今のところ洗濯機はあって働いてくれている。
ここを出る前にリサイクルショップで引き取ってもらう予定。
『寂しい生活』の稲垣えみ子さんは洗濯機も放して、
洗面器で手洗いしているそう。
それが面白くてたまらないよう。
お気に入りのヨーロッパ製のチノパンを手洗いしたら色むらが出来てしまって、
じゃあ次はこうしてみよう、あぁしてみよう、と、めげない。
それが面白いと感じるよう。
まぁ、確かに一人暮らしと違って育ちざかりの子供が何人もいる共稼ぎの家庭なんかじゃ
特に洗濯機は本当に有難いもの。
最初の子供を産んだ頃、賃貸の古い一軒家でぼっとん便所だったから、
ウンコで汚れた布おむつのウンコだけ便所に捨て、
汚れたおむつは洗剤と漂白剤を入れたバケツに漬けておき、
手洗いもし、だいたい綺麗になってから洗濯機で洗った。
二人目の時は和式の水洗トイレがある家で、それが本当に嬉しかった。
汚れたおむつはそこで下洗いできたからね。
いやいや、それが言いたかったわけじゃなく、
いや、でも、洗濯機の在ることは本当にありがたいと思っていた。
私の母の時代は水道も洗濯機もないし、
井戸水を汲むための棒をガチャンコガチャンコ何度も押して、
おむつも何もかもたらいと洗濯板で洗い、
その上、井戸は外だったから冬なんか手は冷たかったろうし、
大変な肉体労働だったはず。
そんなふうにして育ててくれたんだなぁと思うけど、
今の子供には洗濯機のスイッチ入れただけじゃん・・と言われてもしょうがないねぇ。
けれど、けれど、家電は有難いものだとやはり思う。
けれど、けれど、達成感とかあっただろうなぁ・・・
自分のこの手で一つ一つ汚れを見ながら綺麗にしていく。
この前まで一緒に住んでた孫の靴下は洗ってあっても汚れている。
最新の洗剤、最新の洗濯機だけど。
でもまぁ、洗濯機は本当に便利だし、使える時は使っていきたい家電だけど、
えみ子さんが手洗い洗濯を面白く感じるのは、
自分の手でやった事の結果がはっきり見られることや達成感や、
汚れが落ちたり、失敗したりのプロセスがわかることなんじゃないかと思ったんだよ。
工夫の余地がたくさんある。
洗濯機にポンと汚れ物を入れ洗剤を入れボタンを押すだけで
洗濯が終わってしまうのは達成感も感じないし、面白くもない。
私は今、二槽式の洗濯機を使っているけど、
洗剤で洗った後それを脱水槽に移すと残った水の汚れが見える。
それだけでも嬉しく感じるんだ。
あぁ、こんなに汚れが落ちたんだってね。
そして、洗濯物が多い時はその水でもう一回洗濯機を回す。
こういうのもなんか好き。
結局のところ、自分の手で何かをするのは疲れもするし面倒くさいこともあるけれど、
直接身体に感じる感覚が豊かになるというか、
生きているってこういう事って言うか、
いろんなことを体で感じて生きて行くことの方が
便利さを感じることより人間の在りようとして真っ当なのか・・・
なんてことを思ってしまうよ。
どうだろうねぇ。
不便は楽しいと言ってもいい。
工夫の余地がたくさんある方が面白い。
若い頃から、それをすることが面白いか面白くないかが
行動を選択する基準だったことも多い。
面白いと言うと面白おかしいというふうに誤解されたこともあったから、
興味深くその事柄をやれるという感じといってもいいかもしれない。
まぁ、これから体力も落ちて来るだろうし、
既に落ちているし、
面白さと便利さとその都度、その事柄、によって選んでいくんだろうなぁ。