ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

久坂部 羊 「老乱」を読んで

2022-07-23 20:47:44 | 本を読んで
「老乱」を読んでみて、一番思ったのは、

やはりというか、どんな人だろうと、まずは自分の在りのままを

受け容れてほしいものだなぁと確認したことだ。


小説の中の認知症になった老人の息子や嫁は

その認知症状態が受け容れられないから、

なんとかして、その状態を変えようとする。

それも本人が承諾して、進んでそれをしたければいいけど、

本人の意志に逆らって運動やら勉強やらをやらせようとしたり、

運転を止めさせようとする。

認知症患者だけに限らず、他者から強制されるのは嫌なことだろう。

けれど、周りの人、特に家族はなんとか元のように成らせようとか、

車の運転をやめさせようとか、頑張る。

それの元は自分たちの都合だ。

けれど、確かにそう思うのも無理ないと思う。

車に乗り、事故を起こす、特に人身事故など起こしたら・・・

そりゃ、大変なことになる。

じゃ、どうしたらいいのか!?

運転をやめることがいいのは当たり前のことだ。

だけれど、

止めさせる、という思考で臨むことが一番良くないのではないかと思う。

相手は認知症と言えども、心、気持ち、意志はあるのだ。

脅したり、怒ったりしたら、益々こじれて、

いい結果になりにくいんじゃないかなと思う。

周りの人を自分を虐げる人だと思って、

その人たちの言うことを聴こうという意志などなくなる。

認知症の程度が進み、家族を敵と思うようになるのではないか。

相手の行為、行動に関しては、

ただただお願いするという立ち位置でやらないと

双方共に大変なことになる。

自分を否定されて嬉しい人はいない。

最近よく聞く、人間の尊厳を尊重するという表現や、

心に寄り添うとかの表現もそういうことを言ってるんじゃないかと思う。

地道なそういうことが認知症の人や周りの人を

柔らかにするんじゃないかなぁ。

そうしていく!という強い意志を持つことか。

ふ〰️む・・・・・

私は今のところ、夫より先にボケる気がするから、

夫にこの事、くれぐれもお願いしたいよ〰️🎵






忘れる・・・忘れる・・・②

2022-07-21 14:58:38 | 日々の暮らし・思い出
以前に書いたブログ、認知症になる、ならないか、のタイトルの、

いま、間違えて削除してしまった。

その②を書いてて、それを消したつもりが前のを消してしまっていた。

確か、削除してしまった文を書いたのは4ヶ月位前のことだ。

私の意識状態は多分悪化してるように思う。

物忘れが増えている。

その時、調べたり、聞いたりすると、

あー、そうそう、そうだった、と思い出すんだけど。

昨夜、久坂部 羊さんという人の「老乱」という小説を読んだ。

この作者は医師でもあるらしい。

この作者の本は初めてだ。

出てくる主人公はアルツハイマーではなく、レビー小体型認知症というらしい。

今、ネットで調べると幻想があるようだ。

小説の主人公もえぇ!!と驚くようなことを言い出す。

周りの家族の狼狽えや、心配、恐怖、などの混乱がよくわかる。

そりゃそうだろうなぁ。

この本は夫が図書館から借りて来たもので、

彼が読み終えたので、私も読んだ。

自分が前と変わって来ている自覚があるから、

読むのは抵抗あるかなと思ったけど、

躊躇なく読もうとしていて、自分のことなのに、

へぇ、そうなのか、と思った。

最後まで嫌にならずに読めた。

読んでから夫に感想を聞いたら、

「認知症の人に何を食べたい?と聞くより、

大根と人参、どちらがいい?というような質問がいい、ということがわ

かった」というお答え。

まぁ、それは一つの感想なんだろうけれど、、、

私は認知症になるかもしれないから、よくよく勉強しといてね

と、言ったら笑って、わかりました、と言ってた。

「ぼけますのでよろしくお願いします」

とかいうドキュメンタリー映画があるそうだけど、

それを見てみたいなぁと思ってる。

さて、これからの私という人間は如何なりますか!?