ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

迷い、躊躇い・・・

2016-05-24 08:28:21 | 日々の暮らし・思い出
いやぁ…久しぶりだ ここ。

今、ウォーキングしてきたところ。最近、近くに居る娘と

日曜日を除いて毎朝一緒に歩いている。

話しが出来る時間でとてもいいなぁと思っている。

もう一人の娘とは彼女の部屋にある連絡ノートで日曜日を除いて毎日。

これは話しをするという感じじゃないけど、

なんとなく彼女の様子が伝わってくるものだ。

この地に居ると以前は出来なかった体験が色々できていい。

それはいわゆる良いこと、屈託なく楽しいことばかりではなく、

迷ったり、躊躇ったり、すること・・・・

昔、大きなチョコレートを売るためのコマーシャルで、

♪みんな悩んで大きくなった♪という歌があったけど、

悩んだり、迷ったり、躊躇ったりするからこそ、

悩まなくなったり、迷わなくなったり、躊躇わなくなれる・・・

どうしてかって・・・

自分が悩んでいること、迷っていること、躊躇っていることに、

気付く事が出来ること、それがそうでなくなるチャンスだからだ・・

いや、だんだんいつの間にかそのことが

気にならなくなる、躊躇わなくなく、ということも大いにあると思うけど、

即、なる ということの話なんだ、これは。


孫のある種の姿の前で、とても平静では居られないことが続いた。

人からそういう目に遭った記憶が無い気がする。

その瞬間、嫌だなぁ・・と思ったけど、

そういう自分に鈍感だった。

小さな子供に振り回されている自分だった。


何回か、そういうことがあってから、

私は嫌だ、というのをまず孫の母親である娘に出そうと思い、

こういう目に遭うのは嫌なんだと話し、

それがきっかけで、何回も話し合ってゆっくり考える時を持ったのはよかったなぁと思う。

娘が「どういう態度をとったらいいのか迷う時があるんだよね・・・」と言ったことがあった。

それを聞いた時、はっと思った。

私もそれだったんだと。

うろたえたり、躊躇ったり、迷ったりするのは

このことがどういうことなのかわかってない状態、

どう捉えていいかわからない・・・そういう状態。

孫のそういう言動についてどう対応するのか、

自分の中にデータが無かった、といってもいい。


そういうことかと思ったんだ。

だから毅然と振る舞えなかった。

ノー天気な私はここのところ迷ったり悩んだりすることが割となかったから、

このことは本当によかった。


それからは、ここだという時は、愛を持って毅然と対応しているつもり・・・

また、このことは書くね。


サイクリング・・夏川りみと京フィルのコンサート

2016-05-01 10:04:59 | 日々の暮らし・思い出
ここ3、4日石垣はとても涼しい。25度くらいかな・・・

もうじきここに来てひと月が経つけど一番涼しいよ。有り難い。

おとといは島の一部をサイクリング。かなりな坂道が幾つもあったけど、

頑張って漕ぎ、頑張って自転車を押しました。

道も分からずしばらく走ったら、ミルミルというアイスクリーム屋さんのとこに着いた。

以前娘が車で連れて行ってくれた店だ。

ほう、こんなところだったのか・・・開店前だったのでアイスクリームは食べず、

また走った。今度は下り坂。突き当たりまで来たらそこは海岸沿いの道。

右折すれば名蔵方面だけど、その日は左折。

コンビニで夏川りみと京フィルのコンサートというのの前売り券を早く買わなきゃ・・・

を思い出したんだ。

6月の2日にここ石垣でそれがあるのをコンビニにあるポスターで見て、

行ってみようと思って、それを内地の夫に電話の時話したら、

僕がそっちに行ってる時じゃないか、僕も行きたいって。

その日が夫が来る一週間に入ってるなんてちっとも気付かなかったよ。

そう、夫が内地の家の傍の私の友人と二人で来るんだ。

その石垣好きな友人は夫とも仲良しなんだ。

夫のクレジットカードがJCBでANAの奴だから、

