だと何故思うのか・・・

自分を嫌ったりしていなかった頃の自分と比べると、

自分の考えだけで突っ張ったりするようになった、

他者の話を聞く時、プロセスを聞こうとしないで、その話の結論を急ぐようになった、

勿論そんなことが以前に全然なかったわけじゃないよ。

でも、その数値があるとすれば、倍以上、三倍にも五倍にもなっていることは確か。

そういう自分を苦痛に感じていることにやっとこさ気づいたんだ。

自分もその他者も、自分で考え、行為行動する自由を持っている・・・のに、

自分の自由ばかりに傾いていた。

その人のことをその人に任せられない自分をやっと見つけられた。

それはどういうことかと言えば、

その他者が自分で考え、行為行動することが出来ない、と

無意識のうちに私が決めていた、ということだ。

なんということだろう!

ひどいねぇ!

 

人にはひとの人生がある。

その中身は他者にはわからない。

けれども、他者を応援することは出来ると思う。

それは他者の人生の歩みを邪魔しないことだ。

その人の人生はその人しか歩けない。

このことを忘れないでいたい。

痛いほどの決心。


人生二度目の経験 2

2019-11-20 21:18:58 | 日々の暮らし・思い出

医者に行って来た・・・書いてみて、

この言い方は最近の若い人は使わない気がするが、どうなんだろ。

病院に行く、とよく聞くが医院に行くとは聞かない。

まぁ、それはどうでもいいんだけど、

昨日行って来ました。クリニックという名のものに。

・・・食事をした後しくしくと痛くなる、

寝ている時は感じない、

一週間続いている・・・

そういう説明をしたら、服用してる薬を聞かれ、

抗ヒスタミン薬を二日に1錠飲んでいると言ってみて、

そうだ、ギックリ腰で整形外科から処方されたロキソニン錠を

一週間続けて飲んでいた!ことを思い出した。

我ながらそれを思い出したことを褒めてやりたいと

後になって思ったよ。

なんせ最近のことはすぐ忘れてしまう今日この頃なのでね。

で、それを言ったら、多分そのせいで胃がやられたのではないかという見立て。

まぁ、見立て、ということで、

この薬が効けばそういうことだと説明が。

けれど、三日飲めば治る!との力強いお言葉。

経験で自信があるんだろうなぁと思ったよ。

果たしてその通りで昨夜から飲みだしたばかりなのに、

今日は胃の存在を忘れた一日でありました。

薬って凄いと思った。

薬も病院も好きじゃなかったのは、

こんな経験をしたことがなかったからだと思った。

だからそんなこと思っていられたんだ。

自分の驕りから来る思いだったのだと深く反省。

自分の少ない経験のもとで偉そうに判断してた自分だったと、

深く真面目に思ったよ。猛反省。

何だっけ、象の尻尾の毛一本を見て、象というものを知った気になる・・・

とかいった話があるけど、今回のことで自分はそういう偉そうな人なんだと思ったよ。

これだけでなく、普段の暮らしの中で、

そういった見方を無意識のうちにいっぱいしてるはず。

本当に謙虚にならないと、人生が豊かにならぬのではないかと思ったよ。

この薬で良くなったので、多分癌ではないと思うけど、

人に聞いたけど、病気の素人は胃が痛いとすぐに癌かも、って思うらしい。

私もそういう分類に入るんだろうと思うけど、

COPDと言われた時も、その病気の最悪のことを想像して、

それを受け止められるか、と自分に問うたみたいに、

それを受け容れられるか?という問いがすぐに浮かんで来る。

そうして自分を観る。

まぁ、それでいいと思うんだけど、

で、実際に受け容れられる自分になるかどうかは全くわからないし、

その時のお楽しみという感じでいいかなと。

ただ、そう問うて自分を観たということを

その時の自分が忘れないでいてもらいたいよ。


人生二度目の経験

2019-11-18 18:57:21 | 日々の暮らし・思い出

先週の火曜日から胃が痛い。

こんなことわざわざ書くようなことじゃない気もするが、

私にとっては人生で二回目なのだ。

一回目は当時の配偶者と離婚で揉めていた時だった。

35年も前のことだ、その時は離婚できなかったんだけどね。

その時、話をしていただけなんだけど、胃が痛かった。

初めての経験だったからよく憶えている。

今回はそんな問題を抱えているわけでもなし、

何故痛みがやって来たのか、わからないんだ。

何を食べてはいけないのかなどあまり考えず、

なんせ経験がないもんで・・・

でも考えてみれば、そんなこと経験のなさとは関係ないね。

こういう時はどんな食事をしたらいいのか?と真剣に考える頭がなかったということだ。

で、食欲はないし、脂っぽいものは食べる気がしなかったから、

その他の物をほんのちょっとずつ食べてた。

消化のいいものをなんて考えが浮かばなかった。

まぁ、そのうち治るだろうと・・・・

けど、まだ治らないのだ。 

近くに住む娘はとっくに私がそういうものを食べていると思っていたのだろう。

私の食事に呆れ、いろいろと指導してくれたので、

それに素直に納得し、夫もスマホで消化のいいものなんぞを検索し、

わざわざうどんを買ってきてくれたりしてる。有難いです。

けれど、あまり良くなってない。

胃病に詳しい友人や夫や娘にも診てもらった方がいいと言ってもらい、

胃腸科にでも行って診てもらおうと思ってる。

胃がしくしく痛いだけなのに、

なんと、いろんなことをやろうとする気が起こらない。

孫が散らかした玩具が幾つか部屋のあちこちに転がっているんだけど、

箱に入れるだけの作業なのに手が出ない。

食事の支度もやる気にならない。

手だって脚だって動く。冷蔵庫に食品はある。食べる口がある。

・・・なのに、気持ちが動かない。

胃の不調が気持ちにこんなにも影響するもんなんだなぁ・・

当たり前なのか・・・

所謂丈夫な身体を与えられたからか、

胃痛とやる気の関係にもびっくりする。

これからは身体のいろんな不調が増える年ごろなんだろう。

あ~、そうなんだろうなぁ・・と思うけど、

大変なこと、というふうに想像できない。

別に落胆もしていない。

明日か明後日に病院へ行くつもりにしてる。

前回の胃痛は30代で、ちょうどその頃にたまたま人間ドックに予約を入れていて、

結果は神経性胃炎と言われた。

離婚騒ぎの最中だったから、すごく納得した記憶がある。

人間ドックも胃カメラもそれきり一度もしていない。

胃カメラを飲むことになるかならないか、わからないけど、

二度目の今回はどんな結果が出るかなぁ。

「胃癌です。家族の方も一度来ていただけますか?」

などというセリフを聞くことになるのか、

「単なる胃もたれですね」のような話なのか、

興味津々ではある。

こうして書いていて、自分が癌だと言われたとしたら、

どういう反応が出るのか、とても楽しみではある。

癌だったとしても、ここに書こう。 


無法者の出現

2019-11-11 10:04:12 | 日々の暮らし・思い出

去年の百人一首の暗誦に始まり、般若心経と覚え、

平家の曲、方丈記、枕草子、こういうのはみんな触りの所だけ覚えた。

百人一首はだいたい全て諳んじられるんだけど、

暗誦するだけで終わってる。

奥の細道を全部最後まで覚えようかな・・と今のところ思っているんだけど、

まだ白河の関まで。

・・ここで筆は止まってしまったのだが・・・

このような優雅なことを書いたのが半年ほど前。

この半年ほど、何をして、何を思っていたのか・・・

この間に孫という人間が新たに三人この世に出現した。

三人のうちの二人が今、私のすぐ近くに居る。

以前に出現した孫たちは私の暮らしている空間に居なかったので、

まじかに赤ん坊を見るのは自分が産んだ子供以来のこと。

本当に無垢というのか、無知というか、無礼というか、

無分別というか、無配慮というか、無口というか、

無遠慮というか、ぶしつけというか、

無謀というか、まぁ、そういった存在だ。

まぁ、それが全て愛らしいのではあるけど。

こういう無法者がどういったプロセスでどういうふうに

変化していくのか・・・・

興味津々。

 

 


問題って・・・

2019-11-11 09:26:35 | 日々の暮らし・思い出

久し振りにここに来たよ。ちょっと何か・・・・書こうかな・・・・

死ぬまでに掛かるお金は受給する年金以外に2000万円必要だ、

という2000万円問題というのが一時新聞に出ていた。

平均値でものを考えるのはナンセンスだなぁと思ってしまうよ。

暮らしの仕方は人それぞれ千差万別。

何に価値を置いて暮らすのか・・・・

お風呂には固形石鹸とシャンプーしか置いてなくて、

いや、洗面器なんかはあるよ。

洗濯するのも洗剤だけで、いわゆる、柔軟剤とか漂白剤とかは無い。

欲しいとか、要るとか、と思わない。

下着靴下以外衣類もほとんど買わない。

友人によく頂くし、幸い娘たちともサイズが同じくらいなので、結構貰う。

それでもたまに必要な衣類を見に店に行くこともあるけど、

たくさんあって本当に選べなくて、疲れる。

友人や娘らにこれ着る?と聞かれると、

イエスかノーだけでいいから選ぶことが出来る。

以前新聞でジャムの種類が多すぎると人は選べない云々の記事を

読んだことがあるけど、本当だ。

ずらーっと洋服が並んでいると、選ぶ気も萎えてしまう。

こういう質も2000万円問題を問題と思わない原因かもしれぬ。

本も傍に常に置きたいと思うものは買っていたけど、

最近はそういう本もない。

以前そう思って傍に置いておいたものも、

以前の家に置きっぱなしだ。

こんなふうに書いているとまるで世捨て人みたいね~

でも他の事ではいっぱい欲はあるよ。

まぁ、平均でものを考えることはできないなぁ、という話でした。