綿矢りさの 意識のリボン という小説を読んだよ。
とても面白かった。
これとはちょっと違う話しだけど、
私も雲の上の、明るくて、輝いてて、心地よくて、
一人だけで他の人影は見えなかったけれど、
ちっとも寂しくなくて、幸せな気持ちしか感じなかったところに
居たことがあったよ。
そういう場所に行ったわけじゃないのは勿論だよ。
そういう意識の私だったことがある。
以前にここで書いたことがあったかもしれない。
結構たくさん書いてるので探すのも大変だから確認してないんだけど。
「意識のリボン」は作中の真彩という女の子が交通事故で、
死の間際の意識の中身が書かれたもので、
私のはそんな状況ではなかったけどね。
10才になる前だったと思う。
私の意識というより、
意識の私が
そこに行けた。
そこはとても居心地がよくて明るくて、
他の人影は感じられなかったけど、
寂しいという気持ちなどなくて、
ただ快適だった。
いや、快適なんていう ちんけ なものじゃなく、
そう、こういうのを天国というのかもしれないと、思う。
けれど、その時、今はここにいてはいけない、
身体の私がやってるところに帰らなくちゃ!
という思いが生まれて、
そうするとこの世の意識の私に帰れた。
又、行って来よう🎵と思って、
意識をそうなるようにすると
雲の上のようなところに行った。
勿論、意識の私が。
まぁ、信じて貰えなくても構わないんだけど。
上に書いた、 意識をそうなるようにすると、
という方法は意識を何処かに持って行く、ということなんだけど、
そういうことをしなくなったら、
出来なくなってしまった。
上に書いたことがあったのは・・・・
自分に 意識 というものがあった!
という発見の日々だったと思う。
そして、
意識の私 は私以外誰も知らない、わからない、
その事に最強の驚きを感じたのだ。
誰もが全員、それぞれの意識の自分しか知らない。
その世界でしか生きられない、ということに
天地がひっくり返るほどの驚きを感じた。
勿論、その意識に働きかける意識は無数にあって、
働きかけたり、働き掛けられたりして少しもじっとしてないんだけど。
そんなこと、書くまでもなく当たり前のことで誰もがわかっていることだと思う。
私の意識が認識している世界は、
在る現象としての世界とは別物だ
ということに、
小学生の私は心底驚いた。
近くの八百屋さんは私の意識に、
あそこのおじさんは汚いとかあるけど、
他の人の意識には感じのいいおじさん、かもしれない。
そう、気がついて、
一人一人違う世界に住んでる!
世界は人の数だけあるんだぁ!!
この驚きは忘れられない。
ロシアが戦争を始めた。
それを知らない人もいる。
近くにいるもうじき三才の孫は知らない。
この孫の世界に戦争はない。
この孫の世界に戦争をもたらしたくない。
とても面白かった。
これとはちょっと違う話しだけど、
私も雲の上の、明るくて、輝いてて、心地よくて、
一人だけで他の人影は見えなかったけれど、
ちっとも寂しくなくて、幸せな気持ちしか感じなかったところに
居たことがあったよ。
そういう場所に行ったわけじゃないのは勿論だよ。
そういう意識の私だったことがある。
以前にここで書いたことがあったかもしれない。
結構たくさん書いてるので探すのも大変だから確認してないんだけど。
「意識のリボン」は作中の真彩という女の子が交通事故で、
死の間際の意識の中身が書かれたもので、
私のはそんな状況ではなかったけどね。
10才になる前だったと思う。
私の意識というより、
意識の私が
そこに行けた。
そこはとても居心地がよくて明るくて、
他の人影は感じられなかったけど、
寂しいという気持ちなどなくて、
ただ快適だった。
いや、快適なんていう ちんけ なものじゃなく、
そう、こういうのを天国というのかもしれないと、思う。
けれど、その時、今はここにいてはいけない、
身体の私がやってるところに帰らなくちゃ!
という思いが生まれて、
そうするとこの世の意識の私に帰れた。
又、行って来よう🎵と思って、
意識をそうなるようにすると
雲の上のようなところに行った。
勿論、意識の私が。
まぁ、信じて貰えなくても構わないんだけど。
上に書いた、 意識をそうなるようにすると、
という方法は意識を何処かに持って行く、ということなんだけど、
そういうことをしなくなったら、
出来なくなってしまった。
上に書いたことがあったのは・・・・
自分に 意識 というものがあった!
という発見の日々だったと思う。
そして、
意識の私 は私以外誰も知らない、わからない、
その事に最強の驚きを感じたのだ。
誰もが全員、それぞれの意識の自分しか知らない。
その世界でしか生きられない、ということに
天地がひっくり返るほどの驚きを感じた。
勿論、その意識に働きかける意識は無数にあって、
働きかけたり、働き掛けられたりして少しもじっとしてないんだけど。
そんなこと、書くまでもなく当たり前のことで誰もがわかっていることだと思う。
私の意識が認識している世界は、
在る現象としての世界とは別物だ
ということに、
小学生の私は心底驚いた。
近くの八百屋さんは私の意識に、
あそこのおじさんは汚いとかあるけど、
他の人の意識には感じのいいおじさん、かもしれない。
そう、気がついて、
一人一人違う世界に住んでる!
世界は人の数だけあるんだぁ!!
この驚きは忘れられない。
ロシアが戦争を始めた。
それを知らない人もいる。
近くにいるもうじき三才の孫は知らない。
この孫の世界に戦争はない。
この孫の世界に戦争をもたらしたくない。