もう一度これを考えたい。
「技術が社会の産物ではなく、社会が技術の産物になりかけている。すると社会は自滅する」
・・という文章をどの本だか忘れたけど、読んだことがある。(気になってメモしてあった。)
こういうコマーシャルがある社会は技術の産物・・という気がしてしまう。
(ひとはトイレ掃除をするのは嫌なものだ)という人間観を持って、
あのコマーシャルを作ったんじゃないかと、
私が感じてしまうのは、
「掃除をする時間を省けて、
他のもっと創造的なことが出来るようにと、このトイレを開発しました」
・・こういうニュアンスが感じられないからだ。
あの画面のお父さんと双子の息子はただイヤイヤと首を振っているだけで、
他の何かを集中してやっている様子も無いことからなのか・・
実際アレを作った人たちがどんな考えで作ったのかはわからないことだけど。
もし、ただ「掃除は嫌なもの」という考えの元で作られたのなら・・
(ひとは掃除するのは嫌なもの)という考え(粒子であり、波動)が発信されるている、ということになる。
その映像が何度となく放映されることで、
観るひとの意識を変えようとしてでなく、変えていく可能性がある。
その波動は観る人の(トイレ掃除は嫌)という波動と共鳴するので。
その作用はあくまで相互作用なので、全員がそうなるということじゃないけど、
ひとによっては心の程度が低くなる。
トイレを自動的に掃除をするという機能は同じであっても、
ひとが創造的なことをするために・・という考えからと、
掃除するのは嫌なことだから・・・という考えからでは
波動関数が違うと思う。
(掃除するのは嫌な事)から産み出された技術は社会の程度を下げる。
社会が技術の産物になる。そう思う。
「技術が社会の産物ではなく、社会が技術の産物になりかけている。すると社会は自滅する」
・・という文章をどの本だか忘れたけど、読んだことがある。(気になってメモしてあった。)
こういうコマーシャルがある社会は技術の産物・・という気がしてしまう。
(ひとはトイレ掃除をするのは嫌なものだ)という人間観を持って、
あのコマーシャルを作ったんじゃないかと、
私が感じてしまうのは、
「掃除をする時間を省けて、
他のもっと創造的なことが出来るようにと、このトイレを開発しました」
・・こういうニュアンスが感じられないからだ。
あの画面のお父さんと双子の息子はただイヤイヤと首を振っているだけで、
他の何かを集中してやっている様子も無いことからなのか・・
実際アレを作った人たちがどんな考えで作ったのかはわからないことだけど。
もし、ただ「掃除は嫌なもの」という考えの元で作られたのなら・・
(ひとは掃除するのは嫌なもの)という考え(粒子であり、波動)が発信されるている、ということになる。
その映像が何度となく放映されることで、
観るひとの意識を変えようとしてでなく、変えていく可能性がある。
その波動は観る人の(トイレ掃除は嫌)という波動と共鳴するので。
その作用はあくまで相互作用なので、全員がそうなるということじゃないけど、
ひとによっては心の程度が低くなる。
トイレを自動的に掃除をするという機能は同じであっても、
ひとが創造的なことをするために・・という考えからと、
掃除するのは嫌なことだから・・・という考えからでは
波動関数が違うと思う。
(掃除するのは嫌な事)から産み出された技術は社会の程度を下げる。
社会が技術の産物になる。そう思う。