料理のレシピで、4人分で醤油大さじ3杯入れる、というようなのがある。
大人数の料理を作ったことがなかったからだろうけど、
40人分の料理を作るからといって、
醤油を大さじで何度も何度も何度も何度も入れていた人を見たことがある。
(30杯入れていたよう)
親しい人だったので、びっくりして笑っちゃったけど、
やってる最中に声かけると何回入れたかわからなくなってしまうから、
終えてから、大さじ1杯は15㏄だから大さじ3杯は45㏄で、
40人分なら450㏄を軽量カップで計って入れた方が早かったかもよと言った。
それを聞いた人は「あっ、そうかぁ!」と自分でも笑ってた。
大さじで30回入れてた人はその時、
まとめて450cc入れればいいという知恵がなかったといえる。
聞けば「そうかぁ、なるほど」となる。
(15×3)×10=450 なんてことはとうに知ってる。
その人は所謂知恵遅れでもない、何か難しそうな国家資格を持っている人だった。
知識と知恵は違う。
知恵ってどんなふうに生まれるんだろうと考えると・・・
醤油を入れようとなった時に、瞬間的に、
(こうしたら早くできる)・・とかいうようなものが浮かぶ、
・・というようなことだろうか。
それが浮かばないと、大さじ3杯→大さじ30杯 ということになってしまう。
(そのやり方が間違っているわけじゃないけど)
この場合だったら、(早くやりたい)だけみたいだけど、
だいたい食事を作るということは、一品だけ作ってお終いというわけじゃない。
ご飯や味噌汁や二つ位のおかずも作る。
(美味しく作りたい)(手早く作りたい)(温かい物を出したい)
(ご飯と味噌汁は同時に出来るようにしたい)
(塩分はなるべく控えたい)(この材料だけでナントカ仕上げたい)
(洗い物はなるべく少なくしたい)(ガスコンロが二つしかないから、出しを早くにとっておきたい)
(明日の弁当用に途中で、この分は取り出しておきたい)
・・・とかとか、限られた時間の中で・・いろいろな(~したい)がある。
台所ではたくさんの(~したい)が全部叶うように頭を働かせることになる。
たくさんの(~したい)という願いを全部叶えようとすると、
自然といろいろな知恵が働くのかなと思う。
それも自分ひとりの為の食事作りだと、それほどの熱意は生まれてこない。
自分だけじゃなくて、
他の人にも用意したいと思う時の方が熱意や知恵が出てくる。
誰でもそうなんじゃないかと思う。
こうしたい、こうなりたい、こうなるようにという願いが、
自分にとってだけじゃなく、自分を含めたたくさんの人にとって、
豊かに幸福に、というようなより大きなものになると、
そこから生まれる知恵も自ずと豊かになるのは道理かもしれない。
大人数の料理を作ったことがなかったからだろうけど、
40人分の料理を作るからといって、
醤油を大さじで何度も何度も何度も何度も入れていた人を見たことがある。
(30杯入れていたよう)
親しい人だったので、びっくりして笑っちゃったけど、
やってる最中に声かけると何回入れたかわからなくなってしまうから、
終えてから、大さじ1杯は15㏄だから大さじ3杯は45㏄で、
40人分なら450㏄を軽量カップで計って入れた方が早かったかもよと言った。
それを聞いた人は「あっ、そうかぁ!」と自分でも笑ってた。
大さじで30回入れてた人はその時、
まとめて450cc入れればいいという知恵がなかったといえる。
聞けば「そうかぁ、なるほど」となる。
(15×3)×10=450 なんてことはとうに知ってる。
その人は所謂知恵遅れでもない、何か難しそうな国家資格を持っている人だった。
知識と知恵は違う。
知恵ってどんなふうに生まれるんだろうと考えると・・・
醤油を入れようとなった時に、瞬間的に、
(こうしたら早くできる)・・とかいうようなものが浮かぶ、
・・というようなことだろうか。
それが浮かばないと、大さじ3杯→大さじ30杯 ということになってしまう。
(そのやり方が間違っているわけじゃないけど)
この場合だったら、(早くやりたい)だけみたいだけど、
だいたい食事を作るということは、一品だけ作ってお終いというわけじゃない。
ご飯や味噌汁や二つ位のおかずも作る。
(美味しく作りたい)(手早く作りたい)(温かい物を出したい)
(ご飯と味噌汁は同時に出来るようにしたい)
(塩分はなるべく控えたい)(この材料だけでナントカ仕上げたい)
(洗い物はなるべく少なくしたい)(ガスコンロが二つしかないから、出しを早くにとっておきたい)
(明日の弁当用に途中で、この分は取り出しておきたい)
・・・とかとか、限られた時間の中で・・いろいろな(~したい)がある。
台所ではたくさんの(~したい)が全部叶うように頭を働かせることになる。
たくさんの(~したい)という願いを全部叶えようとすると、
自然といろいろな知恵が働くのかなと思う。
それも自分ひとりの為の食事作りだと、それほどの熱意は生まれてこない。
自分だけじゃなくて、
他の人にも用意したいと思う時の方が熱意や知恵が出てくる。
誰でもそうなんじゃないかと思う。
こうしたい、こうなりたい、こうなるようにという願いが、
自分にとってだけじゃなく、自分を含めたたくさんの人にとって、
豊かに幸福に、というようなより大きなものになると、
そこから生まれる知恵も自ずと豊かになるのは道理かもしれない。