ここのところ自分が好きと思えてないことに気づいた。
人から「自分が嫌い」とかの言葉を聞いたことがあるけれど、
それがどういうことかわからなかった。
そう思ったことがなかったからだろう、その頃は。
最近、このページに来ることも無くなって、
自分を観る、という一番大切なことを疎かにしていた。
他者を嫌う自分をみつけたこと=自分を嫌っている自分に気づいたこと
・・・なんだ。
いや、人を嫌うことが悪いっていってるんじゃないよ。
嫌いなら嫌いでいいんだよ、そのこと自体は。
それで自分の気持ちが何の後腐れもないなら。
自分を嫌だと何故思うのか・・・
自分を嫌ったりしていなかった頃の自分と比べると、
自分の考えだけで突っ張ったりするようになった、
他者の話を聞く時、プロセスを聞こうとしないで、その話の結論を急ぐようになった、
勿論そんなことが以前に全然なかったわけじゃないよ。
でも、その数値があるとすれば、倍以上、三倍にも五倍にもなっていることは確か。
そういう自分を苦痛に感じていることにやっとこさ気づいたんだ。
自分もその他者も、自分で考え、行為行動する自由を持っている・・・のに、
自分の自由ばかりに傾いていた。
その人のことをその人に任せられない自分をやっと見つけられた。
それはどういうことかと言えば、
その他者が自分で考え、行為行動することが出来ない、と
無意識のうちに私が決めていた、ということだ。
なんということだろう!
ひどいねぇ!
人にはひとの人生がある。
その中身は他者にはわからない。
けれども、他者を応援することは出来ると思う。
それは他者の人生の歩みを邪魔しないことだ。
その人の人生はその人しか歩けない。
このことを忘れないでいたい。
痛いほどの決心。