クレジットを使うとマイルが貯まって、ある程度貯まると、

誰かを誘ってアナの飛行機に乗れば夫の分はタダになるんだよ。

その誰かも中部空港石垣間が往復3万円で乗れるんだ。

最近はこういうサービスがあるんだねぇ・・


ええーっと脱線だったね・・・

その道を左折して海岸線を走ってココというコンビニに来て、

前売り券を3枚買いました。

内地の家はとても僻地にあったので、コンサートなんて縁が無く、

どうしても行きたければ車で1時間かかる市街地に行くか、

名古屋まで行かなくちゃならない。

前の家に居たらこのコンサートが車で1時間の所であっても、

行かなかっただろうけど、

自転車や車でさっと行けるところだと行く気になるもんだ。

それに宝くじナンタラで2千円だったしね。

夏川りみの歌声好きだし、とても楽しみだよ。

そうそう、風を切って走るサイクリングもとても楽しかった。

また、涼しい日に違う方面まで脚を延ばして走ろうっと。


共働きの母、わたし、娘ら・・・

2016-05-01 09:32:55 | 日々の暮らし・思い出
このブログに来てから一週間も経ったなんて・・・

ということは忙しかったのか・・・

忙しかったという印象は無いけれど、タイミングが合わなかった・・という感じか。

何をしていた一週間だったか・・・娘らの家の繕い物したり、

ちょっとした鞄を縫って作ったり、

部屋の掃除をしたり、食事を作ったり、洗濯物を畳んだり、

車の点検するのに車関係屋に代わりに行ったり、

娘と孫らと一緒に海岸で遊んだり、

そういう特別の用は無いけれど、来てほしいと頼まれそこに居たり、

・・・というような事で娘らの応援?をしている。

させてもらっているという表現でもいいなと思う私の気持ちだ。

面白いこと好き・暇嫌いの私には有り難い応援要請。

最高の暇つぶし。


二人の娘から同じことを言われた。

傍に居てくれるだけで気持ちが安定することがあるって。

それぞれの娘には6才と3才、2才と0才の子供がいる。

小さなその子供らはそれぞれが思うがままに言いたい事を言い、したい事をする。

それは当たり前のことなんだけど、

仕事や自分の身体のことやなんかでいろいろと忙しく、

頭が少々混乱状態の時には子供らのそういう行動が受け切れないことがあるのは当然だ。

子供らと自分だけの関係に第三者のちょっと関係ない人がそこに居るだけで、

精神が安定するっていうようなことを二人が言っていた。

そうなんだろうな、と思う。

私もそうだった・・・・・


戦前や昭和30、40年代は日本の家族は大家族というか、

親子三代同居が当たり前の家が多かったから、

自然と役割分業が出来ていたこともあると思う。

私が育った家も祖母が炊事や洗濯をして母は外で働いていたことがある。

子育てする核家族の母親にとって今は本当に受難時代なんじゃないかなぁと思うよ。

なんせ情報過多、意見過多、外野過多・・・

そういう中でたった一人で家のこと何もかもやらなくちゃ・・となってる人は多いと思う。

私も共働きだったので、娘らと同年代の頃、

傍に住んでいた母にいろいろと手助けしてもらった。

いやいや、傍に住んでいた母・・じゃなくて、私が母の家の近くにわざわざ引っ越したんだった。

仕事がどうしても休めないとき、風邪の子供を一日みてもらったり、

夫と二人で映画を見に行きたい時みてもらったり、

小学生になってからは子供たち自身もおばあちゃんちに自分で遊びに行ったり、

いろいろと本当にお世話になった。

具体的なそういうことも有り難かったけど、

やっぱり精神安定剤に母はなってくれてたと思う。

私にとってもそうだけど、二人の子供にとっても母はそういう存在だったと思う。

母が居なかったら私も子供らもどんなふうになっていただろうと思う。


まぁ、そんなこんなで、ここに移住して来て本当に良かったと思っている。

幾らかは呆けているけど、まだ使える身体と気持ちを無理することなく、

出し惜しみすることなく、ちょうどいい感じで使っていきたい